2014年1月30日木曜日

続・平凡な大投手、竹内愛一



 2014年1月30日現在、「竹内愛一」をグーグル検索してみると、一番目にWikipedia、二番目にユーチューブ、三番目に当ブログが表示されます。


 このユーチューブの画像で、竹内愛一の大正14年復活早慶戦でのピッチングを見ることができます。画像の球筋を見ると、竹内が何故「平凡な大投手」と呼ばれたかが理解できると思います。一見すると「俺でも打てそう」と思わせる球筋です。


 飛田穂洲著「熱球三十年」によると、竹内は大したボールを投げるわけではないが、努力により抜群のコントロールを身に付けて「平凡な大投手」に成長していったとのことです。当時の記事を見ても、明治大学の湯浅禎夫は名投手として伝えられていますが竹内の記述は少ない。


 ユーチューブの画像では、8回まで完全試合を続けていた竹内が9回、三谷八郎に左前打を打たれるシーンを見ることができます。更に、二塁に進んだ三谷が三盗を試みるシーンも映っています。このシーンを庄野義信編著「六大学野球全集」(上巻)は、「投手竹内の何等走者を顧慮しないのに乗じて三谷は二三塁を連盗した」と伝えています。大正14年(1925年)に書かれた記述が、89年後のユーチューブの画像で確認できたのです!ぜひご覧ください。



 同著に残されているテーブルスコアでは、三谷の盗塁は「ゼロ」となっています。すなわち、11対0の場面での盗塁は盗塁として記録されていません。メジャーリーグでは試合が決した大差の場面での盗塁は記録されません。日本でも近年は記録されなくなりました。この改正は2008年に行わましたが、その83年前には、既にグローバルスタンダードに倣って大差の場面での盗塁は盗塁として記録されていなかったのです。




 

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