2014年3月9日日曜日

「野球」



 タイトルが「野球」とは何と単純なんだと思われる方が大宗を占めるかと思いますが、ことはそう単純ではないんです。


 「ベースボール」を「野球」と翻訳したのが旧制一高時代の中馬庚であることは通説となっています。君島一郎著「日本野球創世記」によると「明治27年の秋、ある晩のこと、青井が寄宿舎の片隅で彼の得意のバット『千本素振り』をやていると、中馬庚が息をはずませてやって来て『青井、よい訳を見つけたぞ。Ball in the fieldー野球はどうだ』 これは正に適訳!と他の選手たちも賛成で、ここにベースボールの訳語『野球』がきまった。青井の直話である。」とのことです。


 一高では部史を発行することとなり、部史編纂の主任者である中馬庚がベースボールの日本語訳を「野球」と訳しましたが、明治18年に刊行された「西洋戸外遊戯法」ではベースボールは「打球鬼ごっこ」とされていました。「塁球」、「基球」、「底球」なども候補になったようですが定着することはなく、明治28年に「一高野球部史」が刊行されて「野球」がベースボールの日本語訳として定着することとなったのです。


 その中馬庚が明治30年に刊行した著書こそが「野球」でした。野球殿堂博物館に顕彰されている中馬庚のレリーフには「明治30年には野球研究書『野球』を著作。これは単行本で刊行された本邦最初の専門書で、我が国野球界の歴史的文献と言われている。」と刻み込まれています。



 当ブログは中馬庚著「野球」の入手に成功しました。当ブログが入手した「野球」は明治35年10月1日発行の増補「第八版」となります。この事実から、当時のベストセラーであったことが読み取れます。当ブログでは、将来は水戸光圀が編纂したとされる「大日本史」に対抗して「大日本野球史」を編纂することを目論んでいます(笑)。中馬庚著「野球」の入手はその礎になる可能性があります。




               *中馬庚著「野球」。明治35年発行の増補「第八版」です。

         

                    







*「Pの姿勢」のモデルは青井鉞男です。増補版には青井による増補箇所が随所に見られます。技術論は中馬よりも青井によるものであった可能性が高いと考えられます。










                 *中馬庚の印鑑が押されています。印刷ではありません。


























 

2 件のコメント:

  1. 和訳「野球」がいつ頃に定着したのかが気になりますね。
    ちなみに下村泰大の編訳『西洋戸外遊戯法』(明治18年3月)よりも前の『和訳英辞林』(明治4年10月)では「球遊ビ」とあります。

    最近は日本の野球伝来、明治から大正の野球についての文献をあさってばかりです。
    明治の野球界こそ群雄割拠の時代といえるのではないでしょうか。

    http://eiji1917.blog62.fc2.com/

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    1. 国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」にて確認させていただきました。

      日本への野球伝来が明治5年とされているので「和訳英辞林」では「Baseball」という単語の和訳という位置付けでしょう。「Play ball」又は「Play baseball」が分かっていないと「Baseball」だけでは「球遊び」とは翻訳できないのではないでしょうか。「Baseball」だけでは「基球」、「底球」が妥当のような気がします。膨大な単語を和訳していた薩摩藩士 高橋新吉、前田献吉、前田正名が「野球」そのものを理解していたとも思えませんが。鹿児島県立図書館の前に「薩摩辞書の碑」があるそうです。

      「野球」の定着には「球技」としての野球が不可欠だったのではないでしょうか。

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