2012年7月1日日曜日

15年 南海vsジャイアンツ 3回戦


3月27日 (水) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 1  1 南海             3勝5敗1分 0.375 劉瀬章
2 1 0 0 0 0 0 1 X  4 ジャイアンツ 6勝2敗 0.750 楠安夫

勝利投手 楠安夫 1勝0敗
敗戦投手 劉瀬章 1勝1敗

二塁打 (南)花田、国久 (ジ)中島
三塁打 (ジ)楠

勝利打点 中島治康 2


楠安夫、投手生活最後の勝利

 ジャイアンツは初回、先頭の千葉茂がワンスリーから四球を選んで出塁、水原茂の投ゴロの間に千葉は二進、中島治康が中越えに二塁打を放って1点を先制、翌日の読売新聞によると不慣れなセンター清水秀雄が目測を誤ったとのこと。川上哲治は三ゴロに倒れるが、白石敏男の三ゴロをサード国久松一がエラー、吉原正喜が三遊間を破って2-0とする。

 ジャイアンツは2回、先頭の林清一が左前打、楠安夫が右中間に三塁打を放って3-0とする。

 南海は4回、先頭の末崎隆行が四球で出塁するが上田良夫の投ゴロは「1-4-3」と渡ってダブルプレー、負傷の吉川義次に代わってスタメンマスクの花田勘一朗が左中間に二塁打、劉瀬章が四球を選んで二死一二塁、しかし藤戸逸郎はノースリーから三振に倒れる。

 ジャイアンツは8回、先頭の白石が中前打、吉原の三ゴロの間に白石は二進、平山菊二は三振に倒れて二死二塁、林が左前にタイムリーを放って4-0とする。

 南海は9回、先頭の上田の遊ゴロをショート白石が一塁に悪送球、花田の二ゴロをセカンド千葉がエラーして無死一二塁、藤戸の三塁強襲安打で上田が還って1-4とする。更に二死後岡村俊昭がストレートの四球を選んで二死満塁、しかし国久が投ゴロに倒れて試合終了。

 4回に二塁打を放った花田勘一朗は通算5打数1安打でプロ野球から去ることとなる。生涯唯一のヒットが本日の二塁打であった。

 楠安夫は7安打5四球3三振1失点、自責点ゼロの完投で1勝目をあげる。楠は投手としては通算7勝、この後は野手として戦後まで活躍することとなる。今季の1勝1敗で投手生活を終了することとなり、本日の勝利が最後の勝利投手となる。打っても2打数2安打1打点三塁打1本の活躍であった。


 昭和11年に出場してから応召し、今季戦場から戻ってきた林清一が4打数2安打1得点1打点1盗塁の活躍を見せる。

 宝塚運動協会解散後、現在のプロ野球の原型となるのは昭和11年からであるが、4月29日から行われた公式戦「第一回日本職業野球リーグ戦」にはジャイアンツが第2回アメリカ遠征中であったため参加しておらず6チームで行われています。7月1日から戸塚球場で行われた「聯盟結成記念全日本選手権」には6月25日に帰朝したジャイアンツも参加して7チームが揃い、ここからを公式記録とする説が有力のようです。

 林清一は7月1日の第一試合「名古屋vsジャイアンツ」戦の一番センターに起用されて、「日本職業野球聯盟公報」第四号(昭和11年7月25日発行)のテーブルスコアに「4打数1安打2打点1四球」と記載されています。但し、野球体育博物館の職員の話では、聯盟公報には間違いが記載されている可能性があるとのことなのでご注意ください。Wikipediaには「林は日本プロ野球公式記録上初の被四球者となっている」と記述されています。この試合の「1四球」が公式記録としての初四球であった可能性があります。与四球第一号は名古屋のハーバート・ノースとなります。








       *楠安夫が7安打完投で1勝目をあげる。投手生活最後の勝利となった。












*聯盟広報の写真は初掲載となります。公式戦第一戦ともされる昭和11年7月1日に戸塚球場で行われた「聯盟結成記念全日本選手権」第一試合「名古屋vsジャイアンツ」戦を伝えるテーブルスコア。林清一の四球が第一号とも言われている。












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