2014年5月5日月曜日

31年ぶり決勝進出



 正直今日は勝てるとは思っていませんでした。


 ということで、当ブログ2度目の卓球ネタです。


 第二試合から全てフルゲームの末、石川佳純、平野早矢香がやってくれました。第三試合の平野早矢香は2ゲームを落として第3ゲームも4対9の土壇場に追い込まれながら逆転勝ち。石川佳純がエースの意地を見せて1983年東京大会以来31年ぶりの決勝進出を決めたのです。


 筆者の亡き父は高校時代卓球でインターハイ団体優勝、国体にも出場したシェイクハンドのカットマンでした。筆者も小学校時代は真間小学校の体育館に連れていかれてカットボールをオーバースピンをかけながら打ち返していました。真間小学校の教頭先生もかつての卓球選手だったそうで、筆者とラリーをやっていました。フォアハンドは打ち返せるのですが、バックに打ち込まれると返せませんでした。筆者は荘則棟を真似てペンホルダーの前陣速攻でしたがバックは苦手でした。バックが打てればもう少し卓球を続けていたかもしれませんが、矢張り野球の魅力には勝てませんでしたね(笑)。


 明日の中国戦に勝てば1971年以来の優勝となります。筆者の小学校時代は第二期黄金時代でした。


 日本卓球史を検証してみましょう。1950年代は荻村伊智朗を中心とする黄金時代で1954年のウェンブリーから56年の東京を挟んで59年のドルトムントまで男子団体は五連覇、女子団体も57年のストックホルムから63年のプラハまで四連覇を飾っています。正に“卓球日本”の時代でした。


 中国が台頭してくるのはその後のことで、荘則棟が61年の北京から65年のリュブリャナまで男子シングルスで三連覇しますが、文化大革命のため世界選手権には出られなくなり、日本の第二期黄金時代となります。筆者が卓球をやっていたのがちょうどこの時のことで、長谷川信彦、 河野満 、伊藤繁雄のビッグスリーが世界を席巻していました。女子も69年のミュンヘンで小和田敏子が女子シングルスに優勝するまで7大会中6大会で日本選手が女子シングルスで世界チャンピオンになっているのです。71年の名古屋大会は大関行江、小和田敏子の活躍で女子団体優勝、2014年東京大会で決勝進出を決めた女子団体が中国を破れば43年ぶりの優勝となるのです。


 彫刻刀でラケットのグリップを削ってオリジナルのグリップにしていた頃が懐かしいですね(笑)。




 

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