2014年4月3日木曜日

16年 大洋vs巨人 7回戦



8月17日 (日) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 計
0 0 0 0 0 0 0 1 0  0   0   0   0   0   0   0   0   0 1 大洋 33勝18敗1分 0.647 古谷倉之助 野口二郎
0 0 0 0 0 0 1 0 0  0   0   0   0   0   0   0   0   0 1 巨人 36勝13敗2分 0.735 澤村栄治

三塁打 (巨)川上

勝利打点 なし


巨人、二試合連続引分け

 巨人は二試合連続引分け。但し昨日は第二試合で日没であったが本日は第一試合で試合終了は午後4時である。この試合がなるはずのない引分けになった理由を苅田久徳は自伝「天才内野手の誕生」に次のように書いている。

 「・・・夏の太陽は容赦ない。ギラつく光量をたっぷり吸い込んだ、だぶだぶのユニフォーム。いまのように着がえ用などないときだ。プレーしていても不快感はたえず伴う。両軍選手の動きも、どこかけだるくなりがちだ。私は、むらむらと怒りを感じた。こんなままでやるのが、いいことなのか、プロとして恥ずかしくないプレーを見せることなのか。私は富樫理事⦅阪神⦆のところへヒザ詰め談判にいった。
 『これ以上選手に負担をかけたくない。ドローにしてくださいませんか』
 『いや、特例を認めるわけにはいかん』
 富樫理事とやり合ったのも、その“特例”であった。軍部からの通達で“真摯敢闘”の建て前から引き分けなしが原則。黒白を最後までつけるのが決められていた。・・・
 選手のためにやってるんだ、その自覚が私を激情に走らせた。処罰覚悟の上で、である。・・・私はいいたいことをいい、やりたいことをやった満足感に、ひとしきり浸ったものだ。」


 これがこの試合が実質今季初の引分けとなった真相のようである。

 但し、例によって苅田の自伝は苅田の記憶違いからか事実関係が間違っており、「こちらはもちろん、野口二郎をたてる。巨人は中尾が先発して、途中から沢村がリリーフに立つ。」と書かれているが、事実は大洋の先発は古谷倉之助であり野口二郎は6回途中からのリリーフ、巨人は澤村栄治が先発して18回を完投している。






 大洋は初回、一死後森田実が二塁に内野安打、しかし濃人渉の三ゴロは「5-4-3」と渡ってダブルプレー。

 巨人は1回裏、先頭の白石敏男が四球から二盗に成功して無死二塁、しかし水原茂は投ゴロ、千葉茂は二ゴロ、川上哲治は一ゴロに倒れて無得点。

 大洋は4回、一死後濃人が二遊間に内野安打、野口は左飛に倒れるが石井豊は四球を選んで二死一二塁、古谷の左前打で二走濃人は三塁ベースを蹴ってホームに向かうがレフト平山菊二からのバックホームにタッチアウト、大洋も無得点に終わる。

 巨人は6回、一死後中島治康の三ゴロをサード山川喜作が一塁に悪送球、吉原正喜が四球を選んで一死一二塁、大洋・苅田現場監督は先発の古谷を下げてライトから野口二郎をマウンドに呼び、ライトには浅岡三郎を入れる。平山の右飛で一走吉原が飛び出し、ライト浅岡からの返球に「9-3」と送球されてダブルプレー。苅田現場監督としても、こうもズバリ用兵が的中すると笑いが止まらないでしょう。

 巨人は7回、先頭の呉波がセーフティバントを決めて出塁、澤村が送って一死二塁、トップに返り白石がピッチャー強襲ヒット、水原が左前にタイムリーを放って1点を先制する。

 大洋は8回、先頭の織辺由三が中前打で出塁、トップに返り中村信一が送って一死二塁、森田の二ゴロで二走織部は三進、濃人が左前に同点タイムリーを放って1-1とする。

 延長に入って大洋は3安打、巨人は2安打で両軍無得点、上記のような経緯で異例の引分けが宣告される。試合開始午後1時7分、試合終了4時ちょうど、2時間53分の熱戦であった。


 野口二郎は12回3分の1を投げて5安打1四球1三振1失点。


 澤村栄治は18回を完投して10安打7四球1死球3三振1失点であった。澤村の球歴に残るこの試合のピッチングはほとんど伝えられておらず、初めて知る方も多いのではないでしょうか。兵役により手榴弾を投げ過ぎて肩を痛め、左手には貫通銃創を負い、マラリアに蝕まれて肩が上がらずサイドハンドに変わっていた頃の史実です。




            *澤村栄治と古谷倉之助-野口二郎の投げ合いを伝えるスコアカード




 










 

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