2016年5月3日火曜日

18年 名古屋vs西鉄 3回戦


4月24日 (土) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
5 3 1 0 0 0 0 0 0 9 名軍 7勝2敗 0.778 野口正明
2 0 0 0 0 0 0 2 0 4 西鉄 1勝9敗 0.100 野口明 近藤貞雄

勝利投手 野口正明 1勝0敗
敗戦投手 野口明     0勝1敗

二塁打 (名)岩本 (西)富松
三塁打 (名)金山
本塁打 (名)岩本 2号

勝利打点 吉田猪佐喜 2


古川清蔵、5打席連続四球

 名古屋は今年から投手に転向した野口正明がプロ入り初先発。西鉄は野口明で応戦する。

 名古屋は初回、先頭の石丸藤吉が四球を選んで出塁、岩本章の三ゴロで石丸は二封、古川清蔵は四球、小鶴誠も四球を選んで一死満塁、吉田猪佐喜の右犠飛で1点を先制、二走岩本もタッチアップから三塁に進み、小鶴が二盗を決めて二死二三塁、芳賀直一が四球を選んで二死満塁、藤原鉄之助の押出し四球で2-0、ここで金山次郎が右中間最深部に三塁打を放って3人が生還、5-0とする。

 西鉄は1回裏、二死後濃人渉が四球を選んで出塁、野口明の左前打で濃人が三塁に進み一死一三塁、野口明が二盗を決めて二死二三塁、中村民雄の三塁内野安打で1-5、富松信彦のライト線二塁打で2-5とする。

 名古屋は2回、先頭の石丸藤吉が四球で出塁、続く岩本がレフトスタンドにツーランホームランを叩き込んで7-2、古川は2打席連続四球、小鶴は左飛に倒れるが、吉田の右前打で一死一三塁、吉田が二盗を決め、芳賀は一邪飛に倒れて二死二三塁、藤原の三塁内野安打で1点追加して8-2と突き放す。

 名古屋は3回、二死後岩本が左中間に二塁打、古川は3打席連続四球、小鶴の左前タイムリーで9-2と引き離す。

 西鉄は2回から7回まで野口正明の前に2安打無得点。8回、先頭の濃人の遊ゴロをファースト小鶴が後逸して無死一塁、野口明の中前打をセンター古川が後逸する間に一走濃人に続いて打者走者の野口明までも生還し4-9とするが反撃もここまで。

 野口正明は6安打3四球1三振4失点、自責点2の完投でプロ入り初登板を白星で飾った。


 野口明は二郎、昇、渉と共に四兄弟が中京商業からプロ野球選手となっていますが、野口正明は筑豊の飯塚商業出身なので小鶴誠の後輩となります。


 野口正明は戦後、1950年に創設される西鉄クリッパースに移り、52年には西鉄ライオンズで最多勝をマークすることとなる。昭和18年の西鉄は東京セネタース-翼-大洋の系譜で、経営母体は西日本鉄道ですが戦後の西鉄ライオンズとは別チームです。


 3回までに3打席連続四球を選んだ古川清蔵は、5回の第4打席、8回の第5打席でも四球を選び、5打席連続四球を記録した。古川清蔵氏は野球界引退後は競馬評論家に転身し、JRAのホームページで確認できる「平成27年度顕彰馬記者投票名簿」にも131番「会友」として掲載されているように、現在もご存命のようです。


*こちらは「JRA」のホームページから転載させていただいております「平成27年度顕彰馬記者投票名簿」となります。問題があるようでしたら削除させていただきます。131番に「会友」として「古川清蔵」の名前が確認できます。

http://jra.jp/news/201509/pdf/091401_02.pdf



 

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