2014年7月26日土曜日

四度目の正直



 センバツには1回出場していますが夏は2001年、08年、10年と3回決勝に進出しながら涙を呑んできた東海大望洋が専大松戸との決勝戦を制して四度目の正直で夏の甲子園初出場を果たしました。おめでとう!


 結果は13対2ですからスコアだけを見ると凡戦に見えるかもしれませんが、ちょっとしたことで流れが変わる試合でした。望洋が2回に6点をあげたのはよくある話ですが、3回あたりから流れは専松に向いてきました。4回の2点はマリンの風に助けられたものでしたが2対6に追い上げた時点ではまだ逆転の目はありました。続く専松の攻撃で一死二三塁のチャンスを作りましたが犠牲フライには十分のセンターライナーに三走が飛び出して3点目を奪えず、この走塁ミスで試合は決したのです。


 それでも次の点を取ればまだ専松にもチャンスはあると見ていましたが望洋が7点目を取ったところでノーチャンスとなりました。冷静に考えれば望洋の力が上回っていたということです。但し、甲子園では1回戦か2回戦で姿を消すでしょう。千葉県は170校が参加する全体のレベルは落ちているとも思えませんが、有力選手が分散して単体のチーム力が落ちているのは明らかです。



 千葉県高校野球の黄金時代が1974年の銚子商業、1975年の習志野による2年連続夏の甲子園優勝をピークとする時代であったことは疑いようのない事実です。当時は千葉県東部地区の銚子商業、県央の成東と木更津中央、西部地区の習志野に有力選手が集中していましたが、80年代から東京のベッドタウン化してきた東葛地区に人口が集中していくに連れ、東部及び県央地区の地盤沈下は著しく、さりとて東葛地区には複数の有力校が現出して有力選手の分散化が推し進められていったのです。神奈川が四強に有力選手が集中している現象と極めて対称的です。


 昭和40年の人口は市川市が20万人、松戸市が16万人、柏市が10万人でした。48年後の平成25年では市川市が47万人、松戸市が48万人、柏市が40万人です。更に、流山市は4万人から17万人、我孫子市も5万人から13万人、野田市が5万人から15万人、鎌ヶ谷市(市制は昭和46年から)は4万人から10万人という増加となっています。一方、銚子市は昭和40年の9万人から平成25年には7万人を割り込んでいるのです。これでは銚子商業に有力選手が集まらなくなるのも当然ですね。


 人口の急増地域には新興勢力が現出します。上記のデータで人口増加率が流山市に次いで二位の柏市(10万→40万=400%)の躍進は著しく、柏日体、流経大柏、沼南などいつ甲子園に行ってもおかしくない新興勢力が目白押しです。



 このような状況下で、2007年に持丸監督を招聘した専大松戸が異質の強豪校へと変貌を遂げてきたのです。千葉県高校野球黄金時代においてもベスト8の常連で1977年にはベスト4にも進出しています。2010年、12年、13年がベスト4、今年はベスト4の壁を突破して決勝にまで進出してきました。専大松戸が甲子園の重い扉をこじ開ける時は、間近に迫っているのです。










 

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