2014年4月27日日曜日

16年 名古屋vs大洋 9回戦


9月22日 (月) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 名古屋 27勝32敗 0.458 村松幸雄
0 0 0 0 0 2 0 0 X 2 大洋    36勝23敗1分 0.610 三富恒雄

勝利投手 三富恒雄 4勝5敗
敗戦投手 村松幸雄 7勝6敗

二塁打 (大)石井

勝利打点 野口二郎 4

猛打賞 (大)石井豊 2


三富恒雄、4安打完封

 名古屋は2回、先頭の服部受弘が三塁に内野安打、しかし吉田猪佐喜の二直に飛び出してダブルプレー。3回、先頭の石丸進一が中前打、村松幸雄は四球、更にピッチャー三富恒雄の一塁牽制悪送球で無死二三塁、石丸藤吉の左飛で三走弟の進一がタッチアプからホームに向かうがレフト織辺由三からのバックホームをカットしたピッチャー三富の本塁送球にタッチアウト。スコアカードには「7-1-2」と記録されているのでレフトからの本塁送球に左投手の三富が入ったことは間違いない。中継ラインとしては左投げの三富は三塁側に入らなければならないので不自然ではありますが、当時は外野からの中継にピッチャーが入るのが一般的でした。黒鷲はファーストの中河美芳が中継に入っていることがスコアカードから確認されています。

 大洋は3回、先頭の中村信一が四球で出塁、森田実の一ゴロでファースト大沢清がベースを踏んで二塁に送球、ショート石丸藤吉がタッチしてダブルプレー。4回、一死後石井豊が左中間に二塁打、苅田久徳の投ゴロが一塁に送球される間に二走石井が三塁に走るがファースト大沢からの三塁送球で三本間に挟まれてタッチアウトでゲッツー。

 前半戦は両チーム2個ずつの併殺が記録されたが「L4-3」、「7-1-2」、「3-6B」、「1-3-5-6」と何れも変則ダブルプレーである。

 大洋は6回、先頭の中村が三塁に内野安打、森田の中前打で無死一二塁、濃人渉の捕前送りバントはキャッチャー服部が三塁に送球して二走中村は三封、一死一二塁から野口二郎が右前にタイムリーを放って1点を先制、石井も右前タイムリーで続いて2-0とする。


 三富恒雄は名古屋打線を4安打に抑えて4四球無三振で今季2度目の完封、4勝目をあげる。


 8月21日の南海戦に続く完封勝利を飾った三富は栃木商業の出身、太田雄飛から昨年プロ入りした。三富恒雄のプロフィールはネット上ではほとんが栃木商業-法政大学(中退)とされていますが、昭和14年の都市対抗に出場した太田雄飛のピッチャーで、その年の明治神宮大会に優勝しています。プロ入り後、兵役延長のため法政大学に籍を置いていたのかもしれません。当時の読売新聞に掲載されている選手紹介欄には「栃木商業」出身と書かれているだけです。社会人野球出身であっても選手紹介欄には出身校が書かれていますので、法政大学出身というのは間違いでしょう。


 中河美芳は「関大」出身となっています。中河が関大中退であることは明らかなので、中退であっても出身大学として扱われているのが常です。したがって、三富恒雄は栃木商業から太田雄飛に進んで昭和14年の都市対抗に出場、同年の明治神宮大会に優勝して翌昭和15年に翼に入団し、プロ入り後に兵役延長のため法政大学に籍を置いていたと考えられます。






*三富恒雄は南海打線を4安打に抑えて今季2度目の完封を飾る。












*昭和26年名古屋ドラゴンズ在籍時代に第一回オールスターに選出された三富恒雄。「ベースボール マガジン」昭和26年8月号より。










*三富恒雄は昭和14年の都市対抗野球に太田雄飛の投手として出場している。「都市対抗野球大会60年史」より。











*三富恒雄は昭和15年の選手紹介でも16年の選手紹介でも「栃木商業」出身となっている。










*中河美芳の場合は昭和15年の選手紹介では「鳥取中学」出身、昭和16年の選手紹介では「関西大学」出身となっている。中河は関西大学を中退してイーグルスに入団したのでこのような混同が起きているのでしょう。三富恒雄は栃木商業から太田雄飛を経てプロ入りし、プロ野球在籍時に兵役延長のため法政大学に籍を置いただけでしょう。これが誤って「法政大学中退」と伝わってしまったようです。













 

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