2013年5月20日月曜日

15年 翼vs金鯱 11回戦


10月26日 (土) 鳴海

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 計
0 0 3 0 0 0 0 0 0  0   0   3 翼     45勝32敗10分 0.584 三富恒雄 浅岡三郎
0 0 0 0 0 0 2 1 0  0 1X  4 金鯱 25勝53敗7分 0.321 長尾貞利 中山正嘉

勝利投手 中山正嘉 13勝25敗
敗戦投手 浅岡三郎 10勝8敗

二塁打 (翼)三富 (金)上野、漆原

勝利打点 なし


中山正嘉、7回を無安打

 2013年4月17日付けブログ「15年 南海vs阪神 11回戦 」で「9月29日付け読売新聞は『セ軍新団名を募集』の見出しで『新体制を布いた日本野球聯盟の球団は純日本式野球実現のため球団名を改称せんとして東京セネタースでは広く一般から懸賞募集(当選者へ百円)を行って団名を改称することとし・・・』と伝えている。」とお伝えしてきたところですが、10月15日付け読売新聞「セ軍は『東京翼軍』」の見出しと共に「『東京セネタース軍』の改名募集は応募数13,399票中より『東京翼軍』と決定、17日から始まる本社主催大会から使用することとなった」と伝えています。読売新聞社主催第4回日本野球優勝大会からセネタースを翼としているのは既報のとおりです。


 翼としての公式戦初試合は3回、三富恒雄が左中間に二塁打、織辺由三の3ゴロをサード山川喜作がお手玉、三富は動けず無死一二塁、トップに返り横沢七郎の三前バントが内野安打となり無死満塁、高橋輝彦が押出し四球を選んで1点を先制、野口二郎の遊ゴロはショート濃人渉からのバックホームで三走織辺が本封されて一死満塁、続く小林茂太の遊ゴロを濃人が間に合わないホームに悪送球する間に三走横沢に続いて二走高橋もホームイン、3-0とする。記録は野選とエラーで小林には1打点が記録される。なお一死二三塁で山崎文一の遊直に二走小林が戻れずダブルプレー。

 金鯱は5回、先頭の横沢が四球で出塁、金鯱ベンチはここで先発の長尾貞利から中山正嘉にスイッチ、中山は高橋を遊ゴロ併殺、野口を三ゴロに抑える。

 中山はこの後翼打線を無安打に抑える。中山の好投が試合の流れを変えた。

 6回まで三富恒雄に2安打無得点に抑えられてきた金鯱は7回、一死後森田実が右前打で出塁、黒澤俊夫の投ゴロでランナーが入れ替わり、上野義秋が左中間にタイムリー二塁打を放って1-3、松元三彦は四球を選んで二死一二塁、漆原進が右翼線にタイムリーを放って2-3と追い上げる。
 金鯱は8回、一死後濃人が四球を選んで出塁、室脇正信が左前打を放って一死一二塁、森田実は中前に同点タイムリーを放って3-3と追い付く。翼ベンチはここで先発の三富から浅岡三郎にスイッチ、浅岡も好投を続けて試合は延長11回に進む。


 翼は11回表、一死後小林が四球で出塁、山崎文一も四球を選んで一死一二塁、ここで柳鶴震の打球は三塁ライナー、サード漆原は一塁に送球、「5-3-9-4」と転送されて一走山崎はタッチアウト、当初は併殺が記録されたようですが後に取り消されています。スコアカードの記載は「(5-3)[9-4]」と漆原からファースト上野への送球とライト室脇正信からセカンド五味芳夫への送球は別プレーと判定されたようです。ということは、漆原から上野への送球が逸れて上野が弾いたががライト室脇がカバーしてセカンド五味に送球して一走山崎をタッチアウトしたということでしょう。ライト室脇の好プレーだったようです。


 金鯱は11回裏、二死後漆原が左翼線に二塁打、中山に代わる代打古谷倉之助の二飛をセカンド高橋が痛恨の落球、漆原が二塁から還って金鯱がサヨナラ勝ち。
 

 中山正嘉は7イニングを投げて無安打5四球2三振無失点で13勝目をあげる。この日中山が先発していたらノーヒットノーランを記録したかもしれない。









         *中山正嘉は7イニングを投げて無安打の好リリーフを見せる。











      *サヨナラ勝ちした金鯱打線。












*延長11回表、柳鶴震の遊直で一走山崎文一がタッチアウトになった場面。(5-3)と[9-4]は別プレーと判定されて併殺が取り消されました。







        *「備考欄」には「併殺とするも取消す」と書かれています。












 

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