2012年6月21日木曜日

原は原でも・・・


 原辰徳の周辺が騒がしい。こういうニュースは読んでいても面白くないので当ブログ的原にまつわる話題をお届けします。題して「相模の原か、法二の原かと謳われたスラッガーにまつわるエトセトラ」


 当時の神奈川で「相模の原か、法二の原か」と言われた左のスラッガー原は法政二高から法政大学では準硬式に進みました。大学2年の東京六大学準硬式野球リーグ戦で対戦した試合、ライトを守っていた筆者は原の打球は左中間と右中間に伸びるので通常は右中間深く守備位置を変えるのですが、初球ファウルのスウィングを見て「引っ張ってくる」と直感し、5メートルライト線に守備位置を変えました。

 次の打球はライト線への弾丸ライナー、左に走って地上スレスレでグラブの先に引っ掛けて捕球することができました。リーグ戦でのファインプレーはダイビングキャッチが1回、回転レシーブキャッチが1回、同期のピッチャーの防御率のタイトルが懸かっていた試合で右中間のライナーに飛びついてえらく感謝されたプレーが1回の3回が見た目にはファインプレーであったかもしれませんが、私の中ではファウルのスウィングから打球を読み切って原の弾丸ライナーを捕ったプレーがNo1でした。

 筆者が実際にグラウンドで対戦した選手の中では最高のスラッガーであったと思います。桐生高校から群馬大学準硬式野球部に進んだ阿久沢とも一度試合をしたことがありますがこの試合では本領を発揮できなかったようで、実際に投げた同期のピッチャーも「大したことないじゃん」と言っていました。原とは2年から4年まで何度も対戦していますし。


 なお、本日のタイトルはパフィーの「渚にまつわるエトセトラ」からのぱくりです。パフィーと野球と何の関係があるのか疑問に思っているようではまだまだ修行が足りません。「これが私の生きる道」は1997年第69回選抜高等学校野球大会 の入場行進曲です。やる気のなさそうなパフィーが何故センバツの行進曲なの?という疑問は多く聞かれましたが、矢張り「これが私の生きる道」のタイトルには勝てなかったようです。





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