2015年7月30日木曜日

17年 巨人vs阪急 10回戦


8月16日 (日) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 0 2 0 0 0 3 巨人 48勝19敗3分 0.716 須田博
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 阪急 35勝33敗2分 0.515 笠松実

勝利投手 須田博 13勝5敗
敗戦投手 笠松実 12勝13敗

二塁打 (巨)楠、川上 (急)山田

勝利打点 中島治康 13


夏季リーグ最終戦

 いよいよ夏季リーグ戦最終戦となった。

 巨人は初回、先頭の呉波の二ゴロをセカンド上田藤夫がエラー、呉が二盗を決めて水原茂の三ゴロの間に三進、川上哲治は四球を選んで一死一三塁、中島治康の右犠飛で1点を先制する。

 巨人は6回、先頭の呉が中前打で出塁、水原が四球を選んで無死一二塁、川上のレフト線二塁打で2-0、中島がこの日2本目の犠飛をライトに打ち上げて3-0とリードを広げる。

 阪急キラーの須田博は6安打5四球4三振で今季4度目の完封、13勝目をマークした。笠松実も5安打5四球1死球1三振の完投であった。


 夏季リーグ戦各35試合の成績は、巨人24勝8敗3分、大洋20勝12敗3分、阪神18勝16敗1分、阪急17勝18敗、朝日16勝18敗1分、名古屋14勝20敗1分、南海13勝22敗、黒鷲11勝19敗5分であった。首位打者は岩本義行と川上哲治が争っていたが、終盤固め打ちを見せた呉波が123打数37安打3割1厘と唯一の三割打者となって逆転した。春夏通算の首位打者は依然として岩本義行2割9分7厘で、二位は坪内道則2割8分となっている。



 

2015年7月29日水曜日

17年 大洋vs南海 10回戦


8月16日 (日) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 1 0 0 0 0 0 2 3 大洋 41勝24敗5分 0.631 野口二郎
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 南海 35勝35敗 0.500 石田光彦

勝利投手 野口二郎 26勝11敗
敗戦投手 石田光彦   6勝10敗

二塁打 (大)山川 (南)国久

勝利打点 濃人渉 3


濃人渉、2試合連続決勝打

 ここまで5連勝の大洋と4連敗の南海との対戦。

 大洋は3回、一死後佐藤武夫が左前打、織辺由三は中飛に倒れるが、トップに返り中村信一が右前打を放ち二死一二塁、濃人渉が右前に先制タイムリーを放って1-0とする。

 大洋は9回、一死後織辺が右前打で出塁、トップに返り中村の打席で織辺が二盗に成功、中村が四球を選んで一死一二塁、濃人も四球を選んで一死満塁、野口二郎が右前に2点タイムリーを放って3-0と貴重な追加点をあげる。

 野口二郎は5安打3四球9三振で今季13度目の完封、26勝目をあげる。今月4度目の完封勝利であった。


 5連敗で夏季リーグ戦を終了した南海は今季通算35勝35敗となって貯金を使い果たした。春季リーグ戦は22勝13敗で巨人と激しい優勝争いを繰り広げた南海も夏季リーグ戦は13勝22敗の不振であった。この中で一人好調をキープしている柳鶴震はこの日も4打数2安打1盗塁の活躍を見せた。



 南海は8回の攻撃で中野正雄に代打神田武夫を起用した関係で9回の守備からファーストに松本光三郎が入った。9回の攻撃で野口二郎が2点タイムリーを放って一死一二塁、続く野口明の当りはファーストライナーとなって松本光三郎がキャッチ、そのまま一塁ベースを踏んで無補殺併殺を記録した。昭和11年に阪急でプロ入りした松本光三郎はすぐに応召、昭和16年に南海に復帰して開幕戦で満塁ホームランを放つ活躍を見せたが盗塁を全く刺すことができず出番はなくなり、16年は7試合の出場、17年は4試合の出場でプロの世界を去ることとなる。ファーストの守備についたのはこの日の試合が最初で最後となったが、その試合で無補殺併殺を記録したのである。





*野口二郎は今月4度目、今季13回目の完封で26勝目をマーク。





 

2015年7月27日月曜日

17年 朝日vs黒鷲 10回戦


8月16日 (日) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8  9  計
0 0 0 0 0 0 0 2  0  2 朝日 30勝37敗3分 0.448 林安夫
0 0 0 0 0 0 2 0 1X 3 黒鷲 18勝45敗7分 0.286 畑福俊英 石原繁三

勝利投手 石原繁三 12勝18敗
敗戦投手 林安夫     19勝17敗

二塁打 (黒)玉腰
三塁打 (朝)五味

勝利打点 富松信彦 2


富松信彦、サヨナラ打

 前半戦は朝日先発林安夫と黒鷲先発畑福俊英による投手戦が続いた。

 朝日は4回まで無安打。5回、一死後岩田次男が左前に初ヒット、伊勢川真澄も左前打で続いて一死一二塁とするが、広田修三の遊ゴロは「6-4-3」と渡ってダブルプレー。ここは畑福のナックルを引っ掛けたか。6回は二死後五味芳夫が右中間に三塁打を放つが鬼頭政一は右飛に倒れて無得点。7回は三者凡退であった。

 黒鷲は2回に金子裕が二遊間内野安打、3回に小松原博喜が右前打を放つが6回までヒットはこの2本だけ、無得点に抑えられる。

 黒鷲は7回裏、先頭の杉江文二が二失に生き、玉腰忠義が送って一死二塁、木下政文の二ゴロの間に杉江は三進、金子がストレートの四球から二盗を決め、富松信彦も四球を選んで二死満塁、このチャンスに小松原が右中間に2点タイムリーを放って2-0と均衡を破る。

 朝日は8回、一死後広田が三失に生き、室脇正信の一ゴロで広田は二封、トップに返り坪内道則の四球で二死一二塁、五味芳夫がライト線にタイムリーを放って1-2としてなお二死一三塁、鬼頭に代わる代打早川平一の三ゴロをサード玉腰が一塁に悪送球、三走坪内が還って2-2の同点に追い付く。

 朝日は9回、一死後岩田が三前にバントヒット、伊勢川真澄の左前打で一死一二塁、広田に代わる代打酒沢政夫の初球がボールとなったところで黒鷲ベンチは力投を続けてきた畑福に代えて石原繁三をマウンドに送る。酒沢は右飛、室脇は左飛に倒れて黒鷲の継投策成功。

 黒鷲は9回裏、8回にダブルエラーを犯した玉腰がレフト線に意地の二塁打、木下の遊ゴロをショート五味がエラーして無死一三塁、木下の二盗後、金子は歩かされて無死満塁、ここで富松信彦がライトにサヨナラ打を放ち、終盤もつれた試合に決着を付けた。


 勝利投手は2者を抑えただけの石原繁三に記録されて12勝目をあげる。先発の畑福俊英は8回3分の1を6安打2四球無三振2失点に抑えた。2015年7月26日に、畑福が戦後監督を務めて礎を築いた専大松戸が甲子園初出場を決めることとなる。


 サヨナラ打を放った富松信彦は今季2個目の勝利打点、1個目も5月18日の阪神戦で放った逆転サヨナラ三塁打であった。


 15日の阪神戦で3打点をあげた小松原博喜がこの日も2打点の活躍を見せた。


 

2015年7月26日日曜日

専大松戸初の甲子園へ!



 専修大学松戸高等学校が劇的な逆転劇で習志野を降し、初の甲子園を決めました。


 試合開始1時間前にマリンに着きましたが既に大行列、「世紀の一戦」と言われた昭和51年の伝説の決勝戦、「前年全国優勝の習志野vs前々年全国優勝の銚子商業」以来となる千葉県高校野球史に残る決戦です。


 海浜幕張までの京葉線では専大松戸の生徒と一緒になりました。マリンに向かう道では習志野の応援団に遭遇しました。決戦に向けて、気分が高まってきます。


 マリンで夏の高校野球を観戦するのは二階席に限ります。本日は都心でも35度を記録する猛暑、マリンの二階席は日陰になります。場内アナウンスでも「熱中症に注意」を何度も呼びかけていました。運よく二階席上段のネット裏ほぼ正面の席をゲットすることができました。


 前半戦は習志野伝統の「引きつけて叩くバッティング」が炸裂します。昭和50年の夏の甲子園決勝で優勝を決めるサヨナラ打となった下山田の右前打も同じ打ち方でした。習志野の攻撃を後押しするのが「日本一」と言われる応援団です。全国コンクール金賞の常連である吹奏楽部は216人のメンバーで構成されており、オリジナルの応援歌「レッツゴー習志野」がマリンに響き渡ります。前回甲子園出場時に、「相手がタイムを掛けると大音量を流して邪魔をする」などという謂れのない批判があったことから、相手チームがタイムをかけるとピタリと演奏を辞めるのも新たな伝統となっています。このマナーは他校にも伝播しており、千葉県高校野球界では今や常識となっています。


 7回表の習志野の攻撃で3点目が入り3対0、ところが一死二三塁からバッターが空振りの場面で三塁ランナーが飛び出しておりキャッチャーからサードに渡ってツーアウト、二塁ランナーが三塁に向かうがサードからベースカバーのショートに送られてタッチアウト、ダブルプレーでスリーアウトチェンジとなりました。スクイズのサインを打者が見逃したのか、三塁ランナーが勘違いしたのか、二塁ランナーはタイムリー二塁打を放った一年生の四番・吉野でした。スタートが遅れたのが響いてダブルプレー、これもいい経験でしょう。NHK中継の解説の国際武道大学監督・岩井さんも「嫌な終わり方ですね」と指摘していました。


 7回裏専松の攻撃、一死二三塁の場面で八番の寺元(てらもと)は外角球をライト方面にファウルを重ねます。徐々にフェアグラウンドに近づいてきてタイミングが合ってきました。「次は内角にくる」と見ていましたが、その内角球に反応してレフトにファウルしたのを見て「これなら行ける」と直感しました。次の外角スクリュー気味のチェンジアップを見逃し、直後の内角球をショートオーバーの2点タイムリー、ここがこの試合の「功名が辻」でしたね。


 送りバントで二死二塁としてトップに返り昨年の四番・渡邉が右越えに同点三塁打、ここまで習志野は11安打ですが専大松戸はこれで5安打目でした。死球と四球で二死満塁、今年の四番・原の当りはセンターへのライナー、センターは長打を警戒して深めの守備から突っ込んできましたがハーフバウンドになってしまい後逸、ノータッチでしたので満塁ランニングホームランとなって7対3の大逆転、歴史が塗り替わった瞬間でした。


 専松最大の功労者は背番号10の二番手投手、左腕の角谷(かどや)。スピードはないがコーナーを丹念に突いて習志野の強力打線を抑えてきました。最終回は、先発してライトに下がった殊勲の逆転打を放った原の再登板も考えられました。8回の専松の攻撃中にはピッチング練習もしていましたし。しかし持丸監督は角谷を続投させます。この場面で温情を見せているようでは、4校も甲子園に連れていけるはずがありませんね(笑)。


 NHKの中継は同時刻に西東京決勝があったのでこの試合は1時からの録画放送。千葉県決勝のNHK解説はお馴染の国際武道大学監督・岩井さん。岩井は昭和48年の甲子園で江川の作新学院を破った銚子商業の六番ファーストでした。


 松戸からは初めての甲子園です。市川からは剛腕平沼を擁して1982年に商大付属がセンバツに出場しています。筆者の実家から商大付属までは歩いて5分、専大松戸は北に6キロに位置します。


*決戦の場。




*マリンに向かう習志野応援団。





*試合開始の整列。





*校歌斉唱の場面。





*優勝旗授与。




 

千葉県高校野球史を塗り替えた日



 2015年7月26日は千葉県高校野球史に永遠に記憶される日となるでしょう。専修大学松戸高等学校が悲願の甲子園初出場を決めました。おめでとう!


 名将・持丸修一監督を招聘してこの数年、それまでベスト8がいいとこという評価が定着していた専松が変わりました。県大会では優勝、関東大会への進出も数度となりますがどうしても甲子園への道は遠かった。


 当ブログでは「数年内に専松が甲子園に行く」と何度も書かせていただきました。その日が遂にやってきたのです。前半は習志野伝統の引きつけて叩くバッティングと「日本一」と言われる応援団に押されて7回表まで3点のビハインド。7回裏は先頭がヒットで出て、それまで決まらなかった送りバントを決めて、下位打線が粘りに粘って均衡を破り、昨年の四番・トップの渡邉がライトオーバーの同点三塁打、四番・原が決勝の満塁ランニングホームラン。7対3で習志野を降して学校創立56年にして初の甲子園出場を決めました。


 専大松戸野球部創設期の監督は畑福俊英です。昭和10年の東京巨人軍第1回アメリカ遠征に参加した畑福俊英は東都大学リーグ戦草創期に専修大学で活躍した剛球投手でした。巨人の公式戦最初の勝利投手は沢村栄治ではなく畑福です。イーグルスでも球団初の勝利投手となった畑福は戦争で肩を壊して帰ってきますが復帰後もナックルボールを駆使する技巧派として戦前の野球史にその名を残しています。


 専大松戸の監督に就任したのは専修大学の主戦投手だった関係であることは容易に想像できます。NHKのドキュメント番組「ある人生」は、1966年7月16日の放送で「老監督」のタイトルで畑福俊英を取り上げています。


 千葉県高校野球の全盛期であった70年代、銚子商業と習志野が両横綱、千葉商業、木更津中央、成東が続き、専大松戸はよくてベスト4、常にベスト8までという存在でした。古くからの千葉県高校野球ファンであれば、専大松戸が習志野に勝つなど考えられないことでした。持丸監督を招聘して、甲子園まであと一歩というところまで来てからも数年が経ちました。持丸監督は茨城県では、藤代、竜ケ崎一高、常総学院で甲子園に出場、4校目の甲子園となります。今度は千葉県代表として、念願の舞台で堂々と戦ってもらいたいものです。


 

2015年7月25日土曜日

専松の悲願


 さぁ、明日はいよいよ千葉県の決勝です。専大松戸が甲子園初出場を賭けて習志野との決戦に挑みます。


 当ブログがかねてから主張している「専松が甲子園に行く!」は耳にタコができた読者が多数発生しているとは思いますが、最大のチャンスがやってきました(笑)。


 一昨年は準決勝で延長13回木更津総合にサヨナラ負け、昨年は決勝で東海大望洋に敗れました。今春の千葉県大会に優勝して堂々のAシードで勝ち上がり、Cシードの習志野との決勝戦です。


 もちろん習志野も応援していますが、千葉県市川市国分の筆者の実家から専大松戸は北に約6キロ、習志野は東に約12キロなので専大松戸に軍配が上がります(笑)。古くから「せんまつ」の愛称で千葉県高校野球ファンに親しまれてきた専大松戸の悲願成るか、明日はマリンで観戦です。



 

17年 巨人vs南海 10回戦


8月15日 (土) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 5 0 0 4 1 0 0 0 10 巨人 47勝19敗3分 0.712 中尾輝三
0 1 0 0 0 0 0 0 0  1  南海 35勝34敗 0.507 徳島忠彦 長沼要男 木村忠雄

勝利投手 中尾輝三 12勝7敗
敗戦投手 徳島忠彦   0勝1敗

二塁打 (巨)楠 (南)荒木、長谷川
三塁打 (巨)中尾、呉

勝利打点 中尾輝三 3

猛打賞 (巨)呉波 3


2本の走者一掃三塁打

 巨人は2回、先頭の楠安夫が中前打、小暮力三は三邪飛、白石敏男が中前打、坂本茂が右前打を放って一死満塁、ここで中尾輝三がセンター左奥に走者一掃の三塁打、3点を先制する、更にトップに返り呉波の中前タイムリーで4-0、南海ベンチはここで先発の徳島忠彦を下げて長沼要男をマウンドに送る。呉が二盗、三盗を決めて水原茂は四球を選び一死一三塁、川上哲治の遊ゴロ併殺崩れの間に三走呉が還って5-0とする。

 南海は2回裏、先頭の中野正雄が中前打、長沼はセカンドライナー、増田敏は右前打、八木進の遊ゴロで増田が二封されて二死一三塁、トップに返り柳鶴震がセンター左にタイムリーを放って1-5とする。

 巨人は5回、二死後白石が中前打、坂本が右前打、中尾が四球を選んで二死満塁、トップに返り呉が左中間に走者一掃の三塁打を放ち8-1、水原が左前にタイムリーで続き9-1とする。

 更に6回、5回から中島治康に代わってライトに入っている青田昇が四球で出塁すると二盗に成功、楠のライト線二塁打で10-1として試合を決める。

 大量点に守られた中尾輝三は7安打3四球2三振の完投で12勝目をあげる。


 中尾輝三と呉波が満塁走者一掃の三塁打を放った。呉は2試合連続の猛打賞、この日は4打点でもあった。


 

2015年7月23日木曜日

17年 阪急vs大洋 10回戦


8月15日 (土) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 1 0 0 0 0 0 0 1 阪急 35勝32敗2分 0.522 森弘太郎 天保義夫
0 0 1 0 2 0 0 0 X 3 大洋 40勝24敗5分 0.625 三富恒雄

勝利投手 三富恒雄 10勝8敗
敗戦投手 森弘太郎 17勝12敗

勝利打点 濃人渉 2

猛打賞 (大)濃人渉 3


濃人渉、全打点

 阪急は3回、二死後上田藤夫が右前打で出塁、黒田健吾も左前打を放って二死一二塁、山下好一の中前タイムリーで1点を先制する。

 大洋は3回裏、一死後織辺由三が三塁に内野安打、トップに返り中村信一が左前打を放ち一死一二塁、濃人渉が左前に同点タイムリーを放ち1-1とする。打者走者の濃人は一塁ベースを大きく回るが「7-1-5-4-3-4」と転送されてタッチアウト、三塁に走った一走中村も「4-6」と送球されてタッチアウト、このプレーで「併殺」が記録された。

 大洋は5回、先頭の古谷倉之助が四球を選んで出塁、三富恒雄が三塁に内野安打、貞池広喜に代わる代打西岡義晴がセンター右にヒットを放って無死満塁、織辺は二飛に倒れて一死満塁、トップに返り中村の遊ゴロで三走古谷は本封されて二死満塁、ここで濃人渉が中前に2点タイムリーを放って3-1と勝ち越す。一走中村は三塁を狙うが「2-4-6-3-5」と渡ってタッチアウト。

 三富恒雄は5安打1四球1死球2三振の完投で10勝目をあげる。


 濃人渉は2本のタイムリーで全打点の3打点、猛打賞の活躍であった。


 阪急守備陣は「7-1-5-4-3-4」や「2-4-6-3-5」の挟殺プレーがあり、8イニングで24刺殺、23補殺を記録した。



 

17年 阪神vs黒鷲 10回戦



8月15日 (土) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 3 0 0 0 0 3 阪神 36勝32敗2分 0.529 若林忠志 御園生崇男
2 0 2 0 0 0 0 2 X 6 黒鷲 17勝45敗7分 0.274 松本操 畑福俊英 石原繁三

勝利投手 松本操       1勝7敗
敗戦投手 若林忠志 15勝10敗
セーブ    石原繁三 2

二塁打 (神)藤井 (黒)玉腰
三塁打 (黒)富松

勝利打点 玉腰忠義 2


小松原博喜3打点

 黒鷲は初回、先頭の山田潔が中前打、杉江文二も投ゴロで山田は二封、玉腰忠義がライト線に二塁打を放って杉江が還り1点を先制、木下政文の左前タイムリーで2-0とする。

 黒鷲は3回、先頭の玉腰が四球で出塁、木下は三振に倒れるが玉腰が二盗に成功、金子裕の三ゴロをサード土井垣武がエラー、二走玉腰は動けず一死一二塁、富松信彦は四球を選んで一死満塁、阪神はここでライトを山口政信から上田正に交代するが効果はなく、小松原博喜が中前に2点タイムリーを放って4-0とする。

 阪神先発の若林忠志は3回でKO、4回から御園生崇男がマウンドに上がる。

 阪神は5回、先頭のカイザー田中義雄が四球で出塁、御園生の一ゴロの間に田中は二進、田中が二盗を決めて野口昇は四球、上田も四球を選んで一死満塁、黒鷲ベンチはここで先発の松本操を下げて畑福俊英を投入、トップに返り塚本博睦の打席で三走田中が単独ホームスチールを決めて1-4、塚本が四球を選んで再び一死満塁、松尾五郎が中前に2点タイムリーを放って3-4と1点差に追い上げる。

 阪神は6回、先頭の藤井勇が左中間に二塁打、黒鷲ベンチは畑福から三番手の石原繁三にスイッチ、田中が送りバントを決めて一死三塁、御園生は浅い右飛に倒れて二死三塁、野口は二飛に倒れて絶好の同点チャンスを逃す。石原がここで踏ん張ったことが黒鷲の勝因となった。

 黒鷲は8回、先頭の金子が中前打、富松が右中間に三塁打を放って5-3、小松原の右前タイムリーで6-3と突き放してダメ押す。


 石原繁三は4イニングを投げて無安打1四球2三振無失点の好投、先発の松本操は4回3分の1で降板しているので現行ルールであれば石原が勝利投手となるが、公式記録では松本操に勝利投手が記録されており、石原には当ブログルールによりセーブが記録される。


 勝利打点は玉腰忠義に記録されたが、2本のタイムリーで3打点の小松原博喜も並列の殊勲者であった。


 

2015年7月21日火曜日

ファインプレー その4



 NHKBSで放映されている「高校野球100年のものがたり」をご覧になっている方も多いことでしょう。47都道府県のベストゲームを2試合ずつ15分ほどにまとめて放映してくれています。


 本日は「鹿児島県」。昭和49年夏の準々決勝、鹿児島実業vs東海大相模の延長15回の激闘が選ばれました。延長12回裏二死二塁、抜けたらサヨナラの場面、原雅美の打球は詰まった飛球となってセカンド後方、ライト前に飛びます。この打球に飛び込んだセカンド中村孝のダイビングキャッチこそが、「甲子園史上最高のファインプレー」でした。


 本日の放映を見てこのプレーの伏線に気が付いた方も多かったのではないでしょうか。3対2と鹿実1点リードで迎えた9回裏相模の攻撃、ランナー二塁からの二遊間の当りに逆シングルで飛び込んだセカンド中村孝のグラブの先を打球が抜けて同点となりました。中村孝は、この悔しさを12回裏のファインプレーにぶつけたのでしょう。機会があったら、中村さんに直接聞いてみたいですね(笑)。




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2015年7月20日月曜日

17年 巨人vs阪神 10回戦


8月14日 (金) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
4 2 0 2 1 0 0 0 0 9 巨人 46勝19敗3分 0.708 広瀬習一
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 阪神 36勝31敗2分 0.537 御園生崇男 木下勇 三輪八郎 渡辺誠太郎

勝利投手 広瀬習一     20勝6敗
敗戦投手 御園生崇男 10勝9敗

二塁打 (巨)坂本、中島
三塁打 (巨)呉

勝利打点 水原茂 2

猛打賞 (巨)呉波 2


広瀬習一、10度目の完封で20勝!

 昨日は気の抜けたような試合であった巨人が気合を入れ直してきた。

 巨人は初回、先頭の呉波が左中間深く三塁打、水原茂の左前タイムリーで1点を先制、川上哲治が中前打、中島治康は三振に倒れて一死一二塁、楠安夫の二ゴロで川上が二封されて二死一三塁、伊藤健太郎の遊ゴロをショート野口昇がエラーする間に三走水原が還って2-0、伊藤には打点は記録されていない。七番ショートで復帰した白石敏男の二ゴロをセカンド松本貞一もエラーして二死満塁、坂本茂のライト線二塁打で4-0とする。

 阪神先発の御園生崇男は1イニングで降板してライトに回り、2回から木下勇がマウンドに上がる。

 巨人は2回、呉のの二ゴロを又しても松本がエラー、水原が四球を選んで無死一二塁、川上の中前タイムリーで5-0、中島は一飛に倒れるが、楠が中前にタイムリーを放って6-0、阪神はここで木下から三番手三輪八郎にスイッチ、伊藤の遊ゴロは「6-4-3」と渡ってダブルプレー。

 巨人は4回、先頭の川上が四球で出塁、中島が右中間に二塁打を放って無死二三塁、楠は4球ファウルで粘るが三振、伊藤が四球を選んで一死満塁、白石の押出し四球で7-0、坂本の当りはセンター前に落ちて三走呉がホームインして8-0とする。ポテンヒットかと思われたが、センター塚本からの二塁送球で一走白石がフォースアウトとなって記録はセンターゴロ、この際、二走伊藤が何かを妨害したようで「×4」と記録され、「併殺」が成立した。「守備の記録」としてセンター塚本とセカンド平林栄治に「併殺」が記録されたが、「打撃の記録」としては坂本には「併殺打」は記録されていない。

 巨人は5回、一死後呉が二遊間に内野安打、水原は左前打、川上は左飛に倒れるが中島が四球を選んで二死満塁、楠が押出し四球を選んで9-0、阪神ベンチは三輪から四番手の渡辺誠太郎にスイッチ、伊藤が三ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。

 巨人先発の広瀬習一は初回、2四球を出して二死一二塁とするが藤井勇を二飛に打ち取り無失点。3回一死後塚本に右前打を許すが松本を二ゴロ併殺に打ち取る。4回は一死後土井垣武を四球で歩かせるが牽制で刺してこの回も無失点。7回は一死後藤井に中前打を打たれるが御園生の遊ゴロが「6-4-3」と渡ってダブルプレー。8回は先頭の松尾五郎を四球で出すが、野口を中飛に打ち取り、渡辺の三ゴロが「5-4-3」と渡ってここもダブルプレー。

 広瀬習一は2安打5四球2三振で今季10度目の完封、20勝に到達した。


 昨日の巨人は夏季リーグ戦優勝決定直後とあって祝勝会の余韻からか気の抜けた試合であったが、本日は「真のエース」に成長した広瀬が力投、打線も呉の猛打賞を筆頭に11安打で9得点をあげた。





*広瀬習一は今季10度目の完封で20勝目をあげる。5四球を出したが投球数は91球であった。3併殺と1牽制が要因でしょう。









*巨人4回の攻撃での変則併殺プレー。坂本の中前ポテンは一走白石が二封されたことから記録は「センターゴロ」。この際二走伊藤が「×4」でアウトとなって「併殺」が記録された。飛ばないボールの時代でセンター塚本の守備位置はかなり前であったことが想像され、二走伊藤と交錯して二塁送球を妨げたと考えるべきでしょうか。とすると、白石の二封は「認定」という可能性があります。

 こういう「想像」ができるのが、ワンプレー毎を追っていく「実況中継」の醍醐味でもあります。







*「守備」としての「併殺」はセンター塚本博睦とセカンド平林栄治に記録されています。







 

訂正のお知らせ




 8月11日の巨人vs名古屋10回戦において、「広瀬習一、今季8度目の完封」とお伝えしていましたが、「9度目」の間違いでしたのでお詫びして訂正させていただきます。

 ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いいたします。



 

2015年7月19日日曜日

17年 大洋vs朝日 10回戦


8月14日 (金) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 3 1 0 0 4 大洋 39勝24敗5分 0.619 古谷倉之助 野口二郎
1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 朝日 30勝36敗3分 0.455 林安夫 内藤幸三

勝利投手 古谷倉之助 2勝2敗
敗戦投手 林安夫      19勝16敗
セーブ     野口二郎 1

三塁打 (大)野口明

勝利打点 野口二郎 8


古谷倉之助、5イニングを無安打

 大洋は老練・古谷倉之助、朝日はルーキー・林安夫が先発。古谷は五番、林は三番に入る。

 朝日は初回、先頭の坪内道則の遊ゴロをショート濃人渉がエラー、坪内が二盗を決めて五味芳夫の二ゴロで三進、林の三ゴロの間に坪内が還りノーヒットで1点を先制する。

 古谷は2回以降無安打ピッチング、3回~5回は三者凡退に抑えた。

 林は5回まで大洋打線を1安打無失点に抑える。

 大洋は6回、二死後村松長太郎の三ゴロをサード岩田次男がエラー、野口明がライト線に三塁打を放って1-1の同点、古谷に代わる代打野口二郎がライト線にタイムリーを放って2-1と勝越し、浅岡三郎の遊ゴロをショート五味がエラーして二死一二塁、山川喜作が左前にタイムリーを放って3-1とする。

 リードした大洋は6回から代打に出た野口二郎がマウンドに上がって逃げ込みをはかる。古谷は5イニングを無安打1失点。

 大洋は7回、先頭の織辺由三が三塁に内野安打、サード岩田の悪送球が加わって織辺は二塁に進み、トップに返り中村信一の中前タイムリーで4-1と突き放す。

 リリーフの野口二郎は6回、先頭の広田修三に四球を与えた以降は8回まで全て凡打に打ち取り、朝日はここまで無安打が続く。

 朝日は9回裏、一死後坪内がセンター右にチーム初ヒット、しかし後続を抑えられて1安打に終わった。


 古谷倉之助は5イニングを無安打1四球無三振1失点に抑えて今季2勝目をあげる。野口二郎は4イニングを無安打1四球4三振に抑えて今季初セーブをマークする。


 5月17日以来3か月ぶりの先発となった古谷倉之助が5イニングを無安打ピッチング、タテに割れるドロップが効いたようだ。



 

2015年7月18日土曜日

アメリカ野球学会 東京支部 2015.7.18




 スポーツ報知の蛭間記者に誘われてアメリカ野球学会東京支部の会合に顔を出すようになって2年ほどが経過しています。


 本日は新規参加者3名を加えて10数名が参加、これまで参加させていただいた会合では一番の盛り上がりでした。


 「SABR TOKYO」のフェイスブックでやり取りさせていただいているSteve G. Lambacher教授とは初めてお会いしました。クリーブランド出身の教授は当然のことながらインディアンズの熱狂的ファンで、コーリー・クルーバーネタで言葉も通じないにもかかわらず意気投合させていただきました(笑)。教え子の女性の通訳がなかったらこうはいかなかった。


 奇才・M師匠は相変わらずのペースでまくしたてますが、時空を超えた会話に付いて行くためにはまだまだ修行を続けなければと決意を新たにさせていただいております。


 「野球雲」を主催するTさんは今回が初出場、出版社を立ち上げたということで、益々の御活躍が期待できます。


 池井優会長、千葉功御大、向井万起男さん、蛭間記者を中心として、KさんやSさんらの実務担当者が取り仕切りながら会合は年4回続いていきます。1月、4月、7月、11月の第三土曜日に三田で開催されていますので、ご興味のある方は是非ご参加ください。研究発表の後はいわゆる「呑み会」に突入しますのでご安心ください(笑)。


 

17年 阪急vs黒鷲 10回戦


8月14日 (金) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 計
0 0 2 0 0 0 0 1 0  0   0  3 阪急 35勝31敗2分 0.530 橋本正吾 天保義夫 笠松実
3 0 0 0 0 0 0 0 0  0  1X 4 黒鷲 16勝45敗7分 0.262 畑福俊英 石原繁三

勝利投手 石原繁三 11勝18敗
敗戦投手 笠松実    12勝12敗

三塁打 (黒)金子

勝利打点 木村孝平 2


金子裕、猛打賞

 黒鷲は初回、先頭の山田潔がレフト線にヒット、杉江文二は一邪飛、玉腰忠義の二ゴロの間に山田は二進、木下政文はストレートの四球で二死一二塁、ここでこのところ五番ファーストに起用されている金子裕が中前に先制タイムリーを放って1-0、一走木下は三塁に進み、打者走者の金子もバックホームの隙を突いて二塁に進んで二死二三塁、富松信彦が右前に2点タイムリーを放ってこの回3点を先制する。阪急のピッチャーは橋本正吾から天保義夫に交代。

 阪急は3回、先頭の西村正夫がストレートの四球で出塁、トップに返りフランク山田伝の左前打で無死一二塁、上田藤夫が投前に送りバントを決めて一死二三塁、黒田健吾の左前タイムリーで1-3、黒田が二盗を決め、山下好一が四球を選んで一死満塁、森田定雄の左犠飛で2-3と詰め寄る。

 黒鷲は4回から先発の畑福俊英に代わって石原繁三がマウンドに上がる。

 阪急は8回、先頭の森田が四球を選んで出塁、日比野武の左前打で無死一二塁、中村栄の送りバントは投飛となって失敗、ここで阪急は代打攻勢をかける。天保に代わる代打中島喬は中飛に倒れて二死一二塁、西村に代わる代打池田久之が中前に殊勲の同点タイムリーを放って3-3と追い付く。

 阪急の守備の変更は、八番ピッチャー天保の代打中島がライトに入り、九番ライト西村の代打池田がマスクを被り、七番キャッチャー日比野が下がってピッチャー笠松実が入った。

 黒鷲は9回裏、先頭の金子が右中間に三塁打を放ってサヨナラのチャンス、富松は投ゴロに倒れて一死三塁、渡辺絢吾の2球目に阪急バッテリーはウエスト、この時スクイズのサインが出ており三走金子は「2-5-2」でタッチアウト、渡辺も左飛に倒れて試合は延長戦に突入する。

 阪急は11回表、一死後池田がツーナッシングと追い込まれながらも粘って四球で出塁、トップに返り山田伝の打席で池田が勝負を賭けた二盗を試みるが、キャッチャー木下からの送球にタッチアウト、山田は中飛に倒れてスリーアウトチェンジ。

 黒鷲は11回裏、先頭の木下が中前打、金子も中前打を放って無死一二塁、富松の投前送りバントはピッチャー笠松がダッシュよく飛び出して二走木下を三塁に刺す。しかし渡辺絢吾が右前打を放って一死満塁、木村孝平がサヨナラスクイズを決めて黒鷲が競り勝つ。


 好ゲームであったことから殊勲者候補が目白押しであった。金子裕は先制タイムリー、三塁打、決勝打につながるヒットで猛打賞を決めてサヨナラのホームを踏み候補No1。9回に代打で同点打を放った池田久之は11回の盗塁失敗で圏外に去る。木下政文はその池田の盗塁を刺し、11回先頭打者としてヒットで出塁してサヨナラのお膳立てを作った。4回からリリーフのマウンドに立った石原繁三は9イニングを投げて5安打3四球2三振1失点。本日のお立ち台は石原と金子でしょう。



 

17年 阪急vs巨人 9回戦


8月13日 (木) 西宮


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 1 0 1 0 0 0 0 3 阪急 35勝30敗2分 0.538 笠松実 森弘太郎
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 巨人 45勝19敗3分 0.703 川畑博 中尾輝三

勝利投手 笠松実 12勝11敗
敗戦投手 川畑博   0勝1敗
セーブ     森弘太郎 3

二塁打 (急)山田 (巨)楠

勝利打点 なし


山田伝が3得点

 昨日夏季リーグ戦の優勝を決めた巨人は川畑博が先発。巨人は8月11日から夏季最終戦となる16日まで6連戦が組まれている。ローテーションでは中尾輝三であるが、優勝を決めた余裕からか、シーズン中とはいえ昨夜は祝勝会で二日酔いだからか、川畑を立ててきた。

 阪急は初回、先頭のフランク山田伝がいきなりストレートの四球、上田藤夫は中飛に倒れるが、黒田健吾の二ゴロの間に山田が二進、山下好一の遊ゴロをショート三好主がエラーする間に二走山田が快足を飛ばしてホームに還り1点を先制する。

 巨人は先発の川畑が2回で降板して、3回から中尾輝三がマウンドに上がる。

 阪急は3回、先頭の山田がレフト線に二塁打、上田が右前にタイムリーを放って2-0とする。

 阪急は5回、一死後山田が四球を選んで出塁すると二盗に成功、更にワイルドピッチで三進、上田の遊ゴロの間に山田が還り3-0とリードを広げる。

 春先好調だった笠松実もシーズン中盤は調子を崩していたが、本日は久し振りに「巨人キラー」ぶりを発揮した。ヒットを打たれたの6回の2安打だけ、7イニングを投げて2安打5四球3三振無失点であった。

 阪急は8回から森弘太郎が登板、森は2イニングを無安打1四球1三振無失点、完封リレーで今季3セーブ目をマークした。


 リードオフマン山田伝が3得点と阪急の全得点を記録した。


 夏季優勝を決めた巨人は気の抜けたような戦いぶり、やはり二日酔いのようだ。明日から最後の3日間は気を引き締めてくるのではないでしょうか。



 

2015年7月16日木曜日

貴重な発見?



 「杉下茂」の活字が初めて掲載されたのではないかと考えられる新聞記事を発見しましたのでご報告させていただきます。


 昭和17年8月11日付け読売新聞3面に「全国中等野球関東予選 南、北 決勝戦」の記事が掲載されています。「北」の決勝戦は水戸商業が桐生中学を4対0で破っていますがこちらの試合は得点経過が掲載されているだけです。一方、「南」の予選決勝は京王商業が帝京商業に7対6で逆転サヨナラ勝ち、こちらは得点経過と共に両チームのメンバー表が掲載されており、9回裏に4点を取られて敗れた帝京商業の五番・ファーストに「杉下」の名が認められます。杉下茂の経歴から見ても、この「杉下」が「杉下茂」であることは間違いのないところでしょう。


 ご存知のとおり夏の甲子園大会は昭和15年を最後に戦局の逼迫から中止されました。昭和16年は予選だけが行われたところで打切り、昭和17年は文部省と学徒体育振興会の主催で「全国中等学校体育大会野球大会」が8月23日から甲子園球場で行われます。いわゆる「幻の甲子園」として徳島商業が優勝したことで知られており、京王商業は1回戦で徳島商業に延長14回サヨナラで敗れ去りました。「関東北」の代表水戸商業は1回戦で滝川中学を9対3で降しますが、2回戦で徳島商業に1対0で破れています。


 当ブログは、スコアカードの解読と共に、当時の読売新聞を参考にさせていただいております。当時の読売新聞のスクラップのコピーは野球殿堂博物館の図書館に行けば誰でも閲覧することができます。以前は書棚にありましたが、現在は職員に頼めば閲覧可能となっています。「鈴木龍二寄贈」となっていますが、このスクラップは河野安通志によるもので、河野の死後、鈴木龍二が遺族の生活のために買い取ったものを野球体育博物館(現・野球殿堂博物館)に寄贈したものです。


 昭和17年の「幻の甲子園」は2010年にNHKで放送されたりして近年クローズアップされてきています。「関東南」予選で9回表まで6対3でリードしていた帝京商業が出場していたら、「杉下茂が全国デビューした試合」として、もっと早く世に知られていたことでしょう。




*野球殿堂博物館の図書室でコピーさせていただいた昭和17年8月11日付け読売新聞。問題があるようでしたら削除させていただきます。






*敗れた帝京商業の五番ファーストが「杉下」。「杉下茂」が初めて活字になった瞬間ではないでしょうか。








 

17年 阪神vs名古屋 10回戦


8月13日 (木) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 計
0 0 0 0 0 0 2 1 1  0   0   4 阪神     36勝30敗2分 0.545 若林忠志
0 0 1 2 0 0 0 0 1  0  1X  5 名古屋 25勝43敗2分 0.368 河村章 石丸進一

勝利投手 石丸進一 11勝12敗
敗戦投手 若林忠志 15勝9敗

三塁打 (神)御園生

勝利打点 芳賀直一 1

猛打賞 (名)芳賀直一 1


地味な選手の派手な記録

 名古屋は3回、一死後芳賀直一が二前に内野安打、プッシュバントだったかもしれない。トップに返り石丸藤吉の一ゴロの間に芳賀が二進、桝嘉一のレフト線タイムリーで芳賀が還り1点を先制する。

 名古屋は4回、先頭の岩本章が中前打、四番に入った本田親喜も左前打で続き無死一二塁、吉田猪佐喜の右前打で無死満塁、古川清蔵の遊ゴロで吉田が二封される間に岩本が還って2-0、更に二走本田もホームに還る好走塁を見せて3-0とする。

 6回まで名古屋先発の河村章に4安打無得点の阪神は7回、一死後カイザー田中義雄がショートに内野安打、若林忠志は中飛に倒れるが野口昇が左前打を放って二死一二塁、塚本博睦の中前打で二走田中がホームに走り、センター桝からのバックホームはタイミングはアウトであったが悪送球となって田中が生還、野口は三塁、塚本は二塁に進んで二死二三塁、トップに返り山口政信の代打御園生崇男が左前にタイムリーを放って2-3と1点差に追い上げる。

 阪神は8回、先頭の松本貞一が四球で出塁、土井垣武の遊ゴロの間に松本は二進、藤井勇の一ゴロの間に松本は三進、田中の三塁内野安打で松本が還り3-3の同点に追い付く。若林も二塁内野安打で二死一二塁、名古屋ベンチはここで先発の河村から石丸進一にスイッチ、野口は投ゴロに倒れて同点止まり。

 阪神は9回、一死後御園生が右中間に三塁打、松尾五郎の遊ゴロの間に御園生が還って4-3と逆転する。

 名古屋は9回裏、先頭の本田が四球を選んで出塁、吉田の中前打の際、センター塚本からの返球が逸れる隙を突いて本田が三塁に進んで無死一三塁、古川清蔵の遊ゴロで阪神は「6-4-3」のゲッツーを取るが当然三走本田が生還して4-4の同点となる。ショート野口昇は三走本田を牽制してから二塁に送球したと考えられ、ここも本田の好走塁が光った可能性が高い。

 阪神は10回表、一死後藤井が中前打で出塁、田中が死球を受けて一死一二塁、しかし若林の二塁ベース寄りのゴロを捕球したセカンド石丸藤吉がベースを踏んで一塁に送球、「4B-3」の併殺が完成してスリーアウトチェンジ。

 名古屋は10回裏、二死後桝が右前打で出塁、岩本が中前打、本田の遊ゴロをショート野口がエラーして二死満塁、しかし吉田の二ゴロで本田が二封されてスリーアウトチェンジ。

 阪神は11回表、一死後塚本が四球を選んで出塁、しかしここも9回裏の守備から御園生に代わってライトに入っている上田正の遊ゴロが「6-4-3」と渡ってダブルプレー。

 名古屋は11回裏、一死後木村進一がストレートの四球で出塁、石丸進一の三ゴロの間に木村が二塁に進んで二死二塁、打席はここまで2安打の芳賀直一、芳賀の3安打目が右前に飛んで二走木村がホームイン、名古屋が激闘を制してサヨナラ勝ち。


 若林忠志は10回3分の2を完投したが12安打4四球4三振で5失点、9回と11回の失点は四球がきっかけとなった。


 地味ながら名古屋のサードを守る芳賀直一が猛打賞となるサヨナラ打を放った。今季、サヨナラ打を猛打賞で飾ったのは5月1日の中島治康と5月15日の岩本義行のみである。地味な芳賀が、球史に残る名選手と並ぶ派手な働きを見せた試合であった。




 

2015年7月15日水曜日

左のエース



 右のエース堀内と並ぶ左のエース、高橋一三投手の訃報が伝えられています。


 名前から「ワンスリー」と呼ばれていたそうですが、筆者には「一」を意味する「高橋ピン」の愛称の覚えがあります。


 武器のスクリューボールは1971年の日米野球で来日したオリオールズのクエイヤーから盗んだものだと思っていますが確証はありません。巨人時代は「落ちるシュート」と実況されていたと記憶しています。


 直接見た試合では昭和46年10月17日(日)の日本シリーズ巨人vs阪急第5戦が強く印象に残っています。中学1年の秋、友達数人と日曜の後楽園球場ライトスタンドで見ていました。勝てば巨人の七連覇が決まる試合に先発した高橋一三は、阪急打線を抑えてきましたが8回に大ピンチを迎えます。5点はリードしているものの安打、四球、エラーで二死満塁、ここで登場したのがとっておきの代打スペンサーでした。ツーストライクから投じたボールは大きく落ちてスペンサーが空振り三振、9回も抑えて巨人の七連覇が決まりました。


 高橋一三がスペンサーに投じた一球はフォークボールだったと思っています。高橋一三がフォークを投げていたかどうかは知りません。ライトスタンドから見ていた中学1年生の目には、ストーンと落ちるフォークに見えました。今、振り返ってみれば、高橋一三が得意にしていた鋭く大きく曲がり落ちるカーブだった可能性が高いと考えられますが、あれはフォークボールだったということにしておきましょう。心からお悔やみ申し上げます。


 

17年 黒鷲vs朝日 9回戦


8月13日 (木) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 計
1 0 0 0 0 0 0 0 0  0   0   0  1 黒鷲 15勝45敗7分 0.250 石原繁三
0 0 0 0 0 0 1 0 0  0   0   0  1 朝日 30勝35敗3分 0.462 林安夫

二塁打 (朝)岩田、鬼頭
三塁打 (朝)五味

勝利打点 なし

猛打賞 (朝)坪内道則(4安打)、岩田次男(4安打)


坪内道則、今季4度目の4安打固め打ち

 黒鷲は初回、先頭の山田潔はピッチャーライナーに倒れるが、杉江文二が四球を選んで出塁、玉腰忠義の右前打で一死一三塁、ここは「打走法」か。続く木下政文の打席で一走玉腰がディレードスチール、キャッチャー伊勢川真澄がセカンド鬼頭政一に送球すると三走杉江がホームに走り、鬼頭のバックホームはタイミングはアウトであったがキャッチャー伊勢川が落球して杉江がホームイン、この間に玉腰も二塁に進む。木下は三振、金子裕は一邪飛に倒れて追加点はならず。

 朝日は7回、先頭の岩田次男が二遊間に内野安打、鬼頭の右中間二塁打で岩田が一気にホームに還り1-1の同点に追い付く。

 試合はこのまま石原繁三、林安夫の投げ合いが続き、延長12回引き分けた。黒鷲は8安打4四球で9残塁、朝日は12安打1四球で8残塁であった。


 岩田次男と坪内道則が4安打を記録した。坪内は今季5度目の猛打賞を獲得したが、そのうち4安打は4度目である。

 坪内は今季44盗塁を記録して2年連続盗塁王、打率もベストテンの5位でキャリアハイのシーズンとなるが、そのシーズンを象徴する記録が固め打ちの多さであった。今季はここまで誰も一試合5安打以上を記録しておらず、4安打は北原昇、川上哲治、中島治康、土井垣武、カイザー田中義雄、岩田次男が各1回、岩本義行が2回記録しており、坪内道則の4回は断トツの数字である。




 

2015年7月14日火曜日

価値ある四球



 楽天が9回に追い付いて延長戦に突入、ここまで無安打の秋山翔吾に連続試合ヒットのチャンスが巡ってきた。


 スリーボールワンストライクからの内角低め変化球は空振り、スリーボールツーストライクからの外角球は手を出せないほどではなかったが見送って四球を選ぶ。


 送りバントと浅村の死球で二死一二塁、中村のサヨナラスリーランで決勝のホームを踏んだのが秋山であった。


 連続ヒットは31試合で途切れて長池の32試合には追い付けなかったが、チームプレーに徹する価値ある四球であった。


 西武球場も粋な計らいを見せた。ヒーローインタビューは中村の前に秋山、「どうしてここにいるんでしょうか」のコメントが笑わせてくれた。


 

2015年7月13日月曜日

三冠への道 2015 その10 本塁打率7割5分




 続きまして、ニューヨーク・メッツに移籍したカーク・ニューエンハイスの7月の成績にもご注目ください。


 ニューエンハイスは7月、ここまで6試合に出場して10打数4安打に過ぎませんが、3本塁打を記録しています。しかももう1本も二塁打です。


 安打数に占める本塁打数を「本塁打率」と定義すると、ニューエンハイスの本塁打率は7割5分となります。四球を3個記録しており犠飛はありませんので出塁率は(4+3)÷(10+3)で5割3分8厘、長打率は(4×3+2×1)÷10=14割0分0厘。OPSは0.538+1.400で1.938となります。


 ここまで10打数ですから月間MVPの対象にはなりませんが、ここまで来ればOPS2.00越えを目指して頑張ってほしい(笑)。


 

三冠への道 2015 その9 打率より出塁率が低い


 LA.エンゼルスのC.J.クロンの7月の成績にご注目ください。


 クロンは7月、8試合に出場して30打数16安打で打率5割3分3厘。1四球を記録していますが出塁率は5割3分1厘と打率よりも低い。何故このような現象が生じるのでしょうか?

 打率は(安打)÷(打数) 英語で言うと (H/AB)
 出塁率は(安打+四球+死球)÷(打数 + 四球 + 死球 + 犠飛) 英語で言うと(H+BB+HBP)/(AB+BB+HBP+SF)


 で計算されます。HBPは「 hit by pitch」で死球、SFは「a runner tags up and scores after a batter's fly out」で「sacrifice fly」=犠飛を意味します。


 クロンは四球が1個と共に犠飛が1個あり、出塁率は(30+1)÷(30+1+1)=5割3分1厘と、打率5割3分3厘よりも出塁率が低くなってしまいます。出塁率は打率に四死球が加わるだけで必ず打率より高くなると思っていましたが、打率が5割を超える状況で犠飛が加わるとこのような現象が生じることに初めて気が付きました。

 知っていた方には敬意を表します(笑)。


 

17年 巨人vs阪神 9回戦


8月12日 (水) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 2 0 0 0 2 巨人 45勝18敗3分 0.714 須田博
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 阪神 36勝29敗2分 0.554 御園生崇男

勝利投手 須田博      12勝5敗
敗戦投手 御園生崇男 10勝8敗

二塁打 (神)塚本
三塁打 (巨)楠

勝利打点 楠安夫 3


須田博、今季3度目の完封

 巨人、阪神共に5回まで3安打を放つが無得点のまま試合は後半戦へ。

 巨人は6回、一死後中島治康が右前打、川上哲治の右前打で続いて一死一二塁、ここで楠安夫が右中間を破る三塁打、均衡が破れて2点を先制する。

 巨人は7回、先頭の坂本茂が右前打で出塁、須田博が送って一死二塁、追加点を狙う藤本定義監督はここで小池繁雄に代えて代打広瀬習一を起用、しかし広瀬は遊ゴロに倒れて二走坂本は三進、トップに返り呉波が四球から二盗を決めて二死二三塁とするが、水原茂は左飛に倒れて追加点はならず。

 巨人先発の須田博は6回以降も阪神打線を無得点に抑え、6安打1四球3三振で今季3度目の完封、12勝目をあげる。


 巨人は11日から13日の3試合に白石敏男が欠場してショートには小池繁雄と三好主を併用している。11日の名古屋戦は三好がフル出場、この日は小池がスタメンであったが肝腎なところで広瀬習一が代打に起用され、その後に三好がショートに入った。明日の阪急戦は三好が先発して途中で小暮力三が代打に起用されて小池に交代する。


 歴史に「IF」は禁物であるが、戦場から戻った沢村栄治 の肩が壊れておらず二度目の兵役もなく、中尾輝三、須田博と共に三本柱が形成されていたら、広瀬習一は内野手として起用されていたであろう。昭和16年は千葉茂、水原茂、白石敏男の牙城を崩すのは難しかったと考えられるが、千葉が兵役で抜けた昭和17年のセカンドは坂本茂ではなく駿足好打の広瀬が務めていた可能性が高いのではないか。本日の代打起用は、そのような空想を惹起させてくれる。



 

17年 大洋vs朝日 9回戦


8月12日 (水) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 2 0 0 0 0 0 2 大洋 38勝24敗5分 0.613 野口二郎
0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 朝日 30勝35敗2分 0.462 福士勇

勝利投手 野口二郎 25勝11敗
敗戦投手 福士勇      8勝9敗

三塁打 (朝)坪内

勝利打点 織辺由三 4


大洋、マルチ残塁7回

 大洋は初回、先頭の中村信一が四球を選ぶが濃人渉の送りバントは捕飛となって失敗、野口二郎が右前打を放って一死一三塁とするが後続なく2残塁。

 大洋は2回、村松長太郎、山川喜作が連続で右前打を放ち無死一三塁、しかし佐藤武夫は浅い左飛、織辺由三の三ゴロで三走村松は本封、トップに返り中村も三ゴロに終わり2残塁。

 大洋は3回、一死後野口二郎が右前打から二盗を決めるが野口明は右飛、浅岡三郎は三振に倒れて1残塁。

 大洋は4回、先頭の村松が左前打、山川が送って佐藤は四球、織辺由三の中前タイムリーで1点を先制、一死一三塁から織辺が二盗を決めて二三塁、トップに返り中村は捕邪飛に倒れるが濃人が四球を選んで二死満塁、野口二郎の二ゴロをセカンド鬼頭政一がエラーする間に三走佐藤がホームインして2-0、二走織辺も三塁ベースを蹴ってホームを狙うが鬼頭からの送球にタッチアウト。濃人と野口二郎に残塁が記録されて2残塁。

 大洋は5回、野口明が右前打、浅岡は四球、村松と山川は外野飛球に倒れるが佐藤が5球ファウルで粘って四球を選び二死満塁、織辺の三ゴロをサード岩田次男がベースを踏んでスリーアウトチェンジ、この回は3残塁。

 大洋は6回、一死後濃人が左前打、野口二郎の遊ゴロをショート五味芳夫がエラー、野口明は中飛、浅岡は遊飛に倒れて2残塁。

 大洋は7回、村松は左飛、山川は中飛、佐藤は三振に終わり初めて三者凡退。

 大洋は8回、二死後濃人が四球、野口二郎はピッチャー強襲ヒット、野口明の遊ゴロで二郎が二封されて2残塁。

 大洋は9回、一死後村松がストレートの四球、山川は中飛に倒れるが佐藤が左前打、織辺は遊飛に倒れて2残塁、合計16残塁を記録した。


 朝日は9回裏、先頭の坪内道則が左中間に三塁打、五味に代わる代打林安夫の左犠飛で1-2とするが、鬼頭に代わる代打内藤幸三は二ゴロ、浅原直人は一飛に倒れて試合終了。


 野口二郎は105球を投げて4安打1四球4三振1失点の完投、25勝目をあげる。

 朝日先発の福士勇は9回を完投して10安打7四球2三振2失点、自責点1、投球数は160球であった。


 大洋は全員残塁を記録。濃人渉が3残塁、野口二郎も3残塁。野口明、佐藤武夫、織辺由三の3人が2残塁を記録、合計16残塁であった。7回の攻撃だけ三者凡退で毎回残塁は逃したが、2残塁以上のマルチ残塁を7度記録した。試合時間は1時間35分。



*野口二郎は105球で25勝目、福士勇は160球で9敗目を喫した。






*このスコアで2点しか入らなかった。



 

2015年7月12日日曜日

野口二郎の31試合連続ヒット



 西武の秋山翔吾が31試合連続ヒットを達成して野口二郎の記録に並びました。この快挙を記念して、昭和21年に野口二郎が記録した31試合連続ヒットを検証してみます。


 野口二郎の記録は達成当時認識されておらず、後に調べ直して判明したことで知られています。その理由について、「Wikipedia」には「これは野口が野手ではなく、投手だったために試合出場が飛び飛びであった事が理由で見落とされ」と書かれています。これが全くの事実誤認であることから話を進めていきましょう。


 野口二郎は8月29日~10月26日に阪急が戦った全31試合に出場して連続ヒット記録を達成しています。この時点で「試合出場が飛び飛びであった」は事実誤認であることが分かります。これはスコアカードから検証しなくても、「日本プロ野球私的統計研究会」の「スタメンアーカイブ」を見ていただくだけでも分かることです。1946年のこの時期、野口二郎は阪急の四番又は三番として全試合に先発出場しています。守備位置は主にライトでピッチャーもやっており、1試合だけ試合途中でファーストに入っています。


 この間、ピッチャーとしての先発は7試合で、リリーフでも6試合に登板しており、82回3分の2を投げて82安打20四球12三振30失点、自責点24。ピッチャーとしては戦前よりも衰えていることが分かります。


 打撃の方ですが、131打数48安打、打率3割6分6厘。20得点15打点、二塁打3本、三塁打3本。4四球しか記録していませんので積極的に打っていっていることが分かります。更に4盗塁も記録しており、足の方は衰えていないようです。


 何故、「試合出場が飛び飛びであった」などと誤って伝わったしまったのか。投手を兼任しているのは事実ですが、31試合全てに四番、又は三番で出場していますので気が付かないとは考えられません。当時は、「連続試合ヒット」が意識されていなかったことが見つからなかった理由でしょう。「試合出場が飛び飛びであった」などという事実誤認は、後付の言い訳に過ぎません。


 10月27日の32試合目は巨人の藤本英雄に抑え込まれて3打数無安打に終わったことはよく知らていますが、記録が始まる前については全く知られていませんので本邦初公開といきましょう。記録が始まる直前の8月26日はパシフィックとの11回戦、阪急打線は井筒研一に4安打完封されており、野口二郎は3打数無安打。第一打席は中飛、第二打席は捕飛、第三打席は三振、9回に第四打席が回ってくるチャンスがありましたが、一死一塁で三番吉田昇が二ゴロ併殺に倒れて試合終了、ここで四番野口二郎に回っていれば32試合連続ヒットになっていたかもしれません。その前の試合も3打数3安打でしたから、33試合連続ヒットの可能性も考えられます。


 

17年 巨人vs名古屋 10回戦


8月11日 (火) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 巨人     44勝18敗3分 0.710 広瀬習一
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 名古屋 24勝43敗2分 0.358 森井茂 河村章

勝利投手 広瀬習一 19勝6敗
敗戦投手 森井茂      1勝8敗

三塁打 (巨)呉

勝利打点 中島治康 12


広瀬習一、今季9度目の完封

 巨人は初回、先頭の呉波がセンター左奥に三塁打、水原茂の遊ゴロに呉は動かず一死三塁、中島治康の遊ゴロで呉がホームに突っ込み、ショート木村進一がバックホームするがセーフ、野選が記録されて1点を先制する。

 名古屋は1回裏、先頭の石丸藤吉が左前打で出塁、岩本章は送らず一二塁間にゴロを打つが一走石丸藤吉が守備妨害、一死一塁から岩本が二盗を決めて一死二塁、しかし好調・本田親喜は三振、吉田猪佐喜も二ゴロに倒れて同点のチャンスを逸す。

 この初回の攻防が明暗を分けた。

 巨人は2回から4回まで3イニング連続併殺でチャンスの芽を潰す。2回は1氏後広瀬習一の三ゴロをファースト田中金太郎が落球して一死一塁、続く多田文久三の二ゴロが併殺となるが、記録は「×4-3」なので一走広瀬の守備妨害がありながらセカンド石丸藤吉は一塁に送球して打者走者の多田を刺して併殺が完成したようだ。

 名古屋は8回、一死後芳賀直一が右前打で出塁、トップに返り石丸藤吉の投ゴロで芳賀は二封、ショート三好主からの一塁転送はセーフであったが石丸藤吉は「6-3-4」でアウトとなり一度は併殺が記録されたが、プレーは途切れていたようでこの併殺は取り消された。


 広瀬習一は3安打2四球1三振で今季9度目の完封、19勝目をあげる。ハーラー争いは野口二郎が24勝でトップを独走しているが、二位の19勝に神田武夫、林安夫、広瀬習一の3人が並んだ。



*広瀬習一は110球で今季8度目の完封。



 

2015年7月11日土曜日

17年 大洋vs黒鷲 10回戦


8月11日 (火) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 計
0 0 0 1 0 0 0 0 0  0   0   1  2 大洋 37勝24敗5分 0.607 重松通雄 三富恒雄
1 0 0 0 0 0 0 0 0  0   0   0  1 黒鷲 15勝45敗6分 0.250 畑福俊英

勝利投手 三富恒雄 9勝8敗
敗戦投手 畑福俊英 2勝9敗

二塁打 (大)村松、浅岡 (黒)山田2

勝利打点 野口明 5


野口明が決勝打

 大洋は初回、先頭の中村信一が二失に生きるが、濃人渉の遊ゴロが「6-4-3」と渡ってダブルプレー、この後浅岡三郎が中前打、野口明も左前打を放って二死一二塁、しかし村松長太郎は中飛に倒れて無得点。

 黒鷲は1回裏、先頭の山田潔がレフト線に二塁打、杉江文二の中前打で無死一三塁、杉江の二盗の際、キャッチャー野口明からの送球が悪送球となって三走山田が生還、1点を先制する。

 黒鷲は3回、一死後玉腰忠義が右前打で出塁、木下政文は二飛に倒れるが、金子裕の右前打で二死一三塁、大洋ベンチはここで先発の重松通雄から三富恒雄にスイッチ、金子が二盗を決めて小松原博喜は四球、二死満塁とするが鈴木秀雄は三振に倒れて無得点。

 大洋は4回、一死後村松長太郎がレフト線に二塁打、古谷倉之助が四球を選んで一死一二塁、西岡義晴に代わる代打野口二郎が左前に同点タイムリーを放って1-1とする。

 この後は大洋二番手の三富恒雄と、黒鷲先発の畑福俊英の投げ合いが続き延長12回を迎える。

 大洋は12回表、二死後浅岡が左前打で出塁、浅岡が勝負を賭けた二盗を決めて二死二塁、初回に手痛い悪送球で黒鷲に先制点を与えてしまった野口明がライト線にタイムリーを放って2-1とする。

 黒鷲は12回裏、一死後畑福が気魄の左前打、代走に石原繁三を起用、トップに返り山田は左飛、杉江は二飛に倒れて試合終了。


 3回途中からリリーフした三富恒雄は9回3分の1を投げて3安打4四球6三振無失点、9勝目をあげる。

 黒鷲先発の畑福俊英は12回を完投して9安打3四球5三振2失点、12回表に決勝点を許した直後の12回裏の打席では意地の左前打を放つも9敗目を喫した。


 大洋の得点は野口二郎の同点打と野口明の決勝打、このところ野口兄弟の活躍が目立っている。