2015年8月31日月曜日

17年 名古屋vs巨人 13回戦


9月26日 (土) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
3 0 2 0 0 1 0 0 0 6 名古屋 27勝47敗4分 0.365 石丸進一
0 2 2 0 0 0 0 0 1 5 巨人     51勝23敗4分 0.689 須田博

勝利投手 石丸進一 12勝14敗
敗戦投手 川畑博       0勝3敗

二塁打 (名)古川、岩本 (巨)須田
三塁打 (名)吉田 (巨)小暮
本塁打 (巨)中島 5号

勝利打点 吉田猪佐喜 1

猛打賞 (巨)青田昇(4安打) 1、白石敏男 3


名古屋の強力打線が打撃戦を制す

 名古屋は石丸進一、巨人は川畑博の先発で打撃戦は開始された。

 名古屋は初回、先頭の石丸藤吉の当りは三ゴロ、これをサード青田昇がエラーして無死一塁、しかし岩本章の二ゴロが「4-6-3」と渡ってダブルプレー、ここで古川清蔵がレフト線に二塁打、吉田猪佐喜も左中間に三塁打を放って1点を先制、小鶴誠の遊ゴロをショート白石敏男が一塁に悪送球する間に吉田が還り2-0、打者走者の小鶴は二塁に進み、本田親喜の左前タイムリーでこの回3点を先制する。

 巨人は2回、先頭の中島治康がストレートの四球で出塁、伊藤健太郎もワンスリーから四球を選んで無死一二塁、小暮力三が右中間に三塁打を放って2-3と追い上げる。しかし続く坂本茂は三振、多田文久三も三振、川畑は遊飛に倒れて同点機を逸す。

 名古屋は3回、先頭の古川が四球で出塁、巨人ベンチはここで川畑をあきらめて須田博をマウンドに送る。しかし吉田も四球、小鶴の中飛で二走古川がタッチアップから三塁に進み、吉田も二盗を決めて一死二三塁、本田親喜が中前に2打席連続適時打となる2点タイムリーを放ち5-2と突き放す。

 巨人は3回裏、一死後青田が左中間に二塁打、白石の遊ゴロの間に青田は三進、中島がライトスタンドにツーランホームランを叩き込んで4-5、再び1点差に追い上げる。

 名古屋は4回、二死後岩本章がレフト線にヒットを放ち出塁すると二盗に成功、古川の三ゴロをサード青田が一塁に悪送球、これを見て三塁に達していた二走岩本がホームを狙うが、久保田製のニューボールを拾いあげたファースト小暮がホームに送球して岩本はタッチアウト。

 名古屋は6回、三盗の桝嘉一の当りは三ゴロ、これを青田がこの日3つ目のエラーとなる悪送球して桝は二塁に進み、石丸進一は投前に送りバント、須田が一塁に送球するとベースカバーに入ったセカンド坂本が落球、犠打とエラーが記録されて無死一三塁、芳賀直一は遊飛、トップに返り石丸藤吉も遊飛に倒れるが、岩本がセンター左奥に二塁打を放って6-4、一走桝も三塁ベースを蹴ってホームを狙うがレフト伊藤-ショート白石-キャッチャー多田と渡ってタッチアウト。

 巨人は6回裏、先頭の伊藤がピッチャー強襲ヒット、小暮も右前打で続いて無死一二塁、しかし坂本は中飛、多田の遊ゴロが「6-4-3」と渡ってダブルプレー。

 巨人は7回裏、一死後呉波が中前打、青田は猛打賞となる3安打目を左前に放ち、白石も三塁内野安打で一死満塁の大チャンスを迎えて今日ホームランを放っている中島が打席に入る。中島の痛烈な当たりが三塁を襲うがサード芳賀がグラブに収め、そのまま三塁ベースを踏んで無補殺併殺、巨人はチャンスを逸す。

 巨人は9回裏、一死後須田がセンターオーバーの二塁打、トップに返り呉の二ゴロの間に須田は三進、青田が4本目のヒットを左前に放って須田を迎え入れ6-5と1点差に詰め寄り、白石も右前打を放って二死一二塁として当たっている中島が打席に入るが、石丸進一が踏ん張り中島は投ゴロ、6対5で名古屋が打撃戦を制す。


 岩本章、古川清蔵、吉田猪佐喜、小鶴誠とホームランバッターが並ぶ名古屋の強力打線は、久保田製のニューボールを打ちまくったのである。


 巨人打線に13安打を許しながら粘りの投球を見せた石丸進一は、2四球2三振の完投で12勝目をあげる。翌日の読売新聞によるとドロップが良かったようだ。


 巨人打線は中島治康が2試合連続本塁打、青田昇が4安打、白石敏男が3安打を放つが名古屋に打ち負ける。青田の3失策を筆頭に6個のエラーが響いた。


 巨人投手陣は広瀬習一が虫垂炎で離脱してそのまま兵役に就き、中尾輝三も応召、泉田喜義も戦場に赴き、現状では須田博と川畑博だけとなっている。9月26日付け読売新聞は、写真付きで「明治の藤本巨人へ」と報じている。藤本英雄は9月25日付けで聯盟登録され、27日の大洋戦でデビューすると報じられた。


 

2015年8月30日日曜日

17年 朝日vs阪急 11回戦


9月24日 (木) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 1 2 0 1 0 0 2 0 6 朝日 33勝40敗3分 0.452 林安夫
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 阪急 38勝36敗3分 0.514 笠松実 義川泰造

勝利投手 林安夫 21勝18敗
敗戦投手 笠松実 13勝14敗

三塁打 (朝)林

勝利打点 伊勢川真澄 3


林安夫、2安打で今季10度目の完封

 朝日は2回、先頭の林安夫が左中間に三塁打、広田修三は浅い中飛に倒れるが、伊勢川真澄が先制スクイズを決めて1-0とする。

 朝日は3回、二死後五味芳夫が右前打で出塁、岩田次男が四球を選んで二死一二塁、続く浅原直人の遊ゴロの記録は「6.4-3’」で二走五味が生還となっている。ショート中村栄が二封を狙って二塁に送球したがセーフとなってセカンド上田藤夫が一塁に転送するがファースト森田定雄が後逸する間に五味がホームに還って2-0というところでしょうか。二死一三塁となって一走浅原がディレードスチール、キャッチャー日比野武からセカンド上田に送球されるが浅原が一二塁間でストップして時間を稼ぐ間に三走岩田がホームイン、浅原はタッチアウトとなるが岩田次男の生還が早くこの回2点、3-0とする。浅原に盗塁死が記録されているので岩田には本盗は記録されない。

 朝日は5回、一死後室脇正信が三塁に内野安打、トップに返り坪内道則の二ゴロの間に室脇が二進、五味の左前タイムリーで4-0、着々と加点する。

 朝日は8回、先頭の坪内が中前打、五味が四球を選び、ワイルドピッチで無死二三塁、岩田の三塁内野安打がタイムリーとなって5-0、浅原は浅い左飛に倒れて一死一三塁、林の三ゴロの間に三走五味が還って6-0とする。

 朝日先発の林安夫は快調なピッチングを続けた。打たれたヒットは初回上田の中前打と、5回日比野のセンター左へのヒット2本だけ。6度の三者凡退を記録し、2安打2四球1三振で今季10度目の完封、21勝目をあげる。打っても2回にはこの試合両軍唯一の長打となる三塁打を放って先制のホームを踏む活躍であった。


 9月24日の後楽園の2試合は「飛ぶボール」を使用して打撃戦であったが、甲子園では「飛ばないボール」が使われたようだ。


 

17年 大和vs阪神 11回戦


9月24日 (木) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0   0   0  0 大和 19勝48敗9分 0.284 石原繁三
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0   0   0  0 阪神 39勝34敗4分 0.534 玉置玉一

二塁打 (和)富松 (神)塚本

勝利打点 なし

猛打賞 (神)塚本博睦 2


石原-玉置の投げ合いで12回引分け

 大和は9残塁、阪神は12残塁。両軍走者は出したが決め手を欠いて延長12回引き分けた。

 阪神は4回、先頭の塚本博睦が左中間に二塁打、藤井勇は三邪飛に倒れるが、山口政信はストレートの四球で一死一二塁、門前真佐人の三ゴロはサード玉腰忠義がベースを踏んで二死一二塁、カイザー田中義雄がライト線にヒットを放って二死満塁、しかし玉置玉一は右飛に倒れてスリーアウトチェンジ。

 阪神は5回、一死後乾国雄が左前打で出塁、三輪裕章が送って二死二塁、トップに返り塚本が左前打を放って二死一三塁、しかし藤井は中飛に倒れてこの回も無得点。この2イニングで点が取れなかったことが引き分けの要因となった。

 阪神は9回裏、先頭の玉置が三前にセーフティバントを決めて出塁、野口昇が送って一死二塁、乾は四球、三輪裕章に代わる代打御園生崇男は左飛に倒れるが、トップに返り塚本が猛打賞となる3安打目を右前に放ち二死満塁と最後のチャンス、しかし藤井は一ゴロに倒れて延長戦に突入。

 阪神は10回裏、先頭の山口がセンター右にヒットを放つが二塁を欲張ってタッチアウト。

 大和は11回、二死後金子裕が三遊間に内野安打、木下政文が左前打を放って二死一二塁、しかし富松信彦は右飛に倒れてスリーアウトチェンジ。

 大和は12回、一死後小松原博喜がストレートの四球で出塁、しかし石原繁三の一邪飛に小松原が戻れずダブルプレー。

 阪神は12回裏、二死後藤井が四球を選んで代走に松尾五郎を起用するが、山口は二ゴロに倒れて引き分く。


 石原繁三は12回を完投して10安打3四球3三振無失点。玉置玉一も12回を完投して8安打3四球3三振無失点であった。


 

三冠への道 2015 その12 あわやサイクルホームラン



 トロント・ブルージェイズのエドウィン・エンカーナシオンがスリーラン、ツーラン、満塁ホームランを放って5打数3安打9打点を記録。ソロホームランさえ打っておけばサイクルホームランでした(笑)。8月の月間MVPは同僚のジョシュ・ドナルドソンが有力でしたが、一気にエンカーナシオンが最有力候補に躍り出ています。


 日本の一試合最多打点記録は飯島滋弥の11打点、大リーグ記録は1924年のジム・ボトムリーと1993年のマーク・ホワイテンの12打点になります。


http://m.mlb.com/video/topic/70087564/v425809783/dettor-encarnacion-hits-his-third-homer-of-the-game





*1928年MVPのジム・ボトムリー。古いカードではないので高額カードではありません。




 

2015年8月29日土曜日

オコエの脚



 今の走塁見ました?


 中継は録画がリアルか知りませんが、BS朝日のU-18を見ましょう(笑)。
 

 オコエの走塁、清宮の大ファウル、見応え十分ですね。


 佐藤世那がフォークだらけなのがちょっと不満ではありますが。


 

17年 大洋vs巨人 11回戦


9月24日 (木) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 0 4 1 0 0 6 大洋 46勝25敗5分 0.648 三富恒雄 野口二郎
0 1 0 2 0 0 0 2 0 5 巨人 51勝22敗4分 0.699 須田博
 
勝利投手 野口二郎 29勝11敗
敗戦投手 須田博     14勝6敗

二塁打 (大)野口明、佐藤
三塁打 (巨)呉2
本塁打 (巨)中島 4号、伊藤 3号

勝利打点 佐藤武夫 4

猛打賞 (大)野口明 1


佐藤武夫、満塁走者一掃の逆転二塁打

 翌日の読売新聞の書き出しは「この試合も長打の頻発応酬となって観衆を無性に悦ばせた」。
 大洋は初回、先頭の中村信一がストレートの四球で出塁、濃人渉が送って一死二塁、村松長太郎は三振に倒れるが、野口明が右中間に二塁打を放って1点を先制する。


 巨人は2回、先頭の中島治康がレフトスタンドに第4号の同点ホームランを叩き込んで1-1に追い付く。

 巨人は4回、先頭の中島が左前打で出塁、続く伊藤健太郎がレフトスタンドに第3号ツーランを叩き込んで3-1とリードする。

 大洋は6回、先頭の村松が四球で出塁、野口明は中前打、野口二郎の中飛に二走村松が戻れずダブルプレー、織辺由三はストレートの四球で二死一二塁、浅岡三郎の中前打で二死満塁、山川喜作がストレートの押出し四球を選んで2-3、佐藤武夫が左中間に満塁走者一掃の逆転二塁打を放って5-3とリードする。

 大洋は7回、一死後村松が三塁に内野安打、野口明の二ゴロをセカンド坂本茂がエラーして一死一二塁、野口二郎の遊ゴロの間に二者進塁して二死二三塁、織辺の三塁内野安打で1点を追加して6-3と突き放す。

 巨人は8回、先頭の呉波が右中間に三塁打、青田昇が中前にタイムリーを放ち4-6、白石敏男がレフト線に二塁打を放って無死一二塁、中島は三飛に倒れるが、伊藤が中前打を放って一死満塁、坂本の右犠飛で5-6と1点差に追い上げる。

 巨人は9回裏、一死後須田博がレフト前にヒット、トップに返り呉は右飛に倒れて二死一塁、青田は二飛を打ち上げて万事休すと見られたがセカンド山川が落球して二死一三塁、しかし野口二郎が白石を三振に打ち取り大洋が打ち合いを制す。


 

2015年8月28日金曜日

17年 名古屋vs南海 11回戦


9月24日 (木) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 1 0 0 0 0 2 3 名古屋 26勝47敗4分 0.356 石丸進一 西沢道夫
1 0 3 1 0 0 0 1 X 6 南海    38勝38敗 0.500 神田武夫 川崎徳次

勝利投手 川崎徳次 12勝10敗
敗戦投手 石丸進一 11勝14敗

二塁打 (名)石丸進一 (南)国久、猪子、岩本義行
本塁打 (名)古川 6号

勝利打点 国久松一 4

猛打賞 (南)岩本義行 7


南海、打ち合いを制す

 この試合では「飛ぶボール」が使用されたことが判明している。翌日の読売新聞は「飛ぶボールを使用すると効果覿面両軍ともに頻りと痛打を放って試合は久し振りに非常な活況を呈した」と伝えている。

 南海は初回、先頭の柳鶴震が左前打、レフト吉田猪佐喜がエラーする間に柳は二塁に進み、猪子利男が三前に送りバントを決めて一死三塁、国久松一が右中間に二塁打を放って1点を先制する。

 南海は3回、先頭の荒木正が左前打で出塁、トップに返り柳が送って一死二塁、猪子の左前打で一死一三塁、次のプレーは国久の投ゴロで「1FC-4」で三走荒木は動かず一死満塁と記録されている。投ゴロを捕球したピッチャー石丸進一が三走荒木を牽制してから二塁に送球したが一瞬遅れてセーフとなり野選が記録されて、三走荒木はそのまま三塁ストップというところでしょうか。続く岡村俊昭の二ゴロで三走荒木は本封されて二死満塁、中野正雄が左前に2点タイムリーを放って3-0、スタメンは外れたが3回途中の守備からセンターに入っている岩本義行が左前にタイムリーを放って4-0とリードを広げる。

 名古屋は4回、先頭の古川清蔵がレフトスタンドにライナーで叩き込む第6号ホームランを放って1-4、続く小鶴誠はストレートの四球、南海ベンチはここで先発の神田武夫から川崎徳次にスイッチ、桝嘉一が左前打を放って無死一二塁、しかし第一打席で二塁打を放った石丸進一の当りはサードライナーに終わり一死一二塁、芳賀直一は捕邪飛、トップに返り石丸藤吉は遊飛に倒れてチャンスを潰す。

 名古屋は4回から先発の石丸進一に代えて西沢道夫をマウンドに送る。

 南海は4回裏、先頭の増田敏が四球を選んで出塁、荒木は中飛に倒れ、トップに返り柳も右飛に倒れて二死一塁、猪子の左中間二塁打で一走増田がホームに還って5-1と突き放す。

 南海は8回、先頭の岩本がレフト線に二塁打、川崎の三ゴロをサード芳賀が一塁に悪送球、二走岩本は動けず無死一二塁、増田の遊ゴロの間に二者進塁して一死二三塁、荒木が中前にタイムリーを放って6-1とダメ押す。

 名古屋は9回、一死後本田親喜が四球で出塁、吉田は中飛に倒れるが、古川の左前打で二死一二塁、小鶴の中前打で二死満塁、桝がレフト線に2点タイムリーを放って3-6、しかし西沢は左飛に倒れて反撃もここまで。


 南海は10安打で二塁打3本、名古屋は11安打で二塁打1本、本塁打1本。活況を呈した打ち合いを南海が制した。


 古川清蔵は6号ホームランを放ち、岩本義行と並んで本塁打王争いトップタイに並んだ。その岩本義行は7度目の猛打賞を記録して、6個で並んでいた中島治康を抜いて猛打賞王争いで単独トップに立った。


 

2015年8月27日木曜日

17年 阪神vs巨人 11回戦


9月22日 (火) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 1 0 0 0 1 2 阪神 39勝34敗3分 0.534 御園生崇男
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 巨人 51勝21敗4分 0.708 中尾輝三

勝利投手 御園生崇男 11勝10敗
敗戦投手 中尾輝三     13勝8敗

二塁打 (神)塚本 (巨)小暮、坂本

勝利打点 塚本博睦 1



中尾輝三、戦前最後の登板

 阪神は2回、一死後カイザー田中義雄が左前打で出塁、御園生崇男の三前バントが犠打となって二死二塁、しかし二走田中はピッチャー中尾輝三からの牽制球にタッチアウト。

 阪神は5回、二死後三輪裕章が四球で出塁すると二盗に成功、塚本博睦がレフト線に二塁打を放って1点を先制する。

 巨人は5回裏、先頭の坂本茂が左前打で出塁、小池繁雄が送って一死二塁、しかし中尾は左飛、トップに返り呉波も左邪飛に倒れて無得点。

 巨人は6回、先頭の白石敏男がレフト線にヒット、楠安夫は中飛に倒れるが、中島治康の左飛をレフト山口政信が落球して一死一二塁、しかし伊藤健太郎の投ゴロが「1-6-3」と渡ってダブルプレー。

 巨人は8回、先頭の中尾がストレートの四球で出塁、トップに返り呉も四球、白石が一塁線に送りバントを決めて一死二三塁、楠も四球を選んで一死満塁として打席に四番中島を迎える。阪神ベンチはここで守備陣を変更、レフトの山口に代えて松尾五郎を入れ、ファーストの門前真佐人を下げてライトの藤井勇をファーストに回し、ライトに金田正泰を入れた。戦場から還って間もない山口政信の守備には不安が残るようで、外野守備を固める布陣を敷いたのである。ここで中島の打球はレフトに上がり、代わったばかりの松尾が捕球すると三走中尾がスタート、しかし松尾からのバックホームにタッチアウト、阪神のベンチワークが勝利した瞬間であった。

 阪神は9回、一死後土井垣武が二遊間に内野安打、野口昇が四球を選んで一死一二塁、三輪裕章の三前バントが内野安打となって一死満塁、トップに返り塚本は一邪飛に倒れて二死満塁、藤井が押出し四球を選んでダメ押しとも言える2点目をあげる。

 巨人は9回裏、二死後坂本が右中間に二塁打を放ち、小池に代えて期待のルーキー青田昇を代打に送るが中飛に倒れてゲームセット。水原、川上を欠いた巨人に反撃の力は残されていなかった。


 御園生崇男は5安打5四球4三振で今季3度目の完封。巨人の完封負けは6月13日に函館で南海・川崎徳次に喫して以来となる。


 中尾輝三は9回を完投して6安打7四球2三振。中尾はこの試合を最後に戦場に赴き、これが戦前最後の登板となった。最後の失点が押出し四球、最後まで中尾らしさを貫いた。戦後も巨人の主力投手として投げ続けることとなり昭和23年には27勝をマークして最多勝。現役引退後も長くコーチ、二軍監督を務め、野球殿堂入りすることとなる。


 土井垣武もこの試合を最後に応召、戦前最後の試合であった。戦前も強打の片鱗をみせてきたが、本領を発揮するのは戦後のこととなる。阪神に復帰して‟ダイナマイト打線”の主軸となり、二リーグ分裂時に毎日に移籍してパリーグ初年度優勝に貢献、初の日本シリーズでも四番を打って初代チャンピオンに輝くこととなる。






*御園生崇男は完封で11勝目。中尾輝三は戦前最後の登板となった。






 

2015年8月25日火曜日

17年 名古屋vs阪急 11回戦


9月22日 (火) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 名古屋 26勝46敗4分 0.361  石丸進一 西沢道夫
1 0 0 2 0 0 0 0 X 3 阪急    38勝35敗3分 0.521  天保義夫 森弘太郎

勝利投手 天保義夫   4勝4敗
敗戦投手 石丸進一 11勝13敗
セーブ      森弘太郎 5

二塁打 (名)古川

勝利打点 なし


森弘太郎好リリーフ

 名古屋は初回、先頭の石丸藤吉は左飛、続く岩本章もレフトにフライを打ち上げるが山下好一が落球する間に打者走者の岩本は二塁に達し、本田親喜がレフト線にタイムリーを放って1点を先制する。

 阪急は1回裏、先頭の西村正夫がストレートの四球で出塁、フランク山田伝も四球を選んで無死一二塁、上田藤夫が一塁線に送りバントを決めて一死二三塁、黒田健吾の遊ゴロで三走西村がホームを狙うが、ショート木村進一からのバックホームにタッチアウト、二走山田は動けず二死一二塁、続く森田定雄がレフト線に同点タイムリーを放って1-1と追い付く。

 阪急は4回、中村栄、天保義夫が連続四球を選んで無死一二塁、トップに返り西村の投前送りバントはピッチャー石丸進一が好フィールディングを見せて二走中村を三塁に刺し一死一二塁、続く山田の一ゴロをファースト本田がエラーする間に二走天保が一気にホームに還り2-1と勝越し、一死一三塁から上田は浅い左飛に倒れて二死一三塁、黒田の三ゴロをサード芳賀直一が一塁に悪送球する間に三走西村が還り3-1とする。

 名古屋は5回途中から先発の石丸進一に代わって西沢道夫がマウンドに上がる。

 名古屋は7回、先頭の古川清蔵が左中間に二塁打、小鶴誠は四球を選んで無死一二塁、木村は三振、西沢の遊ゴロで小鶴が二封されて二死一三塁、芳賀が四球を選んで二死満塁、阪急ベンチはここで先発の天保から森弘太郎にスイッチ、石丸藤吉は投ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。


 リリーフの森弘太郎は2回3分の1を1安打1四球無三振無失点に抑えて今季5セーブ目をマーク、4個で並んでいた神田武夫を抑えて現在セーブ王。


 名古屋リリーフの西沢道夫も4イニングを無安打無四球1三振無失点に抑える好投を見せた。
 阪急の一番ライト西村正夫については、「野球界」昭和17年10月1日号に「(8月の=筆者注)東西対抗の第一戦に出場して応召」という記事が見られるが、9月の試合には出場している。ネットで調べてみると、「Sponichi Annex」の「日めくりプロ野球10年2月 」の「2月5日」の記事に、「西村自身も召集令状が来たが、本人曰く『背が低いから現地で“お前はいらん”とはじかれてね。お陰で命拾い。ずっと野球ができた』」と書かれている。昭和17年の頃は日本はまだ本気で勝つ気だったようで、体の小さい西村は軍隊に行ったが追い返されたようである。小さいと言っても野球選手ならの話で、一般人に混ざれば追い返されるほど小さかったとは思えませんが。これが昭和も19年頃であれば、誰でも彼でも戦場に送り込まれていたでしょう。



 

2015年8月23日日曜日

17年 第17節 週間MVP



 秋季リーグ戦開幕の今節は大洋が4勝1敗、巨人が3勝1敗1分、阪急が2勝2敗1分、阪神が2勝2敗1分、朝日が2勝3敗、南海が2勝3敗、名古屋が1勝2敗2分、大和が1勝3敗1分であった。


週間MVP

投手部門

 大洋 野口二郎 5

 今節2勝0敗1セーブ。

 阪神 若林忠志 4

 今節2勝0敗1分。執念のピッチングであった。


打撃部門

 名古屋 小鶴誠 1

 今節22打数9安打。「飯塚誠」から「小鶴誠」に変わって気が楽になったようだ。

 巨人 呉波 2

 今節17打数5安打3得点3打点5四球。2試合連続勝利打点を記録した。

 阪急 森田定雄 1

 今節22打数6安打4得点3打点。



殊勲賞

 大洋 三富恒雄 7

 9月12日の大洋戦で無四球完封。

 朝日 鬼頭政一 2

 2試合連続勝利打点。

 名古屋 古川清蔵 1

 9月12日の朝日戦で8回裏逆転スリーラン。


敢闘賞  

 巨人 青田昇 1

 今節17打数6安打4得点2打点。応召した水原茂の穴を埋める活躍。

 阪急 上田藤夫 3

 今節17打数6安打5四球、出塁率5割をマークした。

 南海 柳鶴震 3

 今節22打数6安打。現在10試合連続安打を継続中である。
 
 大洋 織辺由三 1

 今節14打数5安打3四球。九番打者として貴重なつなぎ役。14日の阪神戦では五番にも抜擢された。


技能賞

 阪急 中島喬 1

 9月12日の大洋 戦ではレフトの守備で一イニング2補殺を記録する。

 大和 玉腰忠義 1

 9月16日の 巨人戦でサイクルスチールを達成する。

 名古屋 芳賀直一 2

 今節19打数6安打を記録。


 

50年




 高校野球は100年ですが、筆者が見てきた高校野球は今年で50年となりました。小学校1年生時代の1965年、銚子商業が準優勝した第47回全国高等学校野球選手権大会が最初の甲子園です。まだ「野球」を見ていた訳ではなく、千葉県市川市の小学校1年生は銚子商業の阿天坊に魅せられていました。以来、この目で見てきたベストメンバーを選んでみましょう。


投手:江川(作新) 江川以上の衝撃を受けることは金輪際あり得ないでしょう。江川の名前を初めて知ったのは彼が高1の秋の関東大会です。スポーツ紙にデカデカと紹介されていた記事を、中学1年生の筆者が東西線で隣の人が読んでいた新聞を覗きこんでいたら、その方が電車を降りる時に「見るか」と言って置いていってくれたのです。当時やっていたサイコロ野球の「高校選抜チーム」ではエースが1年上の成東の鈴木孝政、準エースが江川と、甲子園に出ていない二人を二本柱にしていました。3年春のセンバツに出てきた時は、テレビに映るブルペンのピッチングを見て驚き、三振を繰り返す北陽の打者が初めてファウルチップした時のどよめきもリアルタイムで聞いていました。

 次点候補は成東の鈴木孝政、横浜の永川、長崎海星の酒井、鹿児島商業の堂園、享栄の近藤、東亜学園の川島などが考えられますが、桐光学園の松井裕樹としておきます。球のキレという点では、江川より上だったかもしれません。


捕手:堀場(丸子実業) キャッチャー三羽烏を選べば丸子実業の堀場、東邦の山倉、江の川の谷繁で決まりでしょう。その次が新居浜商業の続木、印旛の月山、光星学院の田村でしょうか。話題性では浪商の香川もありますが、甲子園で評判になったキャッチャーと言えば、堀場、山倉、谷繁となります。次点は山倉ですね。東邦高校時代は毎試合3安打打ってた印象です。


一塁手:阿久沢(桐生) その素質は王以上とも言われました。高校卒業後は群馬大学準硬式野球部に進み、筆者も試合をやったことがあります。次点候補は広島商業の楠原、天理のマックス佐藤、PLの清原もいますが、早実の清宮とさせていただきます。阿久沢を抜くかもしれませんね(笑)。

二塁手:中村孝(鹿児島実業) 昭和49年夏の甲子園準々決勝、東海大相模との激闘は延長15回、鹿実が勝利しましたが、延長12回裏に抜けたらサヨナラの場面で見せた中村孝のダイビングキャッチは「甲子園史上最高のファインプレー」と言われています。次点候補は広島商業の川本、早実の小沢となります。異例ではありますが、次点は川本、小沢の二人とさせていただきます。お二人とも早逝されました。

三塁手:篠塚(銚子商業) 昭和50年甲子園優勝の時は2年生でした。小柄ながらホームランも打つスラッガーでしたが、三塁線の打球に飛び込む守備が印象的でした。巨人では二塁手となりましたが、銚子商業時代は三塁手でした。次点は東海大相模の原で決まりでしょう。筆者と同年代で、目の前で保土ヶ谷球場の左中間スタンド中段に叩き込んだホームランを見たことがあります。次々点は銚子商業の磯村、高知商業の明神、鹿児島実業の内之倉とさせていただきます。

遊撃手:阿天坊(銚子商業) 筆者の野球の原点です。小学校1年生で阿天坊を知らなければ、間違いなく違った人生を歩んでいたはずです。当ブログのアクセス数No1も2011年1月31日付けブログ「木樽と言えば阿天坊」です。光栄なことに、「Wikipedia」の「阿天坊俊明」の項でも当ブログが「脚注」に紹介されています。

 次点候補は数多くいます。習志野のショートだった掛布は昭和48年にハワイ選抜チームと対戦した千葉県選抜チームではセカンドをやっていました。筆者と同学年の3人、東洋大姫路の弓岡、静岡商業の久保寺、銚子商業の宇野。フィールディングでは弓岡、総合力では久保寺、長打力では宇野でしたね。宇野の2年時は1年上の篠塚と三遊間を組んでいました。プロでタイトル(篠塚:首位打者、宇野:本塁打王)を獲得した三遊間コンビは、高校野球史上「サード篠塚、ショート宇野」のコンビだけです。天理の鈴木康友、上宮の元木、大阪桐蔭の浅村、東海大甲府の渡邉も候補ですが、次点は掛布とします。


外野手:藤王(東邦)、植松(静岡)、吉近(津久見) 打撃センスでは藤王が歴代No1ではないでしょうか。植松、水野、白鳥のクリーンアップトリオは公立高校史上最強でしょう。昭和47年の甲子園では1回戦を勝った時点で「津久見優勝!」と予想して的中させました。太平洋に行った中川と共に、吉近の強打が目を引きましたね。

 次点候補は、外野で使いたい池田の水野、済美の鵜久森、PLの福留、これ又外野で使いたい花巻東の大谷というところですが、「打者大谷」を次点にさせていただきます。


 

17年 朝日vs大洋 11回戦


9月20日 (日) 横浜公園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 0 0 0 2 0 3 朝日 32勝40敗3分 0.444 内藤幸三 福士勇
0 3 0 0 0 0 2 1 X 6 大洋 45勝25敗5分 0.643 野口二郎
 
勝利投手 野口二郎 28勝11敗
敗戦投手 内藤幸三   0勝4敗

二塁打 (朝)広田、浅原 (大)織辺、佐藤

勝利打点 山川喜作 2


内野安打二塁打

 横浜公園球場の第二試合は野口二郎と内藤幸三の先発で午後3時2分、島秀之助主審の右手が上がり試合開始。

 この日の横浜は雨は上がって晴天ではあったが風が強く、試合にも影響を与えた。

 朝日は初回、先頭の坪内道則が左前打で出塁、五味芳夫が送って一死二塁、鬼頭政一の遊ゴロをショート濃人渉がエラーして一死一三塁、浅原直人の右前タイムリーで1点を先制する。

 大洋は2回、先頭の織辺由三が左中間に二塁打、浅岡三郎は四球、パスボールで二者進塁して無死二三塁、山川喜作が左前に逆転の2点タイムリーを放ち2-1、佐藤武夫が送って一死二塁、トップに返り中村信一の遊ゴロの間に二走山川は三進、濃人の左前タイムリーで3-1とする。

 朝日は4回、一死後広田修三の当りはセンター方向への飛球となったが海からの強い風に押し戻され、ポトリと落ちて広田は二塁に達した。記録は「セカンドへの内野安打二塁打」。伊勢川真澄は三邪飛、室脇正信は三ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。

 大洋は7回、先頭の中村が右前打で出塁、濃人の三ゴロでランナーが入れ替わり、村松長太郎の左前打で一死一二塁、野口明は三邪飛に倒れて二死一二塁、野口二郎が中前にタイムリーを放って4-1、織辺が四球を選び二死満塁、浅岡が押出し四球を選んで5-1と突き放す。

 朝日は8回、先頭の坪内が粘って四球を選び、五味の三ゴロの間に坪内が二進、鬼頭のピッチャー強襲ヒットで一死一三塁、浅原のセンター方向への飛球も強風にあおられてポトリと落ち「セカンドへの内野安打二塁打」、坪内が還って2-5として一死二三塁、岩田次男の左犠飛で3-5と追い上げる。

 大洋は8回裏、先頭の佐藤がレフト線に二塁打、トップに返り中村は左飛に倒れるが、濃人の左前打で一死一三塁、村松の三ゴロ併殺崩れの間に佐藤が還って6-3とダメ押す。


 野口二郎は最終回、2本のヒットを許したが併殺で切り抜け、8安打2四球2三振の完投で28勝目をあげる。



*この日の天候は「晴、雨上がり、風あり」。






*「雑記」欄に書かれた山内以九士の記述は例によって解読難解であるが、風の影響で外野フライが二塁打になったと書かれている。





*広田修三の第二打席は「セカンドへの内野安打二塁打」。二重線の山形は「内野安打」
のことで、下に「2」となっているのが「二塁打」のことです。






*浅原直人の第四打席も「セカンドへの内野安打二塁打」であった。


 

2015年8月22日土曜日

17年 大和vs南海 11回戦


9月20日 (日) 横浜公園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 大和 19勝48敗8分 0.284 畑福俊英
0 0 1 0 1 0 0 0 X 2 南海 37勝38敗 0.493 神田武夫

勝利投手 神田武夫 20勝15敗
敗戦投手 畑福俊英   2勝10敗

二塁打 (南)岡本、猪子

勝利打点 国久松一 2


神田武夫、渾身の投球で20勝到達

 19勝に到達したのは神田武夫が8月5日、林安夫は8月10日、広瀬習一は8月11日。

 広瀬は8月14日に20勝到達、林も9月16日に20勝到達、神田は未だ19勝である。

 その神田が渾身の投球で20勝に到達した。


 神田は初回、山田潔を投飛、木村孝平を三ゴロ、玉腰忠義を遊飛に打ち取り波に乗った。

 2回、四番・金子裕を投ゴロ、木下政文を三ゴロ、小松原博喜を二ゴロに打ち取る。3回、杉江文二を左飛、宗宮房之助の遊ゴロはショート柳鶴震がエラー、畑福俊英を三振に打ち取るが、トップに返り山田に四球を与えて二死一二塁、ここは木村を遊飛に抑えてここまで無安打無得点。

 4回、玉腰を中飛、金子を右飛、木下を遊ゴロに打ち取る。5回、小松原を二ゴロ、杉江に代わる代打谷義夫を遊ゴロ、宗宮に代わる代打富松信彦を中飛に打ち取る。6回、畑福を三ゴロに打ち取るが、トップに返り山田に四球を与える。しかし木村の三ゴロで畑福を二封、玉腰を遊飛に打ち取り依然無安打無得点。

 7回、先頭の金子にストレートの四球、木下にもストレートの四球を与えて無死一二塁のピンチ、しかし小松原を遊ゴロ併殺に打ち取り二死三塁、谷義夫を遊ゴロに打ち取りこの回も無失点。8回、富松を二ゴロ、畑福を三振、トップに返り山田も三振に打ち取りノーヒットノーランが見えてきた。


 南海は3回、先頭の荒木正の打球は三ゴロ、これをサード宗宮が一塁に悪送球して打者走者の荒木は二塁に進み、トップに返り好調・柳の左前打で無死一三塁、猪子利男は三振に倒れて一死一三塁、国久松一の遊ゴロの間に三走荒木が還って1点を先制する。

 南海は5回、先頭の猪子が左中間に二塁打、国久は捕邪飛に倒れるが、岡村俊昭の一ゴロの間に二走猪子は三進、中野正雄の左前タイムリーで1点を追加して2-0とする。結果的にこの1点が効いた。

 8回まで無安打無得点を続けてきた神田は9回、先頭の木村に左前打を打たれて夢は潰える。この一打で気落ちしたのか続く玉腰にも右前打を許して無死一二塁、金子の二ゴロで玉腰を二封して一死一三塁、木下の左犠飛で三走木村が生還して1-2と1点差に迫られ、小松原に中前打を許して二死一二塁とするが、最後は谷を二ゴロに打ち取り完投で20勝に到達する。


 神田武夫は3安打4四球3三振1失点、8回まで無安打に抑える渾身のピッチングであった。





*神田武夫は8回まで無安打ピッチング。










*神田武夫に抑え込まれた大和打線。





 

2015年8月21日金曜日

100年



 1915(大正4)年に豊中グラウンドで始まった全国中等学校野球大会は、1917(大正6)年から鳴尾球場に移転、鳴尾球場は鳴尾競馬場の中にありました。野球界では夏の大会を競馬場の中で行ったことを「負の歴史」と考えているようですが、競馬界では今も「鳴尾記念」が行われています。今では高校野球といえば「甲子園」が常識ですが、甲子園球場で全国中等学校野球大会が行われるのは1924(大正13)年からのこととなります。


 100年目の2015年、第97回大会は当ブログの予想がハズレて東海大相模が優勝して幕を閉じました。当ブログの間違いは、小笠原の先発がそもそもの始まりで、育英が先制すれば後がない相模が焦って育英有利と見ていたのですがあっさりと相模が先制。佐藤世那は連投の疲れからか初回から球が上ずり、打たれた3本のヒットはストレート、スライダー、フォークが高めに抜けた甘い球でした。これでどの球を主体に行けば分からなくなり前半失点を重ねます。中盤からスライダーが決まるようになってようやくフォークも効果的となり、同点に追い付いた場面では期待が膨らみましたが、吉田との継投で温存されてきた小笠原とは最後にスタミナの差が出てホームランを打たれました。1点で抑えておけばまだ分からなかったのですが、限界だったようです。退路を断って背水の陣を敷き小笠原と心中した東海大相模・門馬監督の戦略勝ちでした。


 100年目なら101回大会のハズですが97回大会となった理由は1942年~1945年は戦争の影響で中止されたからです。97回大会でありながら今年の東海大相模は述べ95校目の優勝校となります。1918(大正7)年の第4回大会は「米騒動」のため中止、1941(昭和16)年の第27回大会は一部では地区予選だけ行われましたが「戦局の深刻化」のため本大会は中止されました。この2大会は通算回数にはカウントされていますが野球はやっていません。逆に、1942(昭和17)年には「文部省、学徒体育振興会」主催の「全国中等学校体育大会野球大会」が甲子園球場で行われて徳島商業が優勝しましたが、この大会は通算回数にカウントされておらず「幻の甲子園」と呼ばれています。


 終戦翌日の昭和20年8月16日、佐伯達夫が朝日新聞大阪本社を訪ね、「全国中等学校野球大会」の復活を訴えました。佐伯と共に朝日新聞の芥田武夫が全国を駆け巡り「全国中等学校野球連盟支部」の結成を説いて回り、不可能と言われた「全国大会」は1946(昭和21)年の夏に西宮球場で復活しました(「野球雲」第5号、拙著参照)。以来、中止の危機に陥ることなく今日の隆盛につながっています。


 

17年 阪急vs阪神 12回戦


9月19日 (土) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 計
0 1 0 0 0 1 0 0 0  0  2 阪急 37勝35敗3分 0.514 森弘太郎
0 0 0 0 0 0 0 0 2  0  2 阪神 38勝34敗3分 0.528 若林忠志

二塁打 (急)日比野

勝利打点 なし


森と若林で引分け

 阪急の先発は森弘太郎、阪神は若林忠志。二人とも連投となるが前の試合は9月16日なので休養十分。

 阪急は2回、一死後森田定雄がストレートの四球で出塁、小田野柏が送って二死二塁、日比野武が左中間に二塁打を放って1点を先制する。

 阪急は6回、一死後フランク山田伝がレフト線にヒットを放ち出塁、上田藤夫はツーナッシングと追い込まれるが4球ファウルで粘り、8球目に山田が二盗に成功、上田は四球を選んで一死一二塁、黒田健吾は左飛に倒れて二死一二塁、森田が中前にタイムリーを放って2-0とする。

 8回まで森弘太郎に2安打無得点に抑えられてきた阪神は9回、一死後塚本博睦が四球から二盗に成功、藤井勇は中飛に倒れて二死二塁、山口政信が左前打を放って二死一三塁、山口が二盗を決めて二死二三塁、門前真佐人が中前に起死回生の同点2点タイムリーを放ち土壇場で2-2と追い付く。

 阪急は10回表、二死後黒田がストレートの四球で出塁、森田の右前打で二死一二塁、しかし小田野は一ゴロに倒れて無得点。阪神の10回裏は三者凡退。

 7回裏から雨が降り始めたこの試合は10回で雨脚が強くなり引分けに終わった。

 森弘太郎は10回を完投して4安打2四球3三振2失点。若林忠志も10回を完投して7安打6四球1死球2三振2失点であった。


 阪急は森田定雄が4打数2安打1得点1打点で全得点に絡み、阪神は門前真佐人が2打点であった。




*森弘太郎と若林忠志との投げ合いは延長10回引分け。






*7回裏から雨が降り始め、10回には雨脚が強くなった。




 

2015年8月19日水曜日

白河越え



 白河越えのカギは東海大相模の先発ピッチャーにあると考えています。


 吉田の先発で2巡目までを抑え、5回か6回から小笠原投入なら東海大相模有利。決勝ということで小笠原と心中なら後半勝負で仙台育英有利と見ます。


 接戦のまま終盤を迎えると甲子園の観衆の大半が育英の応援に回るでしょう。相模としては、勝つためには序盤でリードすることが必須となるのではないでしょうか。


 佐藤世那の連投を気にする向きがあるかもしれませんが、ここまで来ればメタボの大人たちが心配するほど疲れは感じないものです。試合開始時間は明日は午後1時。節電の影響で決勝の開始時間が10時ということもありましたが、少しでも前日の試合から時間が経過する方が回復するので、午後1時試合開始は健康のためにも良いと思います。涼しい午前中の方がいいと考えるのはメタボの大人たちの考えであり、10代の回復力は侮れませんよ。


 何れにせよ、甲子園史上に残る決勝戦となることでしょう。


 

17年 巨人vs名古屋 12回戦


9月19日 (土) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 計
0 0 0 0 0 0 0 1 0  0   0   0  1 巨人     51勝20敗4分 0.718 須田博
0 1 0 0 0 0 0 0 0  0   0   0  1 名古屋 26勝45敗4分 0.366 河村章 石丸進一

二塁打 (巨)須田
三塁打 (巨)楠

勝利打点 なし


河村章、川上哲治、戦前最後の試合

 巨人は川上哲治がスタメンを外れて三番ファーストに小暮力三を起用する。

 名古屋は2回、一死後古川清蔵が一塁に内野安打、小鶴誠も三塁に内野安打、木村進一がレフト線に先制タイムリーを放って1点をリードする。

 巨人は3回、一死後三好主がライト線にヒット、須田博がレフト線に二塁打を放って一死二三塁、トップに返り呉波の二ゴロで三走三好がホームを突くがセカンド石丸藤吉からのバックホームにタッチアウト、白石敏男は中飛に倒れて無得点。

 名古屋は4回、一死後小鶴が二遊間に内野安打、木村進一は捕邪飛に倒れるが河村章が左前打を放って一走小鶴は三塁に進み、送球の間に打者走者の河村も二塁に進んで二死二三塁、ここは「打走法」が掛かっていたか、しかし芳賀直一は三ゴロに倒れて無得点。

 巨人は5回、敵失と四球で一死一二塁のチャンスを迎えるが、呉は右飛、白石は三振に倒れてスリーアウトチェンジ。6回は先頭の小暮が四球で出塁するが二盗に失敗。

 巨人は7回、先頭の坂本茂が四球で出塁、三好に代わる代打青田昇が送りバントを決めて一死二塁、須田は右飛に倒れるが、トップに返り呉に代わる代打川上が四球を選んで二死一二塁とするが、白石は右飛に倒れて無得点。

 巨人は7回裏の守備からサード三好の代打に出た青田がセンターに入り、センター呉の代打に出た川上がファーストに入り、レフト林清一が下がり小池繁雄が入ってサード、ファースト小暮が下がり伊藤健太郎が入ってレフトの布陣を敷く。

 巨人は8回、二死後楠安夫が左中間に三塁打、小池に代わる代打永沢富士雄が左前に殊勲の同点タイムリーを放って1-1と追い付く。更に坂本が中前打で続いて二死一二塁、ここで二走永沢に代走隈部一郎が起用されるが、青田は三ゴロに倒れて追加点はならず。

 巨人は8回裏の守備から、サード小池に代打が出たのでキャッチャー楠がサードに回り、代走の隈部に代わってキャチャーに多田文久三が入る。

 名古屋先発の河村は8回で降板して9回から石丸進一が登板、石丸は12回まで無失点に抑えて引き分けた。

 須田博は12回を完投して11安打4四球6三振1失点。


 名古屋先発の河村章は8回を投げて5安打5四球3三振1失点。河村はこの試合を最後に応召することとなり、戦前最後の登板となった。戦後は八幡製鉄で昭和21年、22年の都市対抗に出場し、昭和23年には金星でプロに復帰することとなる。


 2回に先制タイムリーを放つなど5打数2安打1打点の活躍を見せた木村進一は20日の阪急戦を最後に兵役に就くこととなり、6回の左前打がプロでの最後のヒットとなった。木村は戦場で右手首を失うが、戦後は「西村」姓となって母校平安の監督となり、甲子園制覇に導くこととなる。


 7回の代打から途中出場した川上哲治もこの日が戦前最後の試合となった。巨人は水原茂が既に応召、広瀬習一も虫垂炎で離脱してそのまま兵役に就く。8回に代走で出場した隈部一郎もこの試合を最後に戦場に旅立ちプロでの最後の出場となった。


 

2015年8月17日月曜日

イチローとグレートセイカン



 イチローとグレートセイカンの共通項が分かる人この指止~ま~れ~~(笑)。


 イチローが日米通算安打数でタイ・カッブの記録を抜きました。


 筆者がタイ・カッブを知ったのは中学時代に神保町の書泉グランデで買った「タイ・カップ自伝」を読んだ時です。日本では張本が3000本を記録するのがその10年近く後のことで、世の中には凄い記録があるもんだなぁ~と思ったものです。当時だと川上や榎本の2300本くらいが日本記録だったと思います。


 筆者がグレートセイカンを知ったのは高校3年の時です。夏休みの北海道への修学旅行の週が1976年の札幌記念でした。この年の札幌記念には天馬トウショウボーイが出走を表明しており、ダービーでトウショウボーイを破ったクライムカイザーも追いかけるように出走することとなり、迎え撃つ「ダートの鬼」グレートセイカンとの対決が話題となりました。


 どのくらい話題になったかというと、札幌競馬場の入場者記録として現在も残る6万549人を記録した事実が全てを物語っています。ハープスターとゴールドシップが出走した2014年ですら4万6097人に過ぎなかったのですから(それでも大入りで話題になりましたね)、いかに凄かったかが分かるでしょう。


 レースの実況は修学旅行の帰りのフェリーでテレビを見ていたと記憶しています。トウショウボーイが出遅れ、逃げたグレートセイカンにクビ差まで迫ったところがゴールでした。


 さて、イチローの本名が鈴木一朗であることは多くの方がご存知だと思いますが、グレートセイカンの馬主の名前も何と「鈴木一朗」でした。イチローがタイ・カッブの記録を抜いた週に札幌記念が行われます。筆者が競馬を始めた年に史上最高の札幌記念に勝ったのが「鈴木一朗」が馬主のグレートセイカンだったのです。


*こちらは「ルーミンのたてがみ」と「職業野球!実況中継」のコラボネタとなりますので両方にアップさせていただきます。


 

史上2回目



 ベスト4は東日本が独占、これは夏の甲子園史上2回目のこととなります。


 前回は2009年ですが、中身が随分違います。2009年は県岐阜商、日本文理、花巻東、中京大中京と、東日本では関西に最も近い東海地区から2校と信越、東北でした。今回は関東が3校と東北が1校、東京は東西とも残りました。東京一極集中の経済状況の影響をストレートに受けています。


 かつては関西が強い時代もありました。ベスト4の独占は1921(大正10)年、1923(大正12)年、1929(昭和4)年、1972(昭和47)年、1990(平成2)年、1991(平成3)年と、6回もベスト4を関西勢が独占していた時代があったのです(注:1921年は西日本が3校と海外(大連商業)が1校、1929年は西日本が3校と海外(台北一中)が1校。)。「高校野球は西のもの」と言われていた時代でした。


 10年毎のベスト4進出校を関東、関西で見てみると、

 1950年代:東14校 西26校
 1960年代:東15校 西25校
 1970年代:東14校 西26校
 1980年代:東16校 西24校
 1990年代:東12校 西28校


ところが、

 2000年代:東21校 西19校
 2010年代:東15校 西 9校


となっており、21世紀になって東日本の優勢となってきたことが如実に現れています。2010年代の15校のうち、東北勢が延べ4校を占めているのも特徴的です。


 東北勢は、1910年代以来の優勢となっています。1915年の第1回から1919年の第5回大会までのベスト4は西日本9校、東日本7校(第4回大会は米騒動のため中止となっているのでサンプルは4年分となる)、東日本の7校のうち東北勢は第1回大会の秋田中学、第3回と第5回の盛岡中学と、延べ3校がベスト4に進出していたのです。東北は全国有数の強豪地域でした。


 今年は例年以上に東北勢の強さが目に付きます。3回戦、準々決勝と星のつぶし合いがあったので仙台育英しか上がってきませんでしたが、1989年(仙台育英、秋田経法大付)、2013年(日大山形、花巻東)以来となる2校進出があってもおかしくない状況でした。NHKに寄せられるファンの声援も、日増しに「東北に優勝旗を」との声が増えてきました。



 紫紺の優勝旗又は深紅の大優勝旗が白河の関を渡るのは、時代の要請となっているのです。


 

2015年8月16日日曜日

17年 阪急vs大洋 12回戦


9月16日 (水) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 0 0 0 0 1 2 阪急 37勝35敗2分 0.514 笠松実 森弘太郎
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 大洋 44勝25敗5分 0.638 三富恒雄

勝利投手 笠松実     13勝13敗
敗戦投手 三富恒雄 11勝9敗
セーブ     森弘太郎  4

勝利打点 黒田健吾 7


大洋、9連勝でストップ

 阪急は初回、先頭の西村正夫が四球で出塁、フランク山田伝が右前打、上田藤夫のバントが内野安打となって無死満塁、黒田健吾の三ゴロの間に三走西村が還って1点を先制、山下好一の三塁ライナーはサード中村信一がそのまま三塁ベースを踏んで無補殺併殺。

 阪急先発の笠松実はスコアリングポジションに走者を背負いながら得点を許さない。初回、一死後濃人渉に内野安打から二盗を許すが、村松長太郎を左飛、野口明を二飛に打ち取る。3回、一死後織辺由三、中村信一に連打を許し二塁牽制をセカンド上田が後逸して一死一三塁のピンチを迎えるが、濃人渉を二飛、村松を三ゴロに打ち取る。4回は野口明、二郎兄弟に連打を許して無死一二塁とするが、三富恒雄をセンターライナー、浅岡三郎を三邪飛、宇野錦次を右飛に打ち取る。6回は先頭の村松に四球を与えて二盗を許し、野口明を中飛に打ち取り一死二塁、野口二郎のショートライナーに二走村松が飛び出し中村栄が二塁ベースを踏んで無補殺併殺。

 7回は先頭の三富に中前打を打たれ、浅岡にストレートの四球、宇野の送りバントは一飛となって失敗、織辺由三を左飛に打ち取り二死一二塁、トップに返り中村信一に四球を与えて二死満塁、濃人の初球にボールをあたえたところで笠松は力尽き、森弘太郎がリリーフのマウンドに上がる。森は濃人を左邪飛に抑えてスリーアウトチェンジ。

 阪急は9回、一死後黒田が遊ゴロ、ショート中村栄からの送球をファースト野口二郎が落球、山下好一の三ゴロが「5-4-3」と渡るがセカンド宇野からの一塁送球が悪送球となって山下好一は二塁に進み二死二塁、森田定雄が左前に貴重な追加点となるタイムリーを放って2-0とする。

 リリーフの森は8回、9回を三者凡退に抑えて阪急が完封リレーで逃げ切る。10連勝を狙った大洋は9連勝でストップした。


 笠松実は6回3分の2を6安打3四球無三振無失点で13勝目をマーク。森弘太郎は2回3分の1を無安打無四球1三振無失点に抑えて4セーブ目、神田武夫と並んでセーブ王争いのトップに立った。


 貴重な追撃打を放った森田定雄は岐阜商業-阪急を通じて強打を見せて当ブログは「最も無名の最強打者」と呼んでいる。8月15日の季節になると、5人が戦死した岐阜商業の話がマスコミを賑わす。昭和11年の岐阜商業のメンバーはピッチャー松井栄造、キャッチャー加藤三郎、ファースト森田定雄、セカンド長良治雄、サード加藤義男、ショート近藤清である。ダイヤモンドを囲った6人のうち5人が戦死して森田定雄だけが生き残った。一人生き残った森田定雄が話題となることはない。


 

17年 阪神vs南海 12回戦


9月16日 (水) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 2 0 2 4 阪神 38勝34敗2分 0.528 藤村隆男 若林忠志
0 0 1 0 0 0 1 0 0 2 南海 36勝38敗 0.486 川崎徳次
 
勝利投手 若林忠志 17勝10敗
敗戦投手 川崎徳次 11勝10敗

三塁打 (神)塚本
本塁打 (南)岩本 6号

勝利打点 カイザー田中義雄 4

 南海は3回、先頭の荒木正がストレートの四球で出塁、トップに返り柳鶴震が右前打を放って無死一二塁、猪子利男は右飛に倒れるが国久松一が四球を選んで一死満塁、岩本義行が左前に先制タイムリーを放って1-0、続く岡村俊昭のカウントがツーボールナッシングとなったところで阪神ベンチは先発の藤村隆男を下げて若林忠志監督が自ら登板、岡村は捕邪飛に倒れる。

 盲腸が回復した川崎徳次は6回まで4安打無失点の投球を続ける。

 阪神は7回、先頭の若林が四球を選んで出塁、仁科栄三が送って一死二塁、三輪裕章に代わる代打御園生崇男が四球を選んで一死一二塁、トップに返り塚本の代打門前真佐人も四球を選んで一死満塁、松尾五郎の遊ゴロをショート柳が二塁に悪送球する間に三走若林に続いて二走御園生も還って2-1と逆転に成功する。松尾には1打点が記録された。

 阪神は7回から大幅に守備を入れ替えた。代打に出た門前がそのままマスクを被って先発マスクのカイザー田中義雄はサードに入り、ショートの三輪裕章に代打が出たのでサードの野口がショートに回り、代打に出た御園生がライトに入りライトの松尾五郎が代打を出された塚本に代わってセンターに回る。

 南海は7回裏、先頭の猪子が中前打で出塁、しかし国久松一の投ゴロは「1-6-3」と渡って二死無走者、ここで岩本義行がライトにホームランを放って2-2の同点に追い付く。

 阪神は9回、先頭の門前が四球で出塁、松尾が送って一死二塁、山口政信も四球を選んで一死一二塁、藤井勇の二ゴロで山口が二封されて二死一三塁、田中が右前に決勝タイムリーを放って3-2、野口も左前に追撃のタイムリーを放って4-2とする。

 ロングリリーフとなった若林忠志は6回3分の1を5安打1四球1三振1失点に抑えて17勝目をあげる。


 勝利打点は決勝打のカイザー田中に記録されるが、追撃タイムリーの野口昇も並列の殊勲者であった。


 岩本義行が甲子園で右方向にホームランを放った。昭和17年には関西の試合は読売新聞にはスコアだけしか掲載されていないのでオーバーフェンスであったか確定はできないもののスコアカードの記載からはオーバーフェンスであったと強く推認できる。戦前の甲子園で流し打ちのオーバーフェンスは昭和11年のジミー堀尾、12年春の北浦三男、13年秋の景浦将、17年の小暮力三に続いて5本目、戦前の甲子園球場で流し打ちのオーバーフェンスと認められる本塁打は以上の5本のみである。


 

17年 名古屋vs朝日 12回戦


9月16日 (水) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 2 0 0 0 0 2 名古屋 26勝45敗3分 0.366 河村章 石丸進一
3 0 1 0 2 0 0 0 X 6 朝日    32勝39敗3分 0.451 林安夫

勝利投手 林安夫 20勝18敗
敗戦投手 河村章   7勝14敗

二塁打 (名)古川
本塁打 (名)鬼頭 1号、浅原 2号

勝利打点 鬼頭政一 6


鬼頭と浅原直が連発、林は20勝!

 朝日は初回、先頭の坪内道則がストレートの四球を選んで出塁、坪内が二盗とキャッチャー悪送球で三塁に進み、五味芳夫は一邪飛に倒れて一死三塁、鬼頭政一がレフトスタンドに先制ツーランを叩き込んで2-0、浅原直人もレフトスタンドに連続ホームランを叩き込み3-0とする。続く岩田次男がレフト線にヒットを放つと、名古屋ベンチは先発の河村章から石丸進一にスイッチ、林安夫は左飛、伊勢川真澄は遊飛に倒れてスリーアウトチェンジ。

 朝日は3回、先頭の五味が四球を選んで出塁、鬼頭が中前打を放って無死一二塁、浅原直人の左飛でレフト吉田猪佐喜が内野に返球する隙を突いて二走五味が三塁を陥れ、この走塁に盗塁が記録される。一走鬼頭も二塁に進んだがこの進塁は「7-6-5」によるものと記録された。続く岩田次男の打席でワイルドピッチがあり三走五味が還って4-0とする。

 名古屋は5回、先頭の古川清蔵がレフト線に二塁打、小鶴誠の三ゴロをサード岩田が一塁に悪送球して無死一三塁、木村進一が四球を選んで無死満塁、石丸進一が押出し四球を選んで1-4、芳賀直一の二ゴロ併殺の間に三走小鶴が還って2-4ーと追い上げる。

 朝日は5回裏、一死後五味が三塁に内野安打から二盗に成功、鬼頭は左飛、浅原の遊ゴロをショート木村が一塁に悪送球して二死一三塁、次のプレーで三走五味と一走浅原が生還するが、スコアカードには「2-4-2’」と記載されており「雑記」欄には「捕手失し球を見失う間に浅原が得点」と書かれている。すなわち、ダブルスチールを敢行して「2-4-2」と折り返しの送球で三走五味はアウトのタイミングであったがキャッチャー古川が後逸して五味が生還、このプレーで古川にエラーが記録され、更に古川がボールを見失う間に二塁に進んでいた浅原も三塁ベースを回ってホームインして2点を追加したようだ。ということで、6-2と突き放す。

 林安夫は3安打4四球無三振の完投で20勝目をあげる。名古屋の河村章と石丸進一も奪三振はゼロ、両チーム無三振の試合であった。


 吉田猪佐喜は9個のレフトフライを捕球して9刺殺を記録した。


 林の20勝を祝うかのように鬼頭政一と浅原直人が連続ホームランを放った。9月12日から秋季リーグ戦に入って5本目のホームランとなる。秋季リーグ開幕からニューボールを卸しているようだ。球質が悪化することになってから、突如としてホームランが連続するケースはよく見られる。聯盟は非常時に備えて質の良いニューボールをストックしており、それを時々卸すとホームランが連発する。飛ぶボールがどうの、操作しているなどと騒いでいられるのは平和ボケの証拠です。


*「雑記」欄には①で3回の攻撃、②で5回の攻撃について説明が書かれている。後楽園の試合なのでオリジナルは広瀬謙三によるものであると推測されるが、このスコアカードは戦後の清書版なので筆跡は山内以九士のものでしょう。相変わらず読みにくい(笑)。



 

2015年8月14日金曜日

白河の関



 当ブログは数年間、「数年以内に専大松戸が甲子園に出場する」と主張し続けてきました。「しつこい~」、「うるせぇ~」の声が渦巻く中、専大松戸が今季甲子園初出場を果たしたのはご案内のとおりです。


 調子に乗って、「数年以内に紫紺の優勝旗又は深紅の大優勝旗が白河の関を渡る」と、高らかに宣言させていただきます。


 現在の東高西低の流れは数年間続くと見ています。経済と人口の東京一極集中の流れは止まりようがありません。その恩恵が北関東から東北に及んできたのが現在の東高西低の流れであると読んでいます。表面上は東京一極集中を批判しながら、そのおこぼれに預かろうとしている輩の何と多いことか。お金は儲かるところにしか流れません。


 「駒大苫小牧が二連覇してとっくの昔に深紅の大優勝旗は津軽海峡を超えただろ~がぁ~」と茶々が入るのは承知の介ですが、あの時は飛行機で帰ったので白河の関は素通りしています。紫紺の優勝旗又は深紅の大優勝旗が東北新幹線で新白河駅を通過する際、JR東日本はどのような車内放送をすることになるのか、今から楽しみにしているのは当ブログだけではないでしょう。


 しつこいのが当ブログの取柄であり、当ブログはそれを「しぶとい」と呼んでいます(笑)。


 

プッシュバント



 健大高崎の「機動破壊」を盗塁数だけと勘違いしている人々は本日の試合をどう見たのでしょうか。


 勝因は逆転のきっかけとなった二塁前へのプッシュバントにありました。健大高崎の「機動破壊」の本質は、次の塁を狙う姿勢にあるのであり、決して盗塁数ではありません。それがセンター中心のバッティングにもつながる訳です。


 昨年は点差がついてから走る健大高崎に批判が集中しました。これこそが「機動破壊」の本質を理解できない似非評論家もどきが如何に数多く生息しているかを物語っています。そもそも現在の高校野球にセーフティリードなどありません。「大リーグでは点差がついてからの盗塁は記録されないんだぁ~」と駄々をこねる似非評論家もどきが大量発生した訳ですが、試合も見ないで数字遊びしているだけの輩の発言など、当ブログは無視します。


 三塁線へのセーフティバントは、三塁手が素手で捕って送球することが普通になった現在の高校野球では通用しません。最も効果的な二塁前へのプッシュバントが明暗を分けた試合でした。



 

東高西低



 当ブログでは、高校球界の勢力分布について、ここ2~3年で東高西低の流れになってきたとお伝えしてきているところですが、今大会は更に鮮明になっています。


 四国は1回戦で全て姿を消し、中国は2回戦で全て姿を消し、九州で3回戦進出を決めているのは九州国際大付属と沖縄の興南だけ、本日の第三試合で長崎の創世館に可能性が残りますが当ブログは健大高崎が勝つと予想しています。関西は滝川第二が仙台育英に大量リードを許しており敗戦濃厚、鳥羽と津商が対戦するのでどちらか1校は3回戦に進出します。


 北陸3校を関西にカウントして、東23校西26校としても、1回戦16試合は東7勝7敗で西9勝9敗、昨日までの2回戦13試合では東11勝5敗で西2勝8敗。本日の第一試合は仙台育英が大量リード、第二試合は関西同士の対決、第三試合は前述のとおり健大高崎有利と予想しています。


 3回戦16試合の左ブロックは東6校と西2校、右ブロックは西では興南と本日の第二試合津商vs鳥羽の勝者が決まっており、当ブログの予想が当たって第三試合で健大高崎が勝つとベスト16は東が12校で西は4校のみ、当ブログは3回戦左ブロックでは東海大相模が遊学館に、作新学院が九州国際大付属に勝つと予想していますので、右ブロックの抽選次第ではベスト8は全て東か東7校西1校という可能性すら出てきました。西の期待は興南だけかもしれません。


 この流れから、深紅の大優勝旗が白河の関を通過する日も近いと予想させていただきます。それが今大会である可能性も否定するつもりはありません。