2014年4月29日火曜日

中河美芳と木下政文



 木下政文が八面六臂の活躍を見せて中河美芳が4勝目をあげた試合を実況中継させていただいたところですが、木下と中河は同年代で共に昭和11年に鳥取一中で甲子園に出場、共に関西大学に進み、共に中退してイーグルス(後に黒鷲)に入団して現在(昭和16年9月22日)に至っています。


 中河美芳が関西大学を中退して昭和12年半ばにイーグルスに入団し、12年秋季リーグ戦に登場して大活躍をしたことは周知の事実ですが、木下はいつイーグルスに入団したのでしょうか?


 昭和12年8月26日付け読売新聞は「職業野球 新登録選手」として「イ軍 中河美芳(投手)関大」と伝えており、小島六郎による「職業野球秋の展望」には「投手兼内野手として関大から中河が加わったが力は未知数である」と書かれています。中河の入団時は全くの無名で、ドラフトで騒がれた田中将大や松井裕樹のような扱いではなく、ドラフト四位の鈴木一朗並みの扱いでした。


 木下の入団時の経緯は不明です。木下の公式記録は昭和13年から残されているので13年の新人と考えるのが妥当かもしれませんが、昭和13年3月9日付け読売新聞「職業野球練習記 はばたく黒鷲」には木下は既にイーグルスのメンバーとして記載されており、「目下新人は一人も参加していない」と書かれています。


 これらの事実関係から推測すると、中河美芳と木下政文は昭和11年に鳥取一中で甲子園に出場し、12年春に同期として関西大学に進み、まず中河が12年8月にイーグルスに入団して大活躍したのを見て、木下が「中河があそこまでやれるのなら俺でもできる」と考えて中河の後を追うように関西大学を中退してイーグルスの門を叩いたと考えるのが妥当ではないでしょうか。



 当時の読売新聞の記事を見ても木下政文がイーグルスに入団した経緯に係る記事は見当たりません。本日、筆者は新潟から来ていた「商売人と言われた職業野球」の管理人様とお会いして色々と情報交換させていただきました。「中河が木下を誘った」という記述をどこかで見た覚えがあるとのことでしたので、当ブログの推測は当たっている可能性があります。





 

2 件のコメント:

  1. 『プロ野球の謎とロマン』「中河美芳の消えた青春」に書いてありました。

    以下引用
    ・・・木下氏は、そのまま関大に残っていた。イーグルス選手になった中河は、大阪にくるたびに木下氏を呼び出して「楽しいぞ、イーグルスに入れ」といっている。木下政文内野手のイーグルス入りは翌年のことだ。二人は、東京・四谷の坂下町に下宿した。
    「3食ついて1カ月12円の下宿代だった。そのころ大学出のサラリーマンがもらう給料が30円くらいの時代。だから、金はありあまった。楽しい中河との下宿生活だった」
    という。・・・

    推測するには、木下は恐らく連盟の公式登録を前に契約を交わしていたのではないでしょうか。各球団代表の全員一致(もしく可決数)が無い限り、選手登録は正式に承諾されなかったいいます。

    http://eiji1917.blog62.fc2.com/

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    1. 本日はお疲れ様でした。

      >楽しい中河との下宿生活
      ミッキー・マントルとロジャー・マリスがルームメイトだったような話ですね。

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