2014年10月17日金曜日

17年 巨人vs黒鷲 2回戦


4月22日 (水) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 1 0 0 3 0 0 4 巨人 9勝4敗 0.692 多田文久三
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 黒鷲 4勝9敗 0.308 小松原博喜

勝利投手 多田文久三 2勝0敗
敗戦投手 小松原博喜 0勝1敗

勝利打点 多田文久三 1


多田文久三2安打完封

 黒鷲は小松原博喜がプロ入り初登板初先発で怪投(?)を見せた。

 巨人は4回、先頭の楠安夫が四球で出塁、伊藤健太郎は中飛に倒れるが呉波の右翼線ヒットで楠は三塁に進み呉も二盗に成功、三好主が四球を選んで一死満塁、多田文久三の中犠飛で1点を先制する。これが勝利打点となった。

 巨人は7回、白石敏男、水原茂が連続四球、中島治康の左前タイムリーで2-0、川上哲治は遊飛に倒れるが、楠の右前タイムリーで3-0、ライト富松信彦からの返球をショート山田潔が逸らす間に一走中島も一気にホームに還り4-0として試合を決める。

 巨人先発の多田文久三は初回、三者三振と上々の立ち上がりを見せ、4回までパーフェクトピッチング。5回に1四球、6回に2四球を与えるがここまでノーヒットノーラン。7回、先頭の木下政文を四球で歩かせると小松原に中前打を許し無安打無得点は消える。しかし鈴木秀雄を三振、杉山東洋夫に代わる代打畑福俊英を三ゴロ併殺に打ち取りここまで無失点。8回を三者凡退に抑え、9回、富松に代わる代打松本操に左前打を許すが谷義夫を遊ゴロ併殺に打ち取り、最後は木下を投ゴロに仕留める。多田は2安打4四球4三振の完封で今季2勝目、多田にとって戦前唯一の完封勝利となった。


 黒鷲先発の小松原博喜はコントロールがままならず、1回、2回、4回、5回、8回と5度も1イニング2四球を記録、結局14四球を与えた。1992年7月10日に野茂英雄が14四球を出して小松原の記録に並び、1994年7月1日には同じく野茂が一試合16与四球の日本記録を樹立することとなる。


 小松原博喜は横浜商業時代、浅野中学の飯田徳治、県商工の宮崎俊夫と共に‟神奈川県三羽烏”と言われた名投手であった。三羽烏の中では飯田徳治が野球殿堂入りする名選手となり、小松原も戦後は巨人で四番を打つ強打者に成長する。宮崎俊夫はプロには進んでいないが、昭和53年に刊行された「神奈川県高等学校野球六十年史 球音」には宮崎のインタビュー記事が掲載されている。小松原は昭和40年に40歳で早逝することとなる。





*多田文久三は2安打完封、小松原博喜は14与四球を記録する。











*小松原博喜から14四球を選んだ巨人打線。




















 

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