2015年6月1日月曜日

17年 巨人vs阪急 8回戦


7月26日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 1 0 0 0 1 0 0 2 巨人 41勝17敗1分 0.707 須田博
0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 阪急 28勝27敗2分 0.509 笠松実

勝利投手 須田博 10勝5敗
敗戦投手 笠松実   8勝11敗

二塁打 (巨)白石
三塁打 (巨)楠
本塁打 (巨)須田 1号

勝利打点 中島治康 10


中島治康、10個目の勝利打点

 阪急2連戦の初戦に広瀬習一を立てた巨人は2戦目に須田博を先発させた。エースの座を奪われかねない須田としては心中穏やかならざるものがあったであろう。

 初回の二死満塁のチャンスを生かせなかった巨人は3回、先頭の白石敏男が左中間に二塁打、呉波が送って一死三塁、中島治康の中犠飛で1点を先制する。

 須田は6回まで無安打ピッチング、出した走者は5回一死後山下好一に与えた四球だけで続く日比野武を遊ゴロ併殺に打ち取り、6回まで阪急打線を18人で片付ける。

 巨人は7回、二死後須田がレフトスタンドにホームランを叩き込んで2-0とする。

 阪急は7回裏、一死後上田藤夫が左前にチーム初ヒット、黒田健吾も左前打で続いて一死一二塁、小田野柏の二ゴロで黒田が二封されて二死一三塁、山下好一の三ゴロをサード三好主が一塁に悪送球する間に三走上田が還って1-2、なお二死二三塁とするが日比野が遊ゴロに倒れて1点差止まり。翌日の読売新聞に掲載された鈴木惣太郎の論評によると「山下の三ゴロを三好が低投すると川上は手にも触れずに塀際まで後逸して上田の生還となり、しかも球を拾った川上は悠々投手に返球したので走者小田野に十分生還の機会があったが西村が押止めてしまった」と、三塁コーチャー西村正夫のミスを指摘している。鈴木は当時の「野球界」にもベースコーチの重要性を説く論評を掲載しており、その論理が終始一貫している。また、川上の守備の下手さは戦前からのものであったことも分かる。

 須田博は8回、9回と阪急打線を無安打に抑え、2安打2四球7三振1失点、自責点ゼロの完投、六度の三者凡退を記録して10勝目をあげる。まだ広瀬にエースの座を譲る訳にはいかない。7回に自ら放った追撃の本塁打が効いた。


 中島治康が決勝犠飛により10個目の勝利打点を記録した。一リーグ時代の勝利打点を知ることができるのは当ブログだけです。勝利打点など、勝負強さ以外のファクターも加わるのでその価値を見出そうとしない輩が多いのですが、要は自ら調べることのできないものを否定したいだけです。ネットでチャチャチャの輩にそういう論調がよく見られます。きちんと調べてみると、勝利打点は強打者の証であることが分かります。勝利打点が公式記録として認定されていた当時の勝利打点王の顔ぶれをよくご確認ください。




 

0 件のコメント:

コメントを投稿