2013年12月31日火曜日

大戦前夜のベーブ・ルース (五)



 「大戦前夜のベーブ・ルース」(以下「同著」)の213ページに「ビング・ミラー・チーム対ベーブ・ルース・チームの試合が行われた」と書かれており、394ページの第18章「日本は素晴らしい国です」の注13)に「さほど人気選手でもないビング・ミラーがチームの名前に使われた経緯は不明である。」との記述が見られます。



 この点に関しては物的証拠を提示するまでもなく、同著の中に答えがあります。50ページに「マナシュの代わりには、生涯打率3割を誇る打者だがもはや引退間近のビング・ミラーが選ばれた。」と書かれているように、ベーブ・ルースと並ぶ最年長の39歳であったことが理由です。


 同著とほぼ同時期に刊行された波多野勝著「日米野球の架け橋 鈴木惣太郎の人生と正力松太郎」の7ページに「鈴木家に保管されている昭和9年メジャーリーグオールスター来日アルバムには日米両チームのサインが入っている」として全米チームの寄せ書きサインと日本チームの寄せ書きサインの一部の写真が掲載されています。全米チームのサインは上からベーブ・ルース、コニー・マック、フランク・オドールときて四番目にビング・ミラーのサインが書かれています。このサインの順番はそのままこのチームの序列を表しているのです。ベーブ・ルースがコニー・マックの上というのも凄い話ですが(笑)。


 因みにビング・ミラーの下は若手のレフティ・ゴーメッツ、エリック・マクネアと続きますので上から下まで全て序列通りではありません。「Gomez」は最近は「ゴメス」と表記されることが多くなっていますが筆者が覚えた頃は「レフティ・ゴーメッツ」でした。


 また、「日米野球の架け橋」に掲載されている日本チームの寄せ書きサインは二枚に分かれているうちの一枚だけが掲載されていますのでご注意ください。日本チームは人数が多すぎで二枚に分けています。掲載されている方には澤村栄治のサインはありませんので探しても無駄です。この点に関しては、(三)で証拠品として提出させていただいた当ブログ所有の「昭和9年メジャーリーグオールスター来日アルバム」にて確認できます。















 

巨人vs朝日 6回戦


6月24日 (火) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 2 0 0 0 0 0 2 0 4 巨人 24勝8敗 0.750 中尾輝三 須田博
5 0 0 0 0 0 0 0 X 5 朝日 11勝21敗 0.344 井筒研一 福士勇

勝利投手 福士勇     7勝11敗
敗戦投手 中尾輝三 7勝3敗

二塁打 (朝)伊勢川、前田

勝利打点 鬼頭政一 3


朝日、“スミ5”を守りきる

 朝日は初回、先頭の坪内道則が四球から二盗に成功、戸川信夫は三振に倒れるが、室脇正信、灰山元章が連続四球で一死満塁、ここで前日の阪神戦で全打点を叩き出した鬼頭政一が左前にタイムリーを放って坪内と室脇を迎え入れて2点を先制、更に伊勢川真澄の右翼線二塁打で灰山と鬼頭が還って4-0、岩田次男は三振に倒れるが前田諭治が右中間に二塁打を放って怒涛の攻撃で5点を先制する。

 巨人は2回、先頭の千葉茂が右前打、吉原正喜の二ゴロでランナーが入れ替わり、平山菊二が四球を選んで一死一二塁、中尾輝三には代打林清一を起用して四球を選び一死満塁、呉波の二ゴロ併殺崩れの間に三走吉原が還って1-5、井筒研一がボークを犯して2-5とする。

 3点差に詰め寄った巨人は2回から須田博をマウンドに送り込む。

 朝日も4回から先発の井筒に代えて福士勇をマウンドに送り込んで応戦する。

 福士に吉原のヒット1本に抑えられてきた巨人は8回、一死後吉原が右前打を放って出塁、平山の遊ゴロでショート前田はゲッツーを狙うがセカンド戸田が落球して一死一二塁、須田が左前にタイムリーを放って3-5、呉も左前にタイムリーで続いて4-5としてなお一死一二塁、ここで二走須田がキャッチャー伊勢川の二塁牽制球に引っ掛かってタッチアウト、白石敏男は遊飛に倒れてスリーアウトチェンジ。

 2回から登板の須田に灰山のヒット1本に抑えられてきた朝日は8回裏、先頭の灰山が左前打で出塁、二死後岩田も右前打を放つが前田が三振に倒れてスリーアウトチェンジ。

 巨人は9回、先頭の水原茂が左前打で出塁、中島治康は右飛に倒れるが川上哲治が左前打を放って一死一二塁、千葉の右前打で二走水原は三塁ベースを蹴ってホームに突進するがライト鬼頭からのバックホームにタッチアウト、吉原が四球で粘って二死満塁と詰め寄るが、最後は平山が三ゴロに倒れて朝日が辛くも逃げ切る。


 鬼頭政一の先制打に始まり、鬼頭政一の本塁好返球で終わった試合であった。









       *朝日が初回に見せた猛攻。










 

訂正のお知らせ



 「ファインプレー賞」に関する訂正のお知らせです。



 5月19日の阪神vs大洋4回戦で記録された「3.4-3」について、大洋のファースト石井豊が弾いた打球をセカンド苅田久徳がバックアップして一塁に送球したと判断し、当初は石井と苅田に「ファインプレー賞」を与えていましたが、苅田単独の受賞に変更させていただきます。


 5月21日の巨人vs大洋3回戦における「ファインプレー賞」の記載が漏れていましたので「濃人渉 1、石井豊 3」を追加させていただきました。


 6月21日の名古屋vs大洋5回戦の苅田久徳 「1」→「3」(誤記載によるのも)、6月22日の大洋vs阪急5回戦の石井豊「5」→「4」(上記5月19日の訂正に伴うもの)に訂正させていただきました。



 以上、ご迷惑をおかけいたしますがよろしくお願いいたします。




 

16年 大洋vs名古屋 6回戦


6月24日 (火) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
3 0 0 0 0 0 0 0 0 3 大洋     19勝13敗 0.594 野口二郎
0 0 0 2 1 0 0 2 X 5 名古屋 14勝18敗 0.438 村松幸雄

勝利投手 村松幸雄   2勝2敗
敗戦投手 野口二郎 12勝5敗

二塁打 (大)黒澤 (神)松木
本塁打 (名)桝 1号、服部 3号

勝利打点 服部受弘 1

ファインプレー賞 (大)石井豊 5
 
 
名古屋2発で野口二郎を粉砕

 大洋は初回、先頭の苅田久徳が左前打で出塁、中村信一が四球を選び濃人渉が送って一死二三塁、黒澤俊夫の二ゴロで三走苅田がホームに突っ込みセカンド木村進一はバックホームするがセーフ、野選が記録されて1点を先制、一死一三塁からダブルスチールを決めて2-0、森田実の二ゴロで二走黒澤は三進、石井豊が左翼線にタイムリーを放って3-0として試合の主導権を握る。

 野口二郎の先発とあって大洋圧倒的有利かと思われたが名古屋が反撃に転じる。

 名古屋は4回、桝嘉一、大沢清が連続四球、吉田猪佐喜が中前にタイムリーを放って1-2、二死後牧常一も右翼線にタイムリーを放って2-3として追撃開始。

 名古屋は5回、二死後桝嘉一がレフトスタンドに同点本塁打を叩き込んで3-3と追い付く。

 名古屋は8回、先頭の桝の遊ゴロをショート濃人がエラー、大沢清は右飛に倒れ、吉田の二ゴロでランナーが入れ替わって二死一塁、服部受弘がレフトスタンドに決勝のツーランを叩き込んで名古屋が逆転勝ち。

 初回に3点を失った村松幸雄は2回以降立ち直り、8安打3四球4三振の完投で2勝目をあげる。


 名古屋は2本の本塁打で野口二郎を粉砕した。桝嘉一は年に1本ホームランを打つがこの日がその日であった。服部受弘はこの後驚異的なペースで本塁打を量産することとなる。








               *2回以降立ち直った村松幸雄は8安打完投で2勝目をあげる。











     *桝嘉一と服部受弘が本塁打を放った名古屋打線。













 

2013年12月30日月曜日

大戦前夜のベーブ・ルース (四)





 「大戦前夜のベーブ・ルース」の184ページに、函館での試合の際「この街に西洋風のホテルはなく、福井館という日本風の旅館に泊まらざるを得なかったのだ。」と書かれています。当ブログでは、この点について物的証拠に基づき検証します。


 本日当ブログが提出する証拠品は、全米チームのサインが書かれた函館・湯の川温泉「福井館」の絵葉書です。この絵葉書には昭和9年11月8日のスタンプが押されており、同日に函館で日米野球第三戦が行われていることから、全米チームが函館で宿泊した旅館は「福井館」」であることが確認されました。



 「函館 福井館」でグーグル検索してみると、函館市中央図書館デジタル資料館に「福井館」の絵葉書が残されていることが確認できます。また、「福井館」の親族の方のサイトに当時の「福井館」の様子が書かれています。同サイトによると「当時は湯の川では一番の旅館で明治天皇もお泊りになり・・・」とのことです。「ベーブ・ルース御一行様」がお泊りになるには相応しい格式だったということです。





     *「福井館」の絵葉書に全米チームがサインを入れています。







       *昭和9年11月8日の日付けのスタンプが押されています。









 

16年 阪急vs黒鷲 6回戦


6月24日 (火) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 3 0 3 0 0 0 0 0 7 阪急 18勝14敗 0.563 浅野勝三郎 森弘太郎
3 0 0 0 0 0 0 0 0 3 黒鷲 10勝22敗 0.313 石原繁三 中河美芳

勝利投手 森弘太郎 11勝3敗
敗戦投手 石原繁三   1勝2敗

二塁打 (急)西村 (黒)高橋
本塁打 (急)上田 1号

勝利打点 上田藤夫 5

ファインプレー賞 (急)西村正夫 2


上田藤夫、逆転スリーラン

 阪急は初回、先頭の西村正夫がセンター右奥に二塁打、フランク山田伝が四球を選んで無死一二塁、上田藤夫の二ゴロの間に二者進塁して一死二三塁、黒田健吾が四球を選んで一死満塁、新富卯三郎の遊ゴロ併殺崩れの間に三走西村が還って1点を先制する。

 黒鷲は1回裏、先頭の寺内一隆が中前打、富松信彦が送って一死二塁、小島利男が四球を選んで一死一二塁、サム高橋吉雄が右中間に二塁打を放って1-1の同点、玉腰忠義の二ゴロで三走小島がホームに突っ込み、セカンド伊東甚吉からのバックホームにタイミングはアウトであったが暴投となって2-1と逆転、二走高橋は三塁に進み木下政文の中犠飛で3-1とする。

 阪急は2回、二死後西村が左前打で出塁、山田が中前打で続き二死一二塁、ここで上田がレフトスタンドに逆転スリーランを叩き込んで4-3と試合をひっくり返す。

 リードした阪急は2回から早くも先発の浅野勝三郎に代えて森弘太郎をリリーフに送る。

 阪急は4回、伊東の四球から森の送りバントを挟んで西村、山田も四球を選んで一死満塁、黒鷲ベンチは先発の石原繁三から中河美芳にスイッチする。上田の三ゴロで三走伊東は本封されて二死満塁、黒田が押出し四球を選んで5-3、新富が中前に2点タイムリーを放って7-3とリードを広げる。

 2回からロングリリーフとなった森弘太郎は中河に2安打を許したのみで8イニングを2安打無四球無三振無失点に抑えて11勝目をあげる。


 阪急は夏季シリーズ開幕4連勝を飾った。阪急の快進撃を引っ張っているのが三番の上田藤夫である。この日も決勝の逆転スリーランを放って二試合連続勝利打点を記録した。日系二世は日米関係の悪化から帰国するか日本に残るかの選択を迫られた。弟の上田良夫は昨年帰国しており、亀田忠、亀田敏夫、長谷川重一、ジミー堀尾文人は6月14日に帰国したが上田藤夫は日本に残る道を選んだ。期するものがあるのでしょうか。








 

16年 南海vs巨人 5回戦


6月23日 (月) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 2 0 1 0 0 1 0 1  5 南海 15勝16敗 0.484 川崎徳次
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 巨人 24勝7敗 0.774 澤村栄治 泉田喜義

勝利投手 川崎徳次 3勝5敗
敗戦投手 澤村栄治 2勝2敗

二塁打 (南)鬼頭、前田

勝利打点 前田貞行 2

猛打賞 (南)岩本義行 2、鬼頭数雄 3


川崎徳次、プロ入り初完封

 南海は2回、先頭の鬼頭数雄が右翼線に二塁打、村上一治が四球を選んで無死一二塁、キャッチャー吉原正喜からの二塁牽制に鬼頭が刺されて一死二塁、木村勉の遊ゴロで村上が二封されて二死一塁、猪子利男が中前打でつないで二死一二塁、前田貞行が左翼線に二塁打を放って1点を先制、川崎徳次の右前タイムリーで2-0とする。南海の粘り強い攻撃が光った。

 南海は4回、先頭の鬼頭が右前打、村上も左前打で続いて巨人先発の澤村栄治をKO、二番手として泉田喜義がマウンドに上がる。木村が送って一死二三塁、猪子は三振に倒れるが、前田が四球を選んで二死満塁、川崎徳次が押出し四球を選んで3-0とする。

 南海は7回、先頭の安井鍵太郎の三ゴロをサード水原茂が一塁に悪送球、安井は二塁に進み、岩本義行の左前打で無死一三塁、鬼頭の二ゴロ併殺の間に三走安井が還って4-0と突き放す。

 南海は9回、二死後岩本が左前打から二盗に成功、鬼頭が左翼線にタイムリーを放ち5-0として試合を決める。


 川崎徳次は巨人打線を3安打に抑えて5四球3三振でプロ入り初完封を飾る。打っても2打点をあげる活躍であった。翌日の読売新聞は「角度は大きくないが鋭く切れる曲球と豊かな速度で投げ込むシュートボールは散々に巨人打者の手を焼かせ・・・」と伝えている。戦後の川崎徳次はナックルボールを駆使する技巧派となりますが、若き日の戦前の投球は鋭いスライダーとシュートを武器とする力投派だったようです。川崎の初完封の相手が戦後在籍することとなる巨人が相手となったのも何かの因縁か。


 南海は勝率8割に達した巨人を破って夏季シリーズ開幕3連勝を飾った。この勢いは本物と見ていいのではないでしょうか。





            *川崎徳次は巨人打線を3安打に抑えてプロ入り初完封をマークした。












      *川崎徳次の西鉄時代のサインボール。「西鉄ライオンズ」の右隣は日比野武です。














 

猪武者



 昭和16年6月24日付け読売新聞は、阪神を破った朝日について「朝日は久し振りに大東京時代の表看板であった“猪武者”の本領を発揮し、脚の力で阪神の防御線を掻き乱し堂々一方的に・・・」と伝えている。


 「猪武者(いのむしゃ)」とは「思慮を欠き、向こう見ずにがむしゃらに突進する武士。また、そういう人」の意味だそうです。実況中継でお伝えしたとおり、朝日は強肩土井垣武を向こうに回して4つの盗塁を成功させて阪神を粉砕しました。但し、7回の前田諭治と9回の鬼頭政一の二盗は土井垣に刺されています。この点が読売新聞大阪担当の三宅正夫記者をして「猪突猛進」と判断せしめたのかもしれません。


 春季シリーズと夏季シリーズの間に、巨人、大洋、阪急、阪神の上位四球団は北海道遠征を行っておりその疲労が抜けきらないまま夏季シリーズに突入していますが、下位球団は地元でじっくりと調整してきました。ここまで南海は2連勝、朝日は開幕戦の巨人戦で善戦しあわやというところまで行きましたが惜しくも逆転負け、南海vs朝日戦は延長14回両チーム無失策の激闘を演じています。昭和16年ペナントレースはますます目が離せない展開となってきました。





 

2013年12月29日日曜日

大戦前夜のベーブ・ルース (三)



 アメリカチームは昭和9年11月2日、「エンプレス・オブ・ジャパン号」により横浜港に到着し、東京に着いて熱狂的な歓迎を受けたとされています。当ブログでは、この点について物的証拠に基づき検証します。


 本日当ブログが提出する証拠品は、読売新聞社が作製した昭和9年日米野球のアルバムです。関係者のみに配布されたと考えられるアルバムで、日米の参加全選手の直筆サインと貴重な生写真で構成されています。現存が確認されているのは、読売新聞社に保存されているもの以外では野球殿堂博物館に関係者の遺族から寄贈されたものが数点と、吉沢野球博物館に展示されている1点のみで、個人で所有しているのは当ブログだけでしょう。


 一行が乗船したとされる「エンプレス・オブ・ジャパン号」が横浜港に接岸する場面の写真があり、肉眼でははっきりとはしませんが拡大鏡を使用すると船体に「EMPRESS OF JAPAN」と書かれているのが確認できます。








 「大戦前夜のベーブ・ルース」の125ページには「この日のために用意された法被を各選手に配った」と書かれていますが、下がその証拠写真です。日本に到着して法被を着たのはビートルズだけではなかったのです(笑)。














 パレードでベーブ・ルースが日米の国旗を両手に持って歓声に応える有名なシーンや銀座パレードの様子は「大戦前夜のベーブ・ルース」に掲載されていますので、当ブログではあまりお目にかかれない証拠写真を掲載します。














 

16年 朝日vs阪神 5回戦


6月23日 (月) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 2 0 1 0 0 0  3 朝日 10勝21敗 0.323 山本秀雄 福士勇
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 阪神 16勝15敗 0.516 藤村隆男

勝利投手 山本秀雄 4勝5敗
敗戦投手 藤村隆男 5勝4敗
セーブ     福士勇  1

勝利打点 鬼頭政一 2


鬼頭政一、全打点を叩き出す

 3回まで三者凡退を続けてきた朝日は4回、先頭の坪内道則の遊ゴロをショート皆川定之が一塁に悪送球、戸川信夫が送って一死二塁、室脇正信は投ゴロに倒れるが、坪内が三盗に成功、灰山元章が四球を選ぶと二盗を決めて二死二三塁、ここで鬼頭政一が右前にタイムリーを放って二者還り2点を先制する。

 朝日は6回、一死後戸川が四球を選んで出塁、室脇が左前打で続きダブルスチールに成功、灰山は一ゴロで三走戸川が飛び出しタッチアウト、二死一二塁となったところで鬼頭が中前にタイムリーを放って3-0とリードを広げる。

 朝日先発の山本秀雄は4回まで3安打を許すが無失点、5回~7回は無安打に抑える。

 阪神は8回、一死後宮崎剛が左前打を放って出塁、朝日ベンチはここで山本から福士勇にスイッチ、福士は上田正を左飛、カイザー田中義雄を三ゴロに打ち取る。

 福士が阪神9回の反撃を三者凡退に抑えて朝日が快勝、と言うより阪神に元気がないと言うべきでしょうか。

 山本秀雄は7回3分の1を投げて4安打2四球1三振無失点で今季4勝目、リリーフの福士勇は1回3分の2をパーフェクトに抑えて当ブログルールによりセーブが記録される。










 

16年 名古屋vs阪急 5回戦


6月23日 (月) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
2 0 0 0 0 0 0 0 0 2 名古屋 13勝18敗 0.419 松尾幸造 西沢道夫 岡本敏男
2 2 1 0 1 0 0 1 X 7 阪急    17勝14敗 0.548 笠松実 中田武夫

勝利投手 中田武夫 1勝0敗
敗戦投手 西沢道夫 2勝8敗

二塁打 (急)山田、新富
本塁打 (急)日比野 2号

勝利打点 上田藤夫 4

ファインプレー賞 (急)フランク山田伝 4 (名)芳賀直一 8


中田武夫、帰還後初勝利

 名古屋は初回、先頭の木村進一が四球を選んで出塁、桝嘉一の左翼線ヒットで木村は三塁を狙うがレフト新富卯三郎からの送球にタッチアウト、服部受弘が左翼線にヒット、吉田猪佐喜は四球を選んで一死満塁、大沢清が押出し四球を選んで1点を先制、阪急ベンチは先発の笠松実をあきらめて中田武夫をマウンドに送る。芳賀直一は遊飛に倒れるが岩本章が押出し四球を選んで2-0とする。

 阪急は1回裏、先頭の西村正夫が四球で出塁、フランク山田伝が左中間に二塁打を放って無死二三塁、続く上田藤夫のカウントがスリーボールとなったところで名古屋ベンチは先発の松尾幸造から西沢道夫にスイッチ、西沢はツースリーまで持ち込んだものの結局上田を四球で歩かせ無死満塁、この場合四球は松尾に記録される。黒田健吾の遊ゴロの間に三走西村が還って1-2、一死二三塁から新富卯三郎が左中間に二塁打、二走上田は捕られると判断してスタートが遅れて三塁止まりとなり1点を追加したのみで2-2の同点とする。

 阪急は2回、先頭の伊東甚吉が四球で出塁、中田の投ゴロでランナーが入れ替わり、トップに返り西村がストレートの四球、山田もツースリーから四球を選んで一死満塁、上田の遊ゴロ併殺崩れの間に三走中田が還って3-2、更に二死一三塁から三走西村が単独ホームスチールを決めてこの回無安打で2得点、4-2とする。

 阪急は3回、先頭の日比野武が四球で出塁して森田定雄の三ゴロの間に二進、パスボールで三進、伊東の遊ゴロの間に日比野が還りこの回も無安打で得点をあげて5-2とする。

 阪急は5回、二死後日比野武がレフトスタンドに第2号ホームランを叩き込んで6-2とリードを広げる。

 阪急は8回、先頭の新富がピッチャー強襲ヒット、日比野の右前打で無死一三塁、森田は浅い左飛に倒れるが伊東が四球を選んで一死満塁、中田の右犠飛で7-2とする。

 1回途中からマウンドに上がった中田武夫は8回3分の2を投げて4安打3四球2三振無失点、完封に匹敵する内容で昭和12年11月11日の名古屋戦以来約3年半ぶりに、戦場から帰還後初勝利をあげる。


 昭和16年4月3日付け読売新聞に「日本野球の新陣容」として今年の各球団のメンバー表が掲載されていますが、ここには中田武夫の名前はありません。中田は5月11日に復帰後初登板して最初のイニングは打ち込まれましたがその後無失点、12日も無失点で、3試合目となる本日も含めて14イニングス連続無失点を継続中です。今季は昭和12年に応召して3年半ぶりにマウンドに上がった投手が中田武夫の他に同じ阪急の笠松実、黒鷲の畑福俊英がいます。笠松はすでに2勝をあげており、畑福は2連敗ながら2試合連続完投で16イニングスを投げて被安打7、自責点1の好投を続けています。戦争に行くと手榴弾を投げさせられて肩を壊して戻ってくることばかりが喧伝されていますが、戦場から戻って来て神懸かり的なプレーを見せる選手もいます。金鯱時代の岡田源三郎監督も「人間一度は戦場に行ってこなければダメだ。」と言っていました。死線を潜り抜けてこそ分かるものもあるようです。









*1回途中からのロングリリーフとなった中田武夫は完封に匹敵するピッチングで約3年半ぶりに戦場から帰還後初勝利を記録する。






 

2013年12月28日土曜日

大戦前夜のベーブ・ルース (二)



 当ブログは「大戦前夜のベーブ・ルース 検証委員会」を立ち上げました。記載内容について、物的証拠に基づき検証作業を進めていきます。


 本日当ブログが提出する証拠品は「昭和9年日米野球 公式パンフレット」(以下「証拠品」)です。表紙には、日本行きを渋っていたベーブ・ルースが一目見て承諾したとされるポスターの図柄が採用されています。


 「大戦前夜のベーブ・ルース」の39ページから50ページにかけて、アメリカチームのメンバー編成の変遷について書かれています。当初はチャック・クラインも予定されていましたがトレードの関係で断られ、8月下旬の予定ではヘイニー・マナッシュもメンバーに加わっていたとされています。


 証拠品のパンフレットがいつ頃作成されたかは不明ですが、証拠品に掲載されている「世界最強軍の横顔」には「華盛頓セネタース」の左翼手「ヘンリー・マナシ」の名前が見られます。ワシントン・セネタースのヘイニー・マナッシュがメンバーに予定されていたことは証拠品によって証明されました。



 「日米野球 公式パンフレット」は宣伝用に昭和9年の秋頃作成されたものと考えられます。「全日本軍の陣容」にも「出場予定選手」として慶大の三宅常堯投手、早大の夫馬勇外野手、慶大の山下好一外野手が掲載されていますが、夫馬は参加しましたが三宅と山下好一は参加していません。また、参加メンバーのうち永沢富士雄、富永時夫、山城健三はパンフレットには掲載されていません。


 アメリカ側の「世界最強軍の横顔」でも上記のとおりヘイニー・マナッシュが掲載されていたり、ジョー・クローニンに代わってショートのメンバーに選ばれたとされるエリック・マクネアは掲載されていることから、パンフレットの作成時期はクローニンが消えてマナッシュは残っていた時期であることが分かります。





       *本日当ブログが提出した証拠品。昭和9年日米野球の公式パンフレットです。






*参加予定選手には「華盛頓セネタース」の左翼手「ヘンリー・マナシ」が掲載されています。ヘイニー・マナッシュは結局来日しませんでした。





*日本ではまずお目に掛かれないヘイニー・マナッシュのサインカード。もしマナッシュが来ていたらルース、ゲーリッグに続く五番をジミー・フォックスと争っていたはずで、草薙で澤村栄治から三振を奪われていたかもしれない。






 

16年 黒鷲vs大洋 5回戦


6月23日 (月) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 黒鷲 10勝21敗 0.323 畑福俊英
0 0 0 1 0 0 0 0 X  1 大洋 19勝12敗 0.613 浅岡三郎

勝利投手 浅岡三郎 4勝1敗
敗戦投手 畑福俊英 0勝2敗

勝利打点 黒澤俊夫 2

ファインプレー賞 (大)濃人渉 3、森田実 4 (黒)小島利男 1


両チームで3安打

 両チームの先発は共に中一日で黒鷲が畑福俊英、大洋が浅岡三郎。

 大洋は4回、先頭の苅田久徳が死球を受けて出塁、中村信一が一二塁間を抜いて無死一二塁、濃人渉が送りバントを決めて一死二三塁、黒澤俊夫の左犠飛で1点を先制する。

 大洋先発の浅岡は濃人のファインプレーにも助けられて4回までパーフェクトピッチング。5回二死後木下政文を四球で歩かせるが畑福を一飛に打ち取り、6回、7回も三者凡退に抑える。

 黒鷲は8回、先頭の玉腰忠義が四球で出塁するが二盗に失敗、直後に木下が中前打、二死後清家忠太郎に代わる代打中河美芳も中前打を放って二死一二塁、しかし山田潔に代わる代打金子裕の当りは投ゴロ、畑福がそのまま一塁ベースに駆け込みスリーアウトチェンジ。記録は「-1A」。


 浅岡三郎は9回も二死後小島利男を四球で歩かせるがサム高橋吉雄を投飛に打ち取り、2安打3四球4三振で今季初完封、4勝目をあげる。


 復帰二戦目の畑福俊英は浅岡以上の好投を見せて8回を完投して1安打1四球1死球無三振1失点であった。黒鷲投手陣は、昨日は中河美芳-石原繁三のリレーで無安打、本日の畑福は1安打で二試合で相手に1安打しか許していない。





          *浅岡三郎は2安打完封、畑福俊英は1安打ピッチングであった。





 

16年 阪神vs巨人 5回戦


6月22日 (日) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 阪神 16勝14敗 0.533 須田博
0 3 0 0 0 0 0 1 X 4 巨人 24勝6敗 0.800 三輪八郎

勝利投手 須田博   13勝2敗
敗戦投手 三輪八郎 2勝3敗

二塁打 (巨)吉原、川上

勝利打点 吉原正喜 1


阪神、元気なし

 巨人は3回、先頭の川上哲治が中前打、千葉茂が三遊間を破って無死一三塁、吉原正喜の左翼線二塁打で1点を先制、パスボールで2-0、平山菊二の左前タイムリーで3-0と畳み掛ける。

 阪神は6回、先頭の三輪八郎の二ゴロをセカンド千葉がエラー、皆川定之は右飛に倒れるが、トップに返り宮崎剛の右前打で一死一三塁、森国五郎の遊ゴロの間に三輪が還って1-3とする。

 巨人は8回、一死後川上が右翼線に二塁打、代走に筒井修を起用、千葉の遊ゴロをショート皆川が失して一死一三塁、吉原の左犠飛で4-1とダメ押す。

 須田博は3安打1四球4三振の完投で13勝目をあげる。巨人は勝率を8割に乗せた。


 巨人は元気のない阪神に快勝したように見えるかもしれないが、ファーストの川上哲治が送球を2個逸して2エラー、セカンド千葉茂、サード水原茂も1個ずつエラーを記録した。巨人はこの後、明日は南海、明後日は朝日と対戦する。両チームは甲子園の第一試合では両軍無失策で延長14回の激闘を見せており侮れない相手となる。春季シリーズと夏季シリーズの間に巨人、大洋、阪急、阪神の上位4チームは北海道遠征があり休む間もなく夏季シリーズに突入しているが、下位チームは地元でじっくりと調整してきている。南海は開幕二連勝、朝日も21日の巨人戦で善戦しており、波乱も予想される。





          *須田博は元気のない阪神打線を3安打に抑えて完投で13勝目をあげる。










 

2013年12月27日金曜日

16年 朝日vs南海 5回戦


6月22日 (日) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 計
0 0 0 0 0 0 2 1 0  0   0   0   0   0   3 朝日   9勝21敗 0.333 福士勇
0 0 0 0 0 0 0 0 3  0   0   0   0  1X  4 南海 14勝16敗 0.467 石田光彦 吉富欣也 川崎徳次 神田武夫
     
勝利投手 神田武夫 9勝6敗
敗戦投手 福士勇     6勝11敗

二塁打 (朝)室脇、岩田 (南)安井、前田

勝利打点 前田貞行 1


南海、守り勝ち

 南海の先発は5月防御率0.00で月間MVPに輝いた石田光彦。朝日はエース福士勇で応戦する。朝日の五番ライトは鬼頭政一(弟)、八番ショートは前田諭治で、南海の四番レフトは鬼頭数雄(兄)、九番ショートが前田貞行とややこしいのでご注意ください。


 朝日は4回まで無安打、唯一の走者は死球で出た前田諭治だけであるが二盗に失敗。5回、先頭の灰山元章が右前にチーム初安打を放つが鬼頭政一の三ゴロは「5-4-3」と渡ってダブルプレー。6回も二死後前田諭治が四球で歩くが坪内道則は中飛に倒れてここまで1安打無得点。4月21日から続く石田の連続自責点ゼロ記録は65イニングスまで伸びた。

 朝日は7回、一死後室脇正信が四球で出塁、灰山も四球で続い一死一二塁、鬼頭政一が左前にタイムリーを放って1点を先制、石田の連続自責点ゼロ記録は65回3分の1で途切れた。伊勢川真澄の右前打で一死満塁として石田光彦をKO、代わった吉富欣也から岩田次男が押出し四球を選んで2-0、福士の遊ゴロは「6-4-3」と渡ってダブルプレー。

 朝日は8回、先頭の前田諭治が左前打、トップに返り坪内の遊ゴロでランナーが入れ替わり坪内が二盗に成功、戸川信夫は右飛に倒れるが、室脇が左中間に二塁打を放って3-0とリードを広げる。

 室脇の追撃弾で勝負は決まったかに見えたが南海が粘りを見せた。

 8回まで福士の前に2安打無得点に抑え込まれてきた南海は9回裏、先頭の安井鍵太郎が四球で出塁、岩本義行の遊撃内野安打で無死一二塁、鬼頭数雄の左前打で無死満塁、村上一治は浅い右飛に倒れるが、木村勉の中犠飛で1-3、この時二走鬼頭数雄と一走岩本がタッチアップから進塁して二死二三塁、ここで途中出場の猪子利男が右前に起死回生の同点タイムリーを放って3-3と追い付く。

 延長に入っても福士は続投、南海は9回一死二塁から川崎徳次が三番手のマウンドに上がっている。

 朝日は10回、先頭の坪内が左翼線にヒットを放ち戸川が送って一死二塁とするが後続なし。11回も鬼頭政一の四球と福士の右前打でチャンスを作るが得点なく、12回は一死後戸川が四球で出塁、南海ベンチは遂に四番手として神田武夫を投入、代走五味芳夫が二盗に成功、室脇は左邪飛に倒れるが灰山が四球を選んで二死一二塁、しかし鬼頭政一は遊ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。

 福士は快調に飛ばして南海は10回、11回と三者凡退。南海は12回裏、一死後前田貞行が四球で出塁、神田の右前打で一死一三塁とサヨナラのチャンス、しかし福士が踏ん張って国久松一を三振、安井を右飛に打ち取る。

 朝日は13回、先頭の伊勢川が四球で出塁すると代走に村上重夫を起用、岩田が送って一死二塁、福士の遊ゴロの間に村上は三進、しかし前田諭治は投ゴロに倒れてこの回も無得点。南海の13回は三者凡退。朝日は14回、先頭の坪内がセーフティバントを決めて出塁、五味の送りバントの際にインターフェアを取られて一死一塁、室脇の三ゴロは「5-4-3」と渡ってダブルプレー。

 延長に入って押しまくられている南海は14回裏、一死後猪子がショートに内野安打、前田貞行の左中間二塁打で一走猪子は快足を飛ばしてホームに還り南海がサヨナラ勝ちをおさめる。


 この試合では「好守」「好捕」は記録されていないが南海はノーエラーで3つの併殺を決めて守り勝った。国久松一が怪我から復帰して内野が締まったことが要因と考えられるが、猪子利男がセカンドに入っても遜色のない活躍を見せている。ところがこの好守が石田光彦の連続自責点ゼロ記録が途切れる要因にもなったのは皮肉である。石田は連続自責点ゼロ記録の間に失点は5あったがエラー絡みで自責点にはなっていなかったのである。










 

2013年12月26日木曜日

16年 大洋vs阪急 5回戦


6月22日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 大洋 18勝12敗 0.600 長尾貞利 三富恒雄
0 0 0 1 0 0 0 0 X  1 阪急 16勝14敗 0.533 森弘太郎

勝利投手 森弘太郎 10勝3敗
敗戦投手 長尾貞利   0勝1敗

二塁打 (大)中村、苅田
三塁打 (急)新富

勝利打点 新富卯三郎 3

ファインプレー賞 (急)フランク山田伝 3 (大)石井豊 4


フランク山田伝、ダイビングキャッチ

 大洋は昨日の名古屋戦が延長17回となって野口二郎を注ぎ込んだ関係から長尾貞利が先発、阪急は予定通りエースの森弘太郎が先発する。

 阪急は4回、一死後上田藤夫が三遊間に内野安打、二死後新富卯三郎がライトに三塁打を放って1点を先制、これが決勝点となった。翌日の読売新聞によると、新富の三塁打は右前に飛んだ打球に、不慣れなライトに入っている中村信一がバウンドを合わせ損ねて後逸したものとのこと。

 大洋は5回、一死後中村が汚名挽回の左翼線二塁打、濃人渉は三振に倒れて二死二塁、黒澤俊夫の当りは痛烈にセンターを襲うがフランク山田伝がダイビングキャッチを見せてピンチを防いだ。翌日の読売新聞は「黒澤強烈の当りに1点を返したと見えたに中堅山田の超人的美技は横飛びに転倒してこれを好捕」と伝えており、スコアカードにも「好捕」が記録されて「ファインプレー賞」が授与された。


 森弘太郎は5安打4四球2三振で今季5度目の完封、10勝目をあげる。長尾貞利は6回を投げて3安打2四球2三振1失点、翌日の読売新聞は「重みのある直球とドロップをもって堂々互角の戦いを挑んだ」と伝えている。





                 *森弘太郎は5安打完封で10勝目を飾る。








 

2013年12月25日水曜日

16年 黒鷲vs名古屋 5回戦


6月22日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 1 0 0 0 1 0 0 0  2 黒鷲     10勝20敗 0.333 中河美芳 石原繁三
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 名古屋 13勝17敗 0.433 河村章 森井茂 岡本敏男

勝利投手 中河美芳 1勝1敗
敗戦投手 河村章  7勝3敗

本塁打 (黒)富松信彦 2号

勝利打点 木下政文 2

ファインプレー賞 (黒)木下政文 3 (名)三浦敏一 1、芳賀直一 7


無安打リレー

 名古屋は2回、一死後怪我が癒えて5月1日以来の先発出場となる玉腰忠義が中前打で出塁、中河美芳の一ゴロの間に玉腰は二進、木下政文が左中間にタイムリーを放って1点を先制する。

 名古屋は6回、一死後富松信彦が右翼スタンドにホームランを叩き込んで2-0とリードを広げる。

 黒鷲先発の中河美芳はスローカーブが冴えて4回までパーフェクトピッチング。5回一死後大沢清に四球を与えるが大沢の二盗をキャッチャー清家忠太郎が刺し、三浦敏一に四球を与えるが芳賀直一を中飛に打ち取る。

 中河は6回に入ると先頭の石丸進一をストレートの四球で歩かせ、森井茂は三球三振に打ち取るが、トップに返り木村進一にワンスリーから四球、桝嘉一にもツースリーから四球を与えて一死満塁、岩本章への初球がボールとなったところで杉田屋守助監督はここまで無安打ピッチングを続けてきた中河から石原繁三にスイッチ、石原は2球ボールを続けてノースリーとするがここから2つストライクを続け、最後は浅い中飛に打ち取り二死満塁、吉田猪佐喜を二ゴロに打ち取りピンチをかわす。

 石原は7回からエンジン全開、大沢、三浦を連続三振、芳賀も右直に打ち取る。8回は一死後森井の代打服部受弘に四球を与えるが、木村を投ゴロ併殺に打ち取り名古屋打線はここまでノーヒット。

 石原は9回、一死後岩本に代わる代打本田親喜監督に四球を与え、吉田の三ゴロで本田は二封、大沢が四球で歩いて二死一二塁、最後は三浦を三振に打ち取り中河-石原による無安打無得点リレーとなった。


 中河美芳は5回3分の1を投げて無安打5四球2三振無失点、石原繁三は3回3分の2を投げて無安打3四球3三振無失点。中河は今季初勝利、石原には当ブログルールによりセーブが記録された。


 今季の黒鷲は監督が不在で杉田屋守が昨年に引き続き助監督を務めて指揮を執っている。6回一死満塁ワンボールの場面で中河から石原にスイッチした杉田屋助監督の采配が快記録を生んだものである。







        *中河美芳と石原繁三のリレーによる無安打無得点を伝えるスコアカード。















              *6回一死満塁ワンボールで中河美芳から石原繁三に交代した場面。















     *無安打に抑え込まれた名古屋打線。















 

2013年12月24日火曜日

16年 南海vs 阪神 5回戦


6月21日 (土) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 2 3 0 2 0 0 1  8 南海 13勝16敗 0.448 神田武夫  
0 0 0 0 1 0 0 0 0  1 阪神 16勝13敗 0.552 藤村隆男 若林忠志 渡辺誠太郎 松本貞一

勝利投手 神田武夫 8勝6敗
敗戦投手 藤村隆男 5勝3敗

二塁打 (南)岩本
三塁打 (神)宮崎

勝利打点 安井鍵太郎 2 


安井鍵太郎、決勝の先制タイムリー

 春季シリーズ終盤の南海は故障の国久松一の穴を猪子利男が埋めてきたが、夏季シリーズ開幕戦は一番セカンドに国久が復帰してきた。


 南海は3回、先頭の国久が四球から二盗に成功、安井鍵太郎がセンター右にタイムリーを放って1点を先制、バックホームの間に安井は二塁に進み、岩本義行が死球を受けて無死一二塁、鬼頭数雄の二ゴロで岩本は二封されて一死一三塁、村上一治の二ゴロの間に三走安井が生還して2-0とする。

 南海は4回、先頭の木村勉が四球で出塁、阪神ベンチはここで先発の藤村隆男から若林忠志にスイッチ、しかし前田貞行が左前打、神田武夫も右前打を放って無死満塁、トップに返り国久の中犠飛で3-0、安井は浅い左飛に倒れるが岩本が右翼線に二塁打を放って二者還り5-0とリードを広げる。

 阪神は5回から渡辺誠太郎がプロ入り初登板、3四球を出すが木村を遊ゴロ併殺に打ち取るなどして無失点で切り抜ける。

 阪神は5回裏、先頭の野口昇が中前打、トップに返り宮崎剛が右中間に三塁打を放って1-5とする。

 阪神は6回から渡辺に代えて四番手として松本貞一をマウンドに送る。


 南海は6回、二死後岩本が三失に生き、鬼頭の右前打で二死一三塁、キャッチャーカイザー田中義雄からの三塁送球に三走岩本は三本間に挟まれるがサード野口からの送球を田中が落球する間に岩本がホームインして6-1、なおも二死二塁から村上が左前にタイムリーを放って7-1と突き放す。

 南海は9回、先頭の木村が左前打で出塁、前田の遊ゴロでランナーが入れ替わり、神田は一飛に倒れるがトップに返り国久が左前打、安井がこの日2本目となる中前タイムリーを放って8-1とダメ押す。


 神田武夫は4安打2四球5三振の完投で8勝目をあげる。ルーキーの神田は完全に軌道に乗ってきたようだ。






 

2013年12月23日月曜日

16年 朝日vs巨人 5回戦


6月21日 (土) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 1 0 0 0 0 2 朝日   9勝20敗 0.310 内藤幸三 山本秀雄
0 0 0 1 0 0 0 3 X 4 巨人 23勝6敗 0.793 中尾輝三

勝利投手 中尾輝三 7勝2敗
敗戦投手 山本秀雄 3勝5敗

二塁打 (朝)坪内 (巨)白石

勝利打点 水原茂 4


中尾輝三、完投と猛打賞

 朝日は初回、先頭の坪内道則が四球から二盗に成功、五味芳夫は三振、室脇正信の三ゴロの間に二走坪内は三進、灰山元章が四球を選んで二死一三塁、ここで一走灰山がディレードスチール、キャチャー楠安夫からの送球がセカンド千葉茂に渡ると三走坪内がスタート、千葉がバックホームするが悪送球となって坪内が生還、1点を先制する。

 巨人は1回裏、一死後水原茂が四球で出塁、中島治康は左前打、川上哲治が死球を受けて一死満塁、しかし千葉は三振、楠は三ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。

 巨人は2回、先頭の平山菊二が四球で出塁、呉波の送りバントは「1-6」と送球されて平山は二封、中尾輝三が左翼線にヒットを放って一死一二塁、しかし白石敏男は中飛、水原は一邪飛に倒れてこの回無得点。

 巨人は3回、一死後川上が右前打、ここで川上が二盗、キャッチャー伊勢川真澄からの送球をショート前田諭治が逸らす間に川上は三進して一死三塁、しかし千葉は三振、楠は左飛に倒れてこの回も無得点。

 巨人は4回、先頭の平山が四球を選んで出塁、今度は呉が送りバントを決めて一死二塁、中尾が左前にタイムリーを放って1-1の同点に追い付く。

 朝日は5回、先頭の伊勢川が右前打で出塁、前田の二ゴロの間に伊勢川は二進、巨人ベンチはここでセカンドの千葉に代えて吉原正喜を入れてキャッチャー、キャッチャーの楠に代えてて筒井修をセカンドに入れる。山本秀雄の二ゴロの間に二走伊勢川は三進、トップに返り坪内が右翼線に二塁打を放って2-1と勝ち越す。

 巨人は8回、先頭の平山がこの試合3個目の四球で出塁、呉の三前バントが内野安打となって無死一二塁、中尾の送りバントは二走平山が三封されて失敗、トップに返り白石の右翼線二塁打で2-2の同点、水原が左前に決勝の2点タイムリーを放って4-2とする。


 中尾輝三は4安打4四球7三振の完投で7勝目をあげる。打っても4打数3安打で猛打賞を獲得した。








 

左のアンダーハンド



 左の下手投げはプロ野球史上いなかったと言われているようです。


 永射保が最も近かったと考えられますが永射はサイドハンドにカテゴライズされるようです。村田辰美と梶間健一もアンダー気味に投げていた記憶がありますが矢張りサイドに近いスリークウォーターにカテゴライズされています。田村勤もアンダーに近いサイドでした。


 名古屋vs大洋5回戦を伝える昭和16年6月22日付け読売新聞に「先発の投手河村が下手投の武器に威力を増して・・・」という記述が見られます。河村章が左投手であったことは各種資料から確実ですので、読売新聞の記述が正しいとすると河村章は日本プロ野球史上唯一の「左のアンダーハンド」ということになります。



 左の下手投げは星飛雄馬の大リーグボール3号が該当しますが、何と言っても水原勇気でしょう。「野球狂の詩」の水島新司のもう一方の代表作「あぶさん」の連載終了が報じられていますので、かなりこじつけではありますが水原勇気特集といきましょう。


 そもそも「野球狂の詩」はマガジンに不定期連載でした。「北の狼・南の虎」や里中満智子との共作となった「ウォッス10番」「ガッツ10番」「スラッガー10番」などは不定期連載時代の作品です。マガジンで「野球狂の詩」の連載が発表されたのは筆者が高校の時です。連載開始に当たり、スカウトの尻間専太郎が全国を駆け巡って有望選手を探しますが見つからず落胆していてところ、地元の国分寺で有望投手を発見しました。


 東京メッツが75年のドラフトで一位に指名したのが水原勇気でした。各紙が素性を知らない中、東京日日スポーツの山井英司(高校時代は国立玉三郎のライバルとして描かれていました)記者が執念の取材で女の娘であることをすっぱ抜いたところから大騒動が勃発します。


 筆者のクラスでは誰かがマガジンを買ってきて回し読みが流行っていました。必ず誰かが筆者のところにも持ってきてくれていましたので、筆者の野球好きは知れ渡っていたようです。まぁ、当時の高校生であれば誰でも水原勇気に憧れていたとは思いますが。


 映画化される話が出た時は「どうせつまんねぇだろうな~」と思っていましたが、水原勇気を演じた木之内みどりの投球フォームは完璧に「左のアンダーハンド」を表現していました。相当練習したんでしょうね。テレビ版の斎藤由貴バージョンは笑ってしまいますが(笑)。







              *永射の良かった頃は本当にアンダーに見えました。
















              *田村は全盛期は短かったけれど抜群のキレ味でした。












 

2013年12月22日日曜日

あれまぁ~記念



 今年も有馬記念の季節がやってきました。その年を代表するレースではありますが波乱の歴史でもあります。


 昭和62年の第32回有馬記念はその代表事例でしょうか。一番人気の皐月賞・菊花賞馬サクラスターオーは故障発生、三番人気のダービー馬メリーナイスは発送直後に騎手を振り落して共に競走中止、勝ったメジロデュレンは十番人気、2着のユーワジェームスは七番人気、3着のハシケンエルドは何と十四番人気でした。


 枠連「4-4」の結果に場内は白けきったムードに満ち溢れていました。フジテレビのスタッフもみんな苦笑いでしたが、画面が変わってアシスタントの女子アナが「年末を飾る見事なレースでしたねぇ~」とお決まりのセリフを発してどっちらけ、しかも放送に流れてはならないキャスターの「どこが~(笑)」の声が全国の競馬ファンに聞こえてしまったのです。生中継による放送事故とは言え、このキャスターはすぐにクビになりました。


 翌日のスポーツ紙には「あれまぁ~記念」の見出しが躍っていました。今年の結果はどうなるでしょうか。大本命のオルフェーヴルは“お騒がせ”の前科には枚挙に暇がありません。筆者の予想は「オルフェーヴルは2着」です。あとは何が来てもおかしくはないメンバー構成なので、三連単⑥二着固定、一着及び三着総流しの210点×100円を前売りで購入済みです。いざ、勝負!





 

16年 名古屋vs大洋 5回戦


6月21日 (土) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17  計
0 1 0 0 0 0 0 0 0  0   0   0   0   0   0   0   0   1 名古屋 13勝16敗 0.448 河村章 西沢道夫
0 0 0 0 1 0 0 0 0  0   0   0   0   0   0   0  1X  2 大洋    18勝11敗 0.621 浅岡三郎 古谷倉之助 野口二郎

勝利投手 野口二郎 12勝4敗
敗戦投手 西沢道夫   2勝7敗

勝利打点 森田実 3

猛打賞 (大)黒澤俊夫 1

ファインプレー賞 (大)苅田久徳 3、濃人渉 2 (名)芳賀直一 6


前哨戦 

 6月20日付け読売新聞は「名軍の本田、監督に」の見出しで「名古屋軍では今般本田、桝両助監督制を廃止して本田親喜選手を監督に、また桝嘉一選手を技術指導委員長に任じた。」と報じている。

 名古屋の開幕投手は春季シリーズ7勝2敗3セーブとエースにのし上がった河村章。大洋は明日の阪急戦に備えて野口二郎を温存し浅岡三郎が先発する。

 名古屋は2回、先頭の吉田猪佐喜がストレートの四球で出塁、大沢清の右前打で無死一二塁、服部受弘は左飛に倒れるが、芳賀直一の中前打で一死満塁、石丸進一の左犠飛で1点を先制する。

 大洋は3回から先発の浅岡に代えて古谷倉之助をリリーフに送る。

 名古屋先発の河村は4回まで一人の走者も出さずパーフェクトピッチングを続ける。

 大洋は5回、先頭の黒澤俊夫の遊ゴロをショート石丸進一がエラー、森田実の送りバントはバントシフトで前進してきたセカンド木村進一から二塁ベースカバーの石丸に送られるがセーフ、犠打と野選が記録されれて無死一二塁、石井豊が四球を選んで無死満塁、古谷は浅い中飛、佐藤武夫は三振に倒れて二死満塁、大洋ベンチはここで織辺由三に代えて代打に野口二郎を起用、野口がストレートの押出し四球を選んで1-1の同点に追い付く。名古屋ベンチはここで先発の河村から西沢道夫にスイッチ、トップに返り苅田久徳は一邪飛に倒れてスリーアウトチェンジ。

 大洋は6回から野口がライトに入り、ライトの黒澤が代打を送られた織辺に代わってレフトに回る。

 名古屋6回の攻撃は先頭の服部が三塁に内野安打、続く芳賀直一の二ゴロはセカンド苅田が華麗に捌いて「好守」が記録された。意外なことに苅田は初の「ファインプレー賞」を獲得した。スコアカードの記録から見ると次のプレーも「ファインプレー賞」に相応しいかもしれない。すなわち、続く石丸は三ゴロ、二走服部が飛び出したようで「5-4-5」と送られてツーアウト、打者走者の石丸は一塁をオーバーランして「5-3」と送られて変則ダブルプレーが完成した。セカンド苅田久徳、サード高橋輝彦の“百万ドル内野”ならではのプレーでしょう。

 大洋打線は8回まで無安打。9回、濃人が中前にチーム初安打、二死後石井豊も左前打を放つが無得点。試合は1対1のまま延長戦に突入、大洋は10回から野口をマウンドに送りライトには西岡義晴が入る。

 名古屋は10回、先頭の西沢が右前打で出塁、トップに返り木村の投前送りバントは「1-6」と送られて失敗、更に木村が二盗に失敗、桝が四球を選ぶが牧常一は右飛に倒れてスリーアウトチェンジ。

 名古屋は12回、二死後木村が中前打、桝の遊撃内野安打で二死一二塁、ここで牧に代わって代打に本田親喜監督が登場するが右飛に倒れてスリーアウトチェンジ。

 大洋は12回裏、先頭の西岡が中前打、柴田多摩男の送りバントは三飛に終わるが野口が中前打を放って一死一二塁、しかし苅田は三ゴロ、高橋は遊飛に倒れる。

 大洋は13回裏、先頭の濃人が遊失に生き、黒澤俊夫が右前打、森田実の二ゴロで黒澤が二封されるが森田が二盗に成功、石井が四球を選んで一死満塁、しかし西岡は三振、柴田は二直に倒れてスリーアウトチェンジ。

 名古屋は15~17回は無安打、大洋も14~16回は無安打。

 大洋は17回裏、先頭の高橋の三塁への当りはサード芳賀のファインプレーに阻まれるが、濃人が四球を選んで出塁、黒澤が左前打で続いて一死一二塁、森田が左翼線にサヨナラタイムリーを放って2時間38分の熱戦に終止符を打つ。


 西沢道夫は11回3分の1を投げて8安打6四球5三振1失点。野口二郎は8イニングを投げて4安打2四球3三振無失点であった。この両者は昭和17年5月24日に延長28回を投げ合うこととなるが、本日はその“前哨戦”というところでしょうか。
















 

絶賛



 昭和16年6月22日付け読売新聞に掲載されている鈴木惣太郎による論評は畑福俊英を絶賛しています。


 「5月18日に帰還した畑福は未だ1か月足らずの日子を過したばかりであるのに黒鷲投手不足の悲境に自ら投手を買って出たことが既に悲壮の意気であるが、彼はチェンジ・オブ・ペースの武器を基本にして剛速球に、ドロップに、そしてナックル・ボールに縦横無蓋怪腕を揮って阪急軍の強打をよく防いだのは目覚ましかった。」


 「攻撃に於ける畑福は3回、8回と先頭を切って痛烈な安打に出塁したが後続少しも振わず二度とも二塁に立ち往生に終わらしめ得点機は全くなかった。」


 畑福俊英の投手としてのキャリアは昭和18年までで終わりますが、戦後は千葉県の専修大学松戸高等学校(以下「専大松戸」)の監督を務めることとなります。


 専大松戸は千葉県高校野球の黄金時代にも千葉県予選ではベスト8、ベスト4の常連として古くから「せんまつ」の愛称で千葉県高校野球ファンに親しまれてきました。その専大松戸の礎を作ったのが畑福俊英監督だった訳です。


 一時は低迷の時期もありましたが、持丸監督を招聘して近年は急速に力を盛り返してきており、当ブログでは数年以内に甲子園初出場を成し遂げると予測しています。