2012年6月30日土曜日

15年 タイガースvs名古屋 2回戦


3月27日 (水) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 1 2  3 タイガース 3勝4敗1分 0.429 木下勇 若林忠志
0 2 3 0 0 0 0 1 X  6 名古屋      7勝1敗 0.875 松尾幸造 村松幸雄

勝利投手 松尾幸造 1勝1敗
敗戦投手 木下勇   1勝2敗

二塁打 (タ)本堂、若林
本塁打 (名)中村 1号

勝利打点 三浦敏一 1


快調名古屋、首位を独走

 名古屋は2回、一死後吉田猪佐喜の二ゴロをセカンド本堂保次がエラー、吉田がディレードスチールを決めて一死二塁、中村三郎は一邪飛に倒れるが、三浦敏一が中前に先制タイムリー、芳賀直一の左中間二塁打で三浦が還り2点を先制する。

 名古屋は3回、先頭の村瀬一三がツースリーから四球で出塁すると二盗に成功、石田政良が三塁に内野安打、桝嘉一が中前にタイムリーを放ってタイガース先発の木下勇をKO、二番手に若林忠志が登板する。大沢清の二ゴロで桝が二封されて一死一三塁、大沢が二盗を決めて一死二三塁、吉田が中前に2点タイムリーを放って5-0とする。

 名古屋先発の松尾幸造は快調なピッチングを見せる。1回、2回は三者凡退。3回、先頭の富松信彦を二塁内野安打で出すが木下勇を二ゴロ併殺に打ち取る。ここからセカンド中村、サード芳賀に連続エラーが出て二死一二塁とするがキャッチャー三浦が二塁牽制で二走富松信彦を刺して事なきを得る。4回は二死後カイザー田中義雄、松木謙治郎に連続右前打を許すが岡田宗芳を遊ゴロに打ち取る。5回、先頭の富松に初四球を与え、一死後森国五郎の内野安打と中村のエラーで一死二三塁のピンチを迎えるが、ジミー堀尾文人の三ゴロに三走富松が飛び出して三本間でタッチアウト、更に二走森も二三塁間に挟まれてタッチアウト。6回、7回もヒットを1本ずつ許すが無失点で切り抜け、7回まで6安打1四球2三振無失点に抑える。

 タイガースは8回、一死後皆川定之が左翼線にヒット、本堂がツースリーからの6球目を右中間に二塁打、皆川が還って1点を返し1-5とする。

 名古屋は8回裏、中村が左翼スタンドにホームランを放って6-1とする。

 タイガースは9回、富松に代わる代打伊賀上良平が中前打で出塁、若林が左中間に二塁打を放って伊賀上を迎え入れ2-6とする。名古屋ベンチはここで好投を続けてきた松尾をあきらめて村松幸雄をリリーフに送る。森に代わる代打中田金一が中前にタイムリーを放って3-6、しかし堀尾の二ゴロは「4-6-3」と渡ってダブルプレー、最後は皆川が中飛に倒れて名古屋が逃げ切る。

 名古屋打線は万遍なく当っており、9回にリリーフに出た村松幸雄を除く全員安打で12安打を記録する。本日は2回、3回に記録した3盗塁が効果的であった。

 村松幸雄はセーブシチュエーションでの登板ではないのでセーブは記録されない。但し、日本プロ野球界は1997年までセーブシチュエーションの解釈を間違えており、「走者+3」点差以内で1イニングを投げればセーブが記録されると曲解していた。村松は6対2と4点リードの無死二塁でリリーフ登板して1イニングを投げて完了しているので1997年までの間違った解釈であればセーブが記録されていたところであった。






      *好調を続ける名古屋打線。











2012年6月28日木曜日

15年 金鯱vsライオン 3回戦


3月27日 (水) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 2 0 1 1 0 0 3 0 8 金鯱     3勝5敗 0.375 内藤幸三 中山正嘉
0 0 0 0 0 0 0 3 0 3 ライオン 3勝5敗 0.375 菊矢吉男 井筒研一 山本英雄

勝利投手 中山正嘉 1勝2敗
敗戦投手 菊矢吉男 3勝1敗

二塁打 (金)五味、佐々木、古谷、瀬井 (ラ)井筒、広田
三塁打 (金)佐々木 (ラ)玉腰

勝利打点 濃人渉 1


古谷倉之助4打点

 金鯱は初回、先頭の佐々木常助が右中間に三塁打、森田実は三邪飛に倒れるが、濃人渉が左前にタイムリーを放って1点を先制する。

 金鯱は2回、先頭の内藤幸三が二遊間に内野安打、五味芳夫の投ゴロで内藤は二封、二死後五味が二盗を決めて、森田の右前タイムリーで2-0、森田が二盗を決めて濃人が四球を選び二死一二塁、四番ファースト古谷倉之助がセンター右にタイムリーを放って3-0とする。

 金鯱は4回、佐々木、森田が連続四球、ライオン先発の菊矢吉男はここで降板して二番手に井筒研一がマウンドに上がる。濃人が送りバントを決めて一死二三塁、古谷の三ゴロの間に佐々木が還って4-0とする。

 金鯱は5回、二死後五味が左中間に二塁打、トップに返り佐々木も左中間を抜いて5-0とする。

 金鯱は8回、先頭の佐々木が内野安打と遊失により二塁に進み、一死後濃人は四球、古谷が左中間に二塁打を放って二者還り7-0、二死後瀬井清が左翼線に二塁打を放って8-0とする。

 ライオンは8回裏、先頭の坪内道則が四球で出塁、西端利郎が中前打、水谷則一の一ゴロで西端は二封、玉腰年男が左中間に三塁打を放って2-8、広田修三も左中間に二塁打を放ち3-8とするがここまで。

 金鯱は2回途中から登板した二番手中山正嘉が8イニングを投げて6安打4四球3三振で1勝目をあげる。

 前日2安打完封の古谷倉之助が4打数2安打4打点の活躍を見せた。

 二試合連続完投勝利&勝利打点を記録してきた菊矢吉男は3回3分の0を投げて6安打4四球4失点でKOされた。






2012年6月27日水曜日

15年 阪急vsイーグルス 2回戦


3月26日 (火) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 3 2 0 0 0 0 0 0 5 阪急           4勝4敗 0.500 森弘太郎
0 0 0 2 0 0 2 0 0 4 イーグルス 3勝5敗1分 0.375 亀田忠 長谷川重一

勝利投手 森弘太郎 3勝1敗
敗戦投手 亀田忠   2勝3敗

二塁打 (阪)山田 (イ)中河、岡田
三塁打 (阪)山下好
本塁打 (阪)山下実 1号

勝利打点 山下実 1


山下実先制スリーラン

 阪急は初回、一死後センターに戻ったフランク山田伝が左中間に二塁打、しかし亀田忠からの牽制球にタッチアウト。翌日の読売新聞によるとイーグルスは小田原のキャンプで二塁牽制の練習を積んできて今季度々成功させているとのこと。ショート山田潔の動きがいいので成功していると考えられる。25日のタイガース戦6回、本堂保次を中河-山田で、24日の南海戦2回、戸田与三郎を亀田-山田で、9回にも吉川義次を亀田-山田のコンビで二塁に刺している。

 阪急は2回、先頭の山下好一が7球粘って四球で出塁、続く井野川利春も8球粘って四球を選んで無死一二塁、ここで亀田が再度二塁牽制を試みるがこれは悪送球となって山下好一は三塁に進み井野川も二盗を決めて無死二三塁、山下実が3球ファウルで粘って8球目をライトスタンドに大ホームラン、3点を先制する。

 阪急は3回、先頭の山田が四球で出塁、黒田健吾の二ゴロの間に山田は二進、山下好一が右中間に三塁打を放って4-0、井野川が中前にタイムリーを放って5-0とする。続く山下実が四球を選んだところでイーグルスベンチは亀田をあきらめて長谷川重一をリリーフに送る。上田藤夫が右前打を放って一死一二塁、しかし伊東甚吉は遊飛、森弘太郎は三振に倒れてスリーアウトチェンジ。
 イーグルスは4回、先頭の岩垣二郎が中前打で出塁、中河美芳が左中間に二塁打を放って岩垣を迎え入れ1-4、一死後長谷川が右前にタイムリーを放って2-4とする。


 イーグルスは7回、一死後竹内功が右翼線にヒット、清家忠太郎が中前打を放って無死一二塁、山田に代わる代打菅利雄の三ゴロの間に二者進塁して二死二三塁、トップに返り岡田福吉が右中間を抜いて2点を返し4-5とするが岡田は三塁を欲張り「9-4-5」と送球されてタッチアウト。阪急はセカンドに伊東甚吉が戻ってきており山田伝ならこうはいかなかったかもしれない。

 阪急は9回、先頭の山田が四球で出塁、黒田の一直に山田は戻れずダブルプレー、中河が無補殺併殺を記録する。

 イーグルスは9回裏、一死後寺内一隆が中前打で出塁、竹内の二ゴロを伊東がエラーして一死一二塁、しかし清家の投ゴロは「1-6-3」と渡ってダブルプレーで試合終了。

 森弘太郎は8安打1四球1三振で粘りの完投、3勝目をあげる。

 阪急守備陣は4つのエラーを記録したが、エラーで出した3人のランナーは全て併殺で片づけて失点には結び付けなかった。もう一つのエラーも7回、寺内の捕邪飛を井野川が落球したものでこの打席も寺内を遊ゴロに抑えている。

 2回に先制のスリーランを放った山下実は今季22試合に出場するだけで阪急を退団する。昭和17年に名古屋に復帰して1本ホームランを放つこととなるが阪急での本塁打は本日のスリーランが最後のものとなる。

 戦前のホームランバッターと言えばプロ野球創設以前のベーブ田中こと田中勝雄から宮武三郎、景浦将と山下実だけで、川上哲治は戦前は中距離ヒッター、中島治康も好打者のカテゴリーに入る。左の本格的ホームランバッターは山下実だけだった訳であり、次は戦後の大下弘まで待たねばならない。







             *森弘太郎は粘りの完投で3勝目をあげる。











          *山下実の阪急での最後のホームランを伝えるスコアカード。




2012年6月26日火曜日

15年 金鯱vs南海 2回戦


3月26日 (火) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 2 0 1 0 3 0 0 0  6 金鯱 2勝5敗 0.286 古谷倉之助
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 南海 3勝4敗1分 0.429 清水秀雄

勝利投手 古谷倉之助 1勝2敗
敗戦投手 清水秀雄     1勝2敗

二塁打 (金)長島

勝利打点 上野義秋 1


古谷倉之助9三振の力投

 金鯱は2回、一死後野村高義が四球で出塁、山本次郎の左飛をレフト岡村俊昭が落球、長島進もツースリーから四球を選んで一死満塁、上野義秋の二ゴロでセカンド国久松一は一走長島にタッチしてから一塁に送球するがこれが悪送球となる間に三走野村に続いて二走山本も還って2点を先制する。上野には1打点が記録される。

 金鯱は4回、先頭の古谷倉之助がツースリーから四球を選んで出塁、二死後長島が右中間にタイムリー二塁打を放って3-0とする。

 金鯱は6回、先頭の長島がツースリーから四球を選んで出塁、上野が初球を右前打、五味芳夫の三ゴロをサード上田良夫が一塁に悪送球する間に長島が還って4-0、トップに返り佐々木常助が右前にタイムリーを放って5-0、森田実の二ゴロで佐々木が二封されて二死一三塁、ここでダブルスチールを決めて6-0とリードを広げる。

 古谷倉之助は普段はのらりくらりとかわしていくピッチングが身上であるがこの日は力投を見せた。1回、岡村にファウル3つ粘られるが三振。2回は先頭の吉川義次を四球で出すが清水秀雄、上田を連続三振。5回は二死二塁で岩出清を三振。6回は清水、7回は上田の代打天川清三郎を三振。圧巻は9回で、負傷の吉川に代わって途中出場した花田勘一朗を三球三振、清水をツーツーから三振、戸田与三郎に代わる代打平野正太郎をツーワンから三振と三者三振で締める。

 古谷倉之助は133球を投げて2安打3四球9三振の完封で1勝目をあげる。当ブログと古谷倉之助は長い付き合いになりますが、昭和12年以降では最高のピッチングではないでしょうか。

 清水秀雄は159球を投げて4安打8四球9三振、失点は6であるが自責点は2であった。大和球士著「真説 日本野球史」昭和篇その四に「不運の大投手・清水秀雄」の章がある。清水は江夏と比肩する投手とのことで、江夏同様の剛速球を投げ、変化球は江夏より上であるがコントロールは悪かったとのことである。明大四連覇の立役者として鳴り物入りで南海入りするが鶴岡を始め主力が応召で大量に抜けたためバックに足を引っ張られるケースが多かった。今季は奪三振にまつわる記録をいくつかお伝えすることとなる。今季終了後応召して戦地で負傷し、復帰後は剛速球が見られなくなるのでプロで全盛期のピッチングを見ることができるのは今季だけとなる。翌日の読売新聞によると聯盟首脳陣がこの試合を観戦しており、河野理事は「清水は投球数が非常に多い。四球も亀田より多い。」、富樫理事は「学生時代よりスピードが増している。」とコメントしている。

 日本野球史において名サウスポー列伝は戦前では一高の守山恒太郎、和歌山中学の小川正太郎、一高の内村祐之、海草中学の嶋清一でプロからは戦後の荒巻淳、金田正一、梶本隆夫、江夏豊まで待たねばならない。戦前のプロから唯一名サウスポー列伝に加わるとしたら清水秀雄となる。







             *古谷倉之助は9奪三振の完封で1勝目をあげる。














     *古谷倉之助に2安打に抑え込まれた南海打線。






2012年6月25日月曜日

15年 ライオンvsセネタース 2回戦


3月26日 (火) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 1  1 ライオン     3勝4敗 0.429 福士勇
0 0 0 0 0 0 6 0 X  6 セネタース 3勝4敗1分 0.429 浅岡三郎

勝利投手 浅岡三郎 1勝0敗
敗戦投手 福士勇     0勝3敗

二塁打 (ラ)鬼頭 (セ)石井
本塁打 (セ)佐藤 1号

勝利打点 山崎文一 1


佐藤武夫満塁弾、福士勇完全試合を逃す

 セネタースは四番ライトで山崎文一が今季初出場、苅田久徳が一番に戻る。

 セネタースは初回、苅田が左飛、横沢七郎が中飛、野口二郎は右飛に倒れる。2回、山崎のプロ入り初打席は右飛、柳鶴震は二ゴロ、石井豊は遊ゴロ、2回の攻撃は3人とも2球目を打ったものであった。3回、浅岡三郎はツーワンから見逃し三振、佐藤武夫は遊飛、織辺由三は左飛に倒れる。

 セネタースは4回、苅田が2球目を左飛、横沢は4球目を三ゴロ、野口は初球を中飛。5回、山崎は初球を中飛、柳は遊飛、石井は三ゴロに終わる。6回、浅岡は初球を左飛、佐藤は2球目を左飛、織辺は初球をたたいて二ゴロに倒れる。

 ライオン先発の福士勇は6回まで一人の走者も出さず、翌日の読売新聞で鈴木惣太郎は「福士はドロップの切れ味凄くセ軍打者を三者ずつ綺麗に片づけて“完全試合”の達成を予想せしめた。」と書いている。昭和15年の時点で「完全試合」の概念が認識されていたことを伝える貴重な証言でもある。

 セネタースは7回、先頭の苅田が左前打を放って完全試合は消える。続く横沢はワンスリーから四球、翌日の読売新聞によると「福士は一塁走者苅田の偽装盗塁に釣られて横沢に四球を与えた。この苅田の投手牽制は実に巧いもので、これがセ軍6点の原動力をなしている。」とのこと。野口の遊ゴロで横沢は二封、野口が二盗を決めて一死二三塁、山崎のプロ入り初安打が中前タイムリーとなって1点を先制、山崎が福士からの牽制球に釣り出されて一二塁間に挟まれる間に三走野口が還って2-0、山崎は「1-3-4-3」でタッチアウト。柳が右前打を放って二死一塁、石井が左翼線に二塁打を放って二死二三塁、浅岡がツースリーから四球を選んで二死満塁、このチャンスに佐藤がレフトスタンドに満塁ホームランを叩き込んで6-0とする。

 ライオンは9回、一死後鬼頭数雄がノースリーから打って出て左中間に二塁打、二死後西端利郎が右前にタイムリーを放って1-6とするが松岡甲二に代わる代打伊藤吉男が三振に倒れてゲームセット。

 浅岡三郎は6安打3四球5三振の完投で1勝目をあげる。

 セネタースの四番で今季初出場となった山崎文一は昭和11年に日大からセネタースに入団、我が国プロ野球初の公式戦となった昭和11年4月29日から行われた第1回日本職業野球リーグ戦(巨人軍は第2回アメリカ遠征中のため不参加)初日のセネタースvs阪急戦にも四番ライトで出場して5打数1安打1得点を記録している。昭和12年1月25日発行「日本野球連盟ニュース第11号」に「入営選手」が公表されており、山崎文一は「麻布歩兵第三連隊留守隊二ノ十三(満州O南小浦部隊気付浅尾隊)」に配属されたと記載されている。昭和11年最後の出場は12月5日のタイガース戦なので、本日の出場は約3年半ぶりのこととなる。

 昭和11年に山崎文一が付けていた背番号5番は12年~14年は尾茂田叶が付けていたが尾茂田が応召で抜けて山崎が再び付けることとなった。

 完全試合を逃した福士勇は青森商業から青森林友を経由して昭和13年にライオンに入団した。東北の社会人野球は秋田と宮城が強く、青森県から都市対抗野球に出場したチームはこれまで昭和14年の青森林友だけである。








*浅岡三郎は6安打完投で1勝目をあげる。福士勇は6回までパーフェクトピッチングであった。












*6回まで福士勇にパーフェクトに抑えられたセネタース打線。四番ライト山崎文一は戦場から戻って昭和11年12月以来約3年半ぶりの出場となった。








2012年6月24日日曜日

15年 イーグルスvsタイガース 2回戦


3月25日 (月) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7   8  計
3 0 0 0 0 2 0   0  5 イーグルス 3勝4敗1分 0.429 中河美芳
0 0 1 0 0 0 1  3X 5 タイガース 3勝3敗1分 0.500 三輪八郎

二塁打 (イ)竹内 (タ)岡田、本堂
本塁打 (イ)寺内 1号 (タ)岡田 1号

勝利打点 なし


日没引分け

 第一試合が1時間45分、第二試合が2時間2分かかったので第三試合は16時50分試合開始。東京の3月ですから薄暗くなり始めています。因みに2012年3月25日の東京の日の入りは17時57分です。同日の大阪の日の入りは18時14分です。関東と関西では20分くらい関西の方が遅い。広島は18時26分、福岡は18時34分、沖縄は18時34分です。

 イーグルスは初回、先頭の岡田福吉が二遊間に内野安打、岩垣二郎が右前打を放って無死一二塁、菅利雄の送りバントはピッチャー三輪八郎がダッシュ良く処理して岡田を三封、谷義夫がツースリーから四球を選んで一死満塁、中河美芳の一ゴロをファースト松木謙治郎が失する間に三走岩垣が還って1点を先制、寺内一隆が左翼線に2点タイムリーを放って3-0とする。

 タイガースは2回、先頭のカイザー田中義雄が右翼線にヒット、松木は遊飛に倒れるが岡田宗芳が左翼線に二塁打を放って一死二三塁、しかし富松信彦の遊直に二走岡田が戻れずショート山田潔からセカンド岡田福吉に渡ってダブルプレー。翌日の読売新聞によると「富松の痛烈な直球を山田が逆手に掴んで二塁に岡田を併殺する絶Oの美技」とのこと。

 タイガースは3回、二死後ジミー堀尾文人が四球で出塁、皆川定之もツースリーから四球を選び、本堂保次が右翼にタイムリーを放って1-3とする。

 イーグルスは6回、谷がワンスリーから四球を選び、中河が送って一死二塁、ここで寺内がレフトスタンドにツーランを叩き込んで5-1とリードを広げる。

 タイガースは7回、先頭の岡田宗芳がツースリーからの6球目をレフトスタンドに叩き込んで2-5と追い上げる。

 タイガースは8回、先頭の皆川がワンスリーから四球で出塁、本堂がツーツーからの5球目を右中間に二塁打、田中は初球を打って三ゴロ、松木に代わる代打若林忠志が3球目を打って二ゴロ、三走皆川が還って3-5としてなお二死三塁、岡田宗芳の遊撃内野安打がタイムリーとなって4-5、伊賀上の2球目にパスボールが飛び出し二死二塁、伊賀上はストレートの四球に歩いて二死一二塁、三輪に代わる代打中田金一はボール、ファウル、ファウル、ボール、ファウル、ボール、ファウル、ファウルと粘って9球目を中前に弾き返し、二走岡田が三塁ベースを蹴ってホームに還り5-5の同点とする。中田に代えて代走に藤村隆男を起用。すでに薄暗くなっておりセンター寺内はボールが見えなくなって太田健一と交代、太田は視力が良かったようです。森国五郎に代わる代打宮崎剛は初球見逃しストライク、この投球で藤村が二盗を決めて二死二塁、2球目も見逃しストライクでツーナッシング、ここからボール、ボール、ファウル、ファウル、ボールと粘って8球目もボールで四球となり二死一二塁、ここで池田豊主審、金政卯一塁審、島秀之助塁審が協議を行い日没コールドが宣告される。

 両チームのプレーぶりを見ると見苦しい遅延行為は見られなかったようである。

 8回に代走に起用されて盗塁を記録した藤村隆男は戦後も長くタイガースの主力投手となるが一リーグ時代に記録した盗塁は今季の2個だけで本日の二盗がプロ入り初盗塁となる。タイガースは今季から松木謙治郎が監督となったため背番号は9番から30番に変わり、松木の後を継いで9番を付けているのが藤村隆男である。

 岡田宗芳が4打数3安打2得点2打点二塁打1本、本塁打1本の活躍を見せる。岡田は開幕から13試合に出場して兵役に就くこととなるので残る野球人生は6試合となった。本日の本塁打が通算3本目でプロでの最後の本塁打となった。岡田の応召は昨シーズン終了時点で伝わっているので今季の出場は考えられなかったが、敢えて入営直前までプレーする道を選んだと考えられる。松木謙治郎著「タイガースのおいたち」には「昭和15年暮れに兵役に服した」と書かれているがこれは松木の記憶違いのようだ。同著には入営が近付いたとき後楽園球場で伊賀上と3人で遠投競争をやって、勝った岡田を新宿の赤線に案内してやったのが岡田の送別会となったと書かれているが、この時の後楽園シリーズのことでしょう。






               *8回で日没コールドが宣告された。










            *中河美芳と三輪八郎の投げ合い。両投手とも戦死している。









     *残り少ない野球人生に全力を傾ける岡田宗芳の活躍を伝えるスコアカード。








     *イーグルスでは寺内一隆が4打数3安打4打点本塁打1本の活躍を見せる。








      *タイガース打線。







15年 ライオンvs金鯱 2回戦


3月25日 (月) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 計
0 0 0 0 0 0 0 0 4  0   1  5 ライオン 3勝3敗 0.500 菊矢吉男
0 1 0 0 1 0 0 0 2  0   0  4 金鯱       1勝5敗 0.167 中山正嘉
 
勝利投手 菊矢吉男 3勝0敗
敗戦投手 中山正嘉 0勝2敗

二塁打 (ラ)菊矢 
三塁打 (ラ)西端
本塁打 (金)森田 1号、五味 1号

勝利打点 菊矢吉男 2

菊矢吉男、2試合連続完投勝利&勝利打点

 金鯱は2回、一死後山本次郎がツースリーから四球で出塁、野村高義もワンスリーから四球を選んで一死一二塁、長島進はワンツーから2球ファウルで粘って一塁線に内野安打、一死満塁として中山正嘉がワンスリーから押出し四球を選んで1点を先制する。続く五味芳夫の三ゴロは「5-4-3」と渡ってダブルプレーでスリーアウトチェンジ。

 金鯱は5回、一死後佐々木常助が右前打を放つが二盗に失敗、ここで森田実が右翼スタンドにホームランを叩き込んで2-0とする。

 金鯱先発の中山正嘉は5回と8回に西端利郎にヒットを許しただけで8回まで2安打1四球3三振で完封目前であったが9回に崩れた。

 ライオンは9回、先頭の玉腰年男がツーナッシングと追い込まれながら四球を選んで出塁、水谷則一はツーツーから2球ファウルで粘って7球目を右翼線に痛打、しかもこれをライト野村が後逸する間に一走玉腰はホームイン、打者走者の水谷も三塁に進む。金鯱のライトは水谷からプロ入り初出場となる新井一に交代する。鬼頭数雄が右前にタイムリーを放って2-2の同点、広田修三が投前に送りバントを決めて一死二塁、山本尚敏はツースリーから2球ファウルで粘って四球を選び一死一二塁、当っている西端がワンボールからの2球目を右翼に三塁打、二者を迎え入れて4-2と逆転する。翌日の読売新聞によると「野村に代った右翼新井が果敢に突っ込んで転倒する不運に三塁打となり・・・」とのこと。いきなりの初出場で緊張していたところに判断の難しい打球が飛んできたようだ。

 2点のビハインドを追う金鯱は9回裏、先頭の長島がワンスリーから四球を選んで出塁、中山の二ゴロでランナーが入れ替わり一死一塁、ここで五味が左翼スタンドに同点ツーランを叩き込んで4-4として延長戦に突入する。

 ライオンは10回、先頭の坪内道則の三ゴロをサード山本次郎がエラー、玉腰が投前に送りバントを決めて水谷の一ゴロの間に坪内は三進、鬼頭のストレートの四球は敬遠でしょう。鬼頭が二盗を決めて二死二三塁、しかし広田は見逃しの三振に倒れる。金鯱の10回裏は三者凡退。

 ライオンは11回、先頭の山本は中飛に倒れるが西端がこの日4本目となるヒットを右前に放って一死一塁、8回から3人目のショートとしてプロ入り初出場の加地健三郎は三振に倒れて二死一塁、ここで力投を続ける菊矢吉男が右中間に決勝二塁打を放って5-4とする。

 金鯱は11回裏、新井に代わって柴田多摩男が代打でプロ入り初出場を果たすが三振、長島は左飛、中山に変わる代打松元三彦は三振に倒れてライオンが粘り勝ち。

 菊矢吉男は11回を完投して5安打6四球7三振の力投を見せて3勝目をあげる。11回の決勝二塁打で勝利打点が記録された訳であるが、菊矢は19日のセネタース戦でも完投して決勝スリーランを含む6打点をあげて勝利打点を記録しており、2試合連続完投勝利&勝利打点の快挙を達成した。他に例があるかは不明であるが世界記録の可能性がある。

 西端利郎が5打数4安打の活躍を見せた。当時は待球主義であったが本日の西端は第一打席の二飛はワンナッシングからの2球目、第二打席の右前打はワンボールからの2球目、第三打席の中前打は見逃し、ボール、ファウルからの4球目、第四打席の右翼三塁打はワンボールからの2球目、第五打席の右前打は初球を狙い打ったものである。バットが振れていることを自覚して積極的に手を出していったのでしょう。








               *菊矢吉男は11回を完投して3勝目をあげる。










     *西端利郎と菊矢吉男の活躍を伝えるスコアカード。











     *延長11回粘り勝ちしたライオン打線。




2012年6月23日土曜日

15年 名古屋vs阪急 2回戦


3月25日 (月) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 1 1 0 0 1 1 0 2 7 名古屋 6勝1敗 0.857 西沢道夫
0 1 0 0 0 0 0 0 0 1 阪急   3勝4敗 0.429 浅野勝三郎

勝利投手 西沢道夫     4勝0敗
敗戦投手 浅野勝三郎 0勝1敗

二塁打 (名)村瀬、桝 (阪)浅野
三塁打 (名)吉田、中村、村瀬

勝利打点 吉田猪佐喜 1

西沢道夫無傷の4連勝

 名古屋打線は絶好調である。翌日の読売新聞は「現在名古屋の当りというものは洵に物凄い。それは単に安打を連発するという数の意味ではなくして安打の一本々々が唸りをたてて見るからに素晴らしいスピードを伴い外野の随所に巨弾の如くに飛んで行くからである。」と書いている。

 名古屋は初回、先頭の村瀬一三が中前打で出塁、石田光彦の遊ゴロはショート上田藤夫から左利きのセカンドフランク山田伝に送球されるが山田が落球して無死一二塁、桝嘉一の投ゴロで村瀬は三封、大沢清は右飛に倒れるが、吉田猪佐喜が左前に先制タイムリーを放って1-0とする。

 名古屋は2回、先頭の三浦敏一が左前打で出塁、一死後三浦が二盗に成功、西沢道夫が中前にタイムリーを放って2-0とする。本日の阪急のキャッチャーは井野川利春がプロ入り初スタメンとなったが同じキャッチャーの三浦に走られた。

 阪急は2回裏、黒田健吾が左前打で出塁、上田の投ゴロの間に黒田は二進、今季初スタメンの山下実はストレートの四球、井野川は中飛に倒れるが浅野勝三郎が右中間を破り1点を返す。

 名古屋は3回、一死後桝が四球で出塁、大沢の二ゴロでランナーが入れ替わり、吉田が中越えに三塁打を放って3-1とする。

 名古屋は6回、中村三郎の右中間三塁打と芳賀直一の左犠飛で1点を追加する。更に7回、先頭の村瀬がセンター左奥に二塁打、石田の二ゴロの間に村瀬は三進、桝の左中間二塁打で5-1とする。

 名古屋は9回、先頭の村瀬が左中間に三塁打、石田が四球を選び、桝が左前にタイムリーを放って6-1、大沢の遊ゴロで桝が二封されて一死一三塁から吉田の右犠飛で7-1とする。

 西沢道夫は4安打3四球2三振の完投で開幕から無傷の4連勝を飾る。名古屋打線は5本の長打を放ち全て得点に結び付けた。

 開幕から飛ばす西沢道夫の活躍ぶりは1973年大洋ホエールズの竹内広明に似ている。深谷商業からドラフト1位の鳴り物入りで入団してきた竹内は2年目の73年に大ブレイク、開幕から平松と共に連戦連勝で巨人のV9を阻止するのは大洋との声が盛んに聞かれました。結局大洋は五位に終わり巨人がV9を達成しましたが、この年大洋は60勝64敗6引分けで首位巨人とは僅か5ゲーム差、巨人と最下位広島とのゲーム差も6.5ゲーム差という混戦でしたが、この状況を招いたのが春先の竹内の快投だった訳です。

 竹内の背番号はこの年前年の32番から16番に変わっています。球団の期待の表れでもあったのでしょう。同時に1年先輩の鵜沢達雄の背番号も59番から18番に変わっています。成東高校時代の鵜沢のスピードは2年後輩の鈴木孝政に匹敵するものでした。







            *西沢道夫は122球の完投で開幕から無傷の4連勝。













                *1973年のカルビーベースボールカード














     *絶好調の名古屋強力打線。









ファインプレー その3


 今月のスポニチの「我が道」はNHKスポーツアナウンサー西田善夫です。西田アナはアイスホッケーの中継がしたくてNHKに入ったそうで初任地はアイスホッケーの聖地・苫小牧に近い室蘭放送局を選んだそうです。バレーボール審判の資格を取得したことからオリンピックのバレーボール中継を多く手がけています。モントリオール女子の「涙なき優勝」も西田アナでした。因みに東京オリンピックの「金メダルポイントです」は鈴木文弥アナです。

 西田アナはプロ野球や高校野球も数多く実況中継しています。本日の「我が道」では「NHKを変えた定岡vs原」の見出しで1974年夏の甲子園準々決勝「鹿児島実業vs東海大相模」戦に触れています。2011年3月15日付けブログ「ファインプレー」で「NHK本放送の中継が途中で天気予報と7時のニュースのため中断し、抗議が殺到したことから翌年から教育テレビでも中継を行うようになるきっかけともなった試合でした。」と書かせていただきました。本日の「我が道」でも7時で中継が終了すると抗議の電話が殺到し、鹿児島局の英断で中継を再開した模様を伝えています。鹿児島局の放送部長は「あの時は辞表覚悟で踏み切った」と振り返ったそうです。何と飛ばした番組は当時の超人気番組であった「連想ゲーム」だったそうです。

 私の記憶では東海大相模の関東地区でも放送が再開されて中村孝選手の大ファインプレーを生中継で見たと思っていたのですが、関東での放送はなくスポーツニュースで見たのかもしれません。もしかしたらラジオに切り替えて西田アナの中継を聞いていたのかもしれません。この試合で西田アナはラジオ中継を担当したと書いています。

 西田アナは「74年夏、東海大相模・鹿児島実業の準々決勝を『思い出の試合に挙げたい』。」と書いています。38年経って、プロのスポーツアナが、この試合を「思い出の試合」としているところが、この試合の全てを物語っています。 原辰徳は、高校1年生だったあの時の気持ちをもう一度思い起こすべきでしょう。




15年 ジャイアンツvsセネタース 1回戦


3月24日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
3 0 0 5 1 0 1 0 0  10 ジャイアンツ 5勝2敗 0.714 スタルヒン
4 0 0 1 0 0 0 0 0   5 セネタース   2勝4敗1分 0.333 野口二郎 金子裕

勝利投手 スタルヒン 3勝1敗
敗戦投手 野口二郎  2勝1敗

二塁打 (ジ)白石、川上、林 (セ)浅岡、佐藤、柳
三塁打 (ジ)千葉
本塁打 (ジ)千葉 1号 (セ)柳 1号

勝利打点 なし

柳鶴震、スタルヒンからグランドスラム

 ジャイアンツは先頭の千葉茂がツースリーから四球で出塁、水原茂が左前打、中島治康が一塁線に送りバントを決めて一死二三塁、川上哲治のストレートの四球は初回ではあるが敬遠の可能性がある。少なくともくさいところを突いていってカウントが悪くなれば歩かせるといったピッチングでしょう。一死満塁となって前の試合から五番に上がった白石敏男が左中間に二塁打を放って2点を先制、六番に上がった吉原正喜は三直に倒れて二死二三塁、平山菊二の遊ゴロをショート柳鶴震がエラーする間に川上が還って3-0とする。

 セネタースは1回裏、先頭の横沢七郎の中飛をセンター林清一が落球、西岡義晴は中飛に倒れるが苅田久徳が左前打を放って一死一二塁、野口二郎の三ゴロをサード水原がエラーして一死満塁、ここで柳が見逃し、見逃し、ボール、ファウル、ファウル、ボール、ボールのツースリーからの8球目をレフトスタンドに叩き込む満塁ホームラン、4-3と逆転に成功する。

 とても野口二郎とスタルヒンの先発とも思えない打撃戦となってきた。

 ジャイアンツは2回もスタルヒンの右前打と千葉の四球で無死一二塁とするがここは無得点。3回は吉原の遊失、平山の中前打で一死一二塁から林が右前打を放つがライト西岡からの返球をファースト浅岡三郎がカットしてバックホーム、「9-3-2」と送球されて二走吉原は本塁タッチアウト。当時は外野からのバックホームはピッチャーが中継するケースが多いが苅田に鍛えられたセネタースは中継プレーでも近代野球の先端を走っているようだ。ピッチャー野口二郎がホームベースカバーに走ったかまでは不明である。

 ジャイアンツは4回、一死後水原が右前打で出塁、中島の右前打で一死一三塁、川上がセンター右奥に二塁打を放って4-4の同点に追い付きなお一死二三塁、白石の遊ゴロを柳がこの日2つ目のタイムリーエラーして5-4と逆転、吉原の中前タイムリーで6-4、林が右中間に二塁打を放って二者還り8-4と突き放す。

 セネタースは4回裏、一死後浅岡が左翼線にヒット、佐藤武夫の左中間二塁打で浅岡が還って5-8とする。

 ジャイアンツは5回、先頭の千葉が右翼ポール際にホームランを放って9-5とする。野口はこの回で降板してライトに回り、6回から二番手として金子裕がマウンドに上がる。

 ジャイアンツは7回、千葉の三塁打と中島の遊ゴロで1点を追加して10-5とリードを広げる。
 スタルヒンは7安打4四球6三振の完投で3勝目をあげる。水原茂の5打数4安打を筆頭にジャイアンツ打線は全員安打で16安打を記録する。


 満塁本塁打を含む4打数3安打の柳鶴震は一方では3失策を記録した。柳は今季75失策のシーズン最多失策記録を作ることとなる。このワースト記録のみが独り歩きして柳鶴震と言えば最多失策ばかりが伝わっているが、スタルヒンから満塁ホームランをかっ飛ばしたことは当ブログがお伝えしないと知られることはない。






             *柳鶴震がスタルヒンから満塁ホームランを放った場面。










     *全員安打を記録したジャイアンツ打線。





2012年6月21日木曜日

原は原でも・・・


 原辰徳の周辺が騒がしい。こういうニュースは読んでいても面白くないので当ブログ的原にまつわる話題をお届けします。題して「相模の原か、法二の原かと謳われたスラッガーにまつわるエトセトラ」


 当時の神奈川で「相模の原か、法二の原か」と言われた左のスラッガー原は法政二高から法政大学では準硬式に進みました。大学2年の東京六大学準硬式野球リーグ戦で対戦した試合、ライトを守っていた筆者は原の打球は左中間と右中間に伸びるので通常は右中間深く守備位置を変えるのですが、初球ファウルのスウィングを見て「引っ張ってくる」と直感し、5メートルライト線に守備位置を変えました。

 次の打球はライト線への弾丸ライナー、左に走って地上スレスレでグラブの先に引っ掛けて捕球することができました。リーグ戦でのファインプレーはダイビングキャッチが1回、回転レシーブキャッチが1回、同期のピッチャーの防御率のタイトルが懸かっていた試合で右中間のライナーに飛びついてえらく感謝されたプレーが1回の3回が見た目にはファインプレーであったかもしれませんが、私の中ではファウルのスウィングから打球を読み切って原の弾丸ライナーを捕ったプレーがNo1でした。

 筆者が実際にグラウンドで対戦した選手の中では最高のスラッガーであったと思います。桐生高校から群馬大学準硬式野球部に進んだ阿久沢とも一度試合をしたことがありますがこの試合では本領を発揮できなかったようで、実際に投げた同期のピッチャーも「大したことないじゃん」と言っていました。原とは2年から4年まで何度も対戦していますし。


 なお、本日のタイトルはパフィーの「渚にまつわるエトセトラ」からのぱくりです。パフィーと野球と何の関係があるのか疑問に思っているようではまだまだ修行が足りません。「これが私の生きる道」は1997年第69回選抜高等学校野球大会 の入場行進曲です。やる気のなさそうなパフィーが何故センバツの行進曲なの?という疑問は多く聞かれましたが、矢張り「これが私の生きる道」のタイトルには勝てなかったようです。





15年 阪急vsタイガース 1回戦


3月24日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 2 0 2 阪急      3勝3敗 0.500 森弘太郎 石田光彦
0 0 1 0 1 3 0 1 X 6 タイガース 3勝3敗 0.500 若林忠志

勝利投手 若林忠志 2勝1敗
敗戦投手 森弘太郎 2勝1敗

二塁打 (阪)山田 (タ)若林3

勝利打点 皆川定之 1

若林忠志3打席連続二塁打

 阪急はセカンドに左投げのフランク山田伝を起用する。

 タイガースは3回、一死後中田金一が左前打で出塁、代走に森国五郎を起用、トップに返りジミー堀尾文人の投ゴロでランナーが入れ替わり、堀尾が二盗を決めてキャッチャー池田久之の悪送球で三進、皆川定之が左翼線に先制タイムリーを放って1-0とする。

 タイガースは5回、先頭の若林忠志が右中間に二塁打、森が送りバントを決めて一死三塁、堀尾の中犠飛で2-0とする。

 タイガースは6回、一死後松木謙治郎の二ゴロをセカンド山田がエラー、カイザー田中義雄の三ゴロをサード黒田健吾は二塁に送球するが二塁ベースカバーに入った山田が連続エラーを犯して一死一二塁、岡田宗芳がワンスリーから四球を選んで一死満塁、富松信彦がストレートの押出し四球を選んで3-0、若林が左中間に二塁打を放って5-0と突き放す。

 阪急は8回、6回途中から森弘太郎をリリーフしている石田光彦がストレートの四球を選んで出塁、トップに返り中島喬は中飛に倒れるが、西村正夫がツースリーから四球を選んで一死一二塁、山田が左中間に走者一掃の二塁打を放って2-5とする。

 タイガースは8回裏、一死後若林が左中間に3打席連続の二塁打、パスボールで若林は三進、森の二ゴロの間に若林が還って6-2とする。

 若林忠志は7安打3四球2三振の完投で2勝目をあげる。打っても3打席連続二塁打を記録した。

 タイガースは初回、先頭の堀尾が二ゴロ、左投げのセカンド山田伝は軽快に捌いて一塁アウト、二死後本堂保次の二ゴロも無難に処理する。2回は左前打の田中を一塁に置いて岡田の二ゴロを二塁ベースカバーのショート上田藤夫に送球してフォースアウト。左投げですから当然二塁には投げ易い。6回には上記のとおり連続エラーを犯した。ランナー一塁でのサードゴロを併殺を焦って落球したものか。山田は結局4補殺、2刺殺、2失策を記録した。






               *若林忠志は7安打完投で2勝目をあげる。












             *若林は打っても3打席連続二塁打を記録する。













            *左投げのフランク山田伝は三番セカンドで出場する。













2012年6月20日水曜日

15年 南海vsイーグルス 2回戦


3月24日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
3 0 0 1 0 0 0 0 1 5 南海     3勝3敗1分 0.500 政野岩夫
0 0 1 0 2 0 0 0 0 3 イーグルス 3勝4敗 0.429 亀田忠

勝利投手 政野岩夫 1勝2敗
敗戦投手 亀田忠   2勝2敗

二塁打 (南)末崎
三塁打 (南)清水

勝利打点 清水秀雄 1


政野岩夫粘りのピッチング

 この試合はスコアカードにカウントも記入されています。南海はエース政野岩夫が先発。一方、イーグルスは2試合連続完封の亀田忠が先発する。

 南海は初回、二死後国久松一の遊ゴロをショート山田潔が一塁に悪送球、吉川義次がワンスリーから四球を選んで二死一二塁、五番ライトに入っている清水秀雄がワンボール後の2球目を左中間に三塁打、2点を先制する。更に山尾年加寿がストレートの四球、末崎隆行の遊ゴロをショート山田がこの回2つ目のエラーする間に清水が還って3-0とする。亀田の連続無失点記録は19イニングスで途切れる。

 イーグルスは3回、一死後山田が中前打で出塁、山田は初球ファウル後ボール3つを選んで5球目をファウル、6球目を中前に叩いたものである。初回の2つのエラーを取り返すために必死なのであろう。トップに返り岡田福吉がワンツー後右翼線にヒット、山田は三塁に走り岡田も二塁を狙うがライト清水からの送球にタッチアウト、清水は当然強肩でしょう。二死三塁から太田健一の三ゴロをサード戸田与三郎がエラーする間に山田が還って1-3とする。

 南海は4回、先頭の末崎隆行がノーツーから中越えに二塁打、政野岩夫はファウル2つから見逃しで三球三振。送りバント失敗の可能性がある。戸田がツースリーから四球を選んで一死一二塁、トップに返り岡村俊昭もワンスリーから四球を選んで一死満塁、上田良夫の二ゴロで三走末崎は本封、国久がストレートの押出し四球を選んで4-1と突き放す。

 イーグルスは5回、山田がツースリーから四球で出塁、トップに返り岡田福吉もワンスリーから四球を選んで一死一二塁、太田健一の二ゴロをセカンド国久がエラーする間に山田が還って2-4、中河美芳の二ゴロの間に二者進塁して二死二三塁、谷義夫の三ゴロをサード戸田がこの日2つ目のタイムリーエラーして3-4と追い上げる。

 南海は9回、一死後上田が中前打で出塁、国久の投ゴロの間に上田は二進、吉川義次が中前にタイムリーを放って3-5、センター寺内からのバックホームの隙を突いて打者走者の吉川は二塁に進むが、亀田忠からの牽制球にタッチアウト。

 イーグルス9回、山田に代わる代打菅利雄が中前打、トップに返り岡田が左前打を放つが後続なく試合終了を告げるサイレンが高々と鳴り響く。

 政野岩夫は6安打6四球3三振3失点の完投で今季初勝利をあげる。3つのタイムリーエラーにもめげずに自責点ゼロの粘りのピッチングであった。清水秀雄は五番ライトに入って先制の三塁打、野口二郎のような活躍ぶりである。

 戸田与三郎が3打席連続四球を選んだ。戸田は通算30打数1安打で引退することとなるが通算13四球を選んでおり、通算打率0割3分3厘に対して通算出塁率は3割2分6厘でIsoD(出塁率-打率)は0.293と言う驚異的な数字を残す「四球選びの名人」であるが、本日は遺憾なく本領を発揮した。

 本日のスコアカードにはカウントも記されているのでカウントまでお伝えいたしましたが、当ブログではストライクを先にコールする旧カウント方式を採用させていただいておりますのでご了承ください。




               *政野岩夫は6安打完投で1勝目をあげる。













            *「四球選びの名人」戸田与三郎が3打席連続四球を選ぶ。











2012年6月19日火曜日

砂塵コールド



 昭和15年3月23日(土)午後0時50分後楽園球場で、木下勇と松元三彦の先発でタイガースvs金鯱2回戦が始まった。

 タイガースは初回、二死後本堂保次がカウントツーツーからの5球目をレフトスタンドにホームラン、松木謙治郎が四球を選び、カイザー田中義雄の二飛をセカンド五味芳夫が落球、岡田宗芳が左前にタイムリーを放って2-0とする。

 金鯱は1回裏、先頭の佐々木常助の右翼ライナーをライト森国五郎が落球、森田実が右前打を放ち無死一二塁、濃人渉の投前送りバントが野選を誘い無死満塁、しかし古谷倉之助は三球三振、野村高義はツースリーから見逃し三振、山本次郎は中飛に倒れる。

 タイガースは2回、先頭の木下は二ゴロ、森がストレートの四球で歩き一死一塁、トップに返りジミー堀尾文人の打席で突風のため砂塵が舞い上がり試合続行不能となり、1時20分、ノーゲームが宣せられた。

 本堂保次の左翼ホームランは幻の本塁打となった。





*砂塵コールドゲームを伝えるスコアカード。




15年 第1節 週間MVP


 昭和15年第1節は名古屋が5勝1敗、ジャイアンツが4勝2敗、阪急が3勝2敗、イーグルスが3勝3敗、南海が2勝3敗1分、セネタースが2勝3敗1分、ライオンが2勝3敗、タイガースが2勝3敗、金鯱が1勝4敗であった。




週間MVP

投手部門

 名古屋 西沢道夫 1

 開幕からの2試合連続完封を含めて今節3勝0敗をマークする。


 イーグルス 亀田忠 1

 今節無安打無得点を含めて2試合連続完封で2勝1敗。



打撃部門

 ジャイアンツ 川上哲治 1

 今節23打数11安打4割7分8厘をマークする。




殊勲賞

 イーグルス 岡田福吉 1

 17日のセネタース戦で決勝打を放つなどの活躍を見せる。


 名古屋 芳賀直一 1

 今節22打数7安打5打点の活躍を見せる。




敢闘賞

 ライオン 鬼頭数雄 1

 今節23打数7安打9打点をマークする。因みに川上は今節6打点にすぎない。


 南海 末崎隆行 1

 今節13打数5安打二塁打2本3割8分5厘をマークする。




技能賞

 ライオン 菊矢吉男 1

 19日のセネタース戦で完投勝利を飾ると共に4打数2安打6打点1本塁打をマークする。











2012年6月18日月曜日

15年 ライオンvsジャイアンツ 1回戦



3月21日 (木) 神戸

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
2 0 0 0 0 0 0 0 0 2 ライオン     2勝3敗 0.400 福士勇
0 0 0 1 0 0 2 0 X 3 ジャイアンツ 4勝2敗 0.667 中尾輝三

勝利投手 中尾輝三 1勝1敗
敗戦投手 福士勇     0勝2敗

二塁打 (ラ)鬼頭、坪内、玉腰 (ジ)吉原
本塁打 (ジ)川上 2号

勝利打点 中島治康 1

川上哲治2試合連続ホーマー

 ジャイアンツの第二試合の先発は中尾輝三。一方、ライオンは福士勇で応戦する。

 ライオンは初回、一死後玉腰年男が中前打、水谷則一が四球を選んで一死一二塁、鬼頭数雄が右中間に二塁打を放って二者還り2点を先制する。

 ライオンは3回、一死後坪内道則が中越えに三塁打、玉腰、水谷が四球を選んで一死満塁、しかし鬼頭は左飛、広田修三は三振に倒れる。ライオンはここで追加得点が奪えなかったのが響いた。

 ジャイアンツは4回、川上哲治が第一試合に続いてライトスタンドにホームランを叩き込んで1-2とする。

 ライオンは5回、一死後玉腰が中越えに二塁打を放つが後続なくし。6回は、広田が左前打、山本尚敏が三塁内野安打、西端利郎が死球を受けて無死満塁とするが、松岡甲二に代わる代打井筒研一は三振、福士も三振、トップに返り坪内は中飛に倒れて無得点。

 ジャイアンツは7回、先頭の中尾が左前打、トップに返り千葉の投前送りバントを福士がエラー、水原が一塁線に送りバントを決めて一死二三塁、中島がライトに決勝の逆転タイムリーを放って3-2として逃げ切る。

 中尾輝三は7安打5四球9三振の力投を見せて完投で今季初勝利を飾る。

 ジャイアンツ藤本定義監督は本日のダブルヘッダーに普段は使わない送りバントを多用してきた。なりふり構わず連勝を狙ってきたようだ。

 本日で関西シリーズが終了して週末から後楽園シリーズが始まる。第1節終了時点で川上は23打数11安打4割7分8厘、鬼頭は23打数7安打3割4厘。






               *中尾輝三は7安打完投で1勝目をあげる。










15年 金鯱vsジャイアンツ 1回戦


3月21日 (木) 神戸

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 3 0 0 0  3  金鯱             1勝4敗 0.200 古谷倉之助
0 0 0 2 2 0 4 3 X 11 ジャイアンツ 3勝2敗 0.600 スタルヒン

勝利投手 スタルヒン    2勝1敗
敗戦投手 古谷倉之助 0勝2敗

二塁打 (金)佐々木 (ジ)スタルヒン
三塁打 (ジ)白石
本塁打 (ジ)川上 1号

勝利打点 白石敏男 1

スタルヒン1安打ピッチング

 ジャイアンツは金鯱、ライオンとの変則ダブルヘッダー。第一試合はスタルヒンが先発する。

 ジャイアンツは4回、先頭の川上哲治が左前打で出塁、平山菊二が三前に送りバントを決めて一死二塁、白石敏男が中越えに三塁打を放って1点を先制、林清一は三振に倒れるが、吉原正喜の三ゴロをサード山本次郎が失する間に白石が還って2-0とする。

 ジャイアンツは5回、先頭の千葉茂が左前打で出塁、水原茂の三ゴロをサード山本次郎が一塁に悪送球、中島治康が右前にタイムリーを放って3-0、川上が四球を選んで無死満塁、平山は浅い中飛に倒れるが、白石の左犠飛で4-0とする。

 金鯱は6回、先頭の佐々木常助が左越えに二塁打、ここから濃人渉、森田実が連続四球、野村高義も押出し四球を選んで1-4、古谷倉之助の中犠飛で2-4、二走森田もタッチアップから三塁に進み、山本の三ゴロをサード水原が一塁に悪送球する間に森田が還って3-4とする。山本には1打点が記録されている。

 ジャイアンツは7回、中島、川上が連続左前打、一死後白石が右前にタイムリー、重盗の際にキャッチャー長島進が悪送球して中島が還り6-3、林の四球で一死一三塁、吉原の三塁内野安打で7-3、スタルヒンが左越えに二塁打を放って8-3とする。

 ジャイアンツは8回、水原、中島が連続四球、川上が右翼スタンドに大ホームランを放って11-3とする。

 金鯱の放ったヒットは佐々木の二塁打1本で、スタルヒンは1安打5四球5三振3失点の完投で2勝目をあげる。

 点差は8点であったがサード山本次郎の2つのエラーが無かったら試合展開は分からなかった。但し、金鯱の4失策に対してジャイアンツは5失策なので金鯱にも付け入る隙はあったはずであるが、スタルヒンがよく踏ん張ったというところでしょう。






               *スタルヒンは1安打3失点の完投で2勝目をあげる。






2012年6月17日日曜日

15年 セネタースvsタイガース 1回戦


3月21日 (木) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 1 0 2 0 0 0 0 3 セネタース 2勝3敗1分 0.400 野口二郎
0 0 0 1 0 0 0 0 1 2 タイガース 2勝3敗 0.400 藤村隆男 三輪八郎

勝利投手 野口二郎 2勝0敗
敗戦投手 藤村隆男 0勝1敗

二塁打 (タ)皆川、松木

勝利打点 横沢七郎 1

藤村隆男ほろ苦いデビュー

 引分けを挟んで3連敗後片目が開いたセネタースは村松長太郎が先発。一方、タイガースはルーキー藤村隆男が先発。

 セネタースは初回、先頭の横沢七郎が四球を選ぶが西岡義晴の二ゴロは「4-6-3」のゲッツー。2回、一死後石井豊がピッチャー強襲ヒットを放つが柳鶴震の二ゴロも「4-6-3」のゲッツー。

 セネタースは3回、先頭の佐藤武夫が四球で出塁、村松も四球を選んで無死一二塁、織辺由三の遊ゴロは「6B-3」で3イニング連続のダブルプレー、二死三塁となってワイルドピッチが飛び出し佐藤が生還して1点を先制する。

 タイガースは4回、先頭の皆川定之が左翼線に二塁打、セネタースはここで村松から浅岡三郎にスイッチ、本堂保次が浅岡の代わりばなを叩いて左前に同点タイムリーを放ち1-1とする。

 セネタースは5回、先頭の柳が中前打で出塁、佐藤が送って一死二塁、浅岡の遊ゴロをショート皆川がエラーして一死一三塁、織辺が左前にタイムリーを放って2-1と勝ち越し、トップに返り横沢が四球を選んで一死満塁、タイガースベンチはここで藤村隆男をあきらめて三輪八郎をリリーフに送る。西岡が中犠飛を打ち上げて4-2、二走織辺は「8-2-4」と転送されてタッチアウト、4回目のダブルプレーが記録される。

 セネタースは6回、二死後石井が四球で出塁すると保手浜明を代走に起用、柳が右前打を放って二死一三塁、しかし佐藤は三ゴロに倒れる。保手浜はそのままライトに入りライトの野口二郎がファーストに回る。

 セネタースは8回、先頭の西岡が左前打で出塁するが苅田久徳の二ゴロは「4-6-3」と転送されてこの日5回目のダブルプレー。しかし野口が中前打、保手浜も中前にプロ入り初安打を放って二死一二塁、柳は右飛に倒れてスリーアウトチェンジ。

 タイガースは9回、先頭の松木が右中間に二塁打、カイザー田中義雄が中前にタイムリーを放って2-3と1点差に迫る。セネタースはここで浅岡をファーストに回してファーストから野口がマウンドに上る。岡田宗芳が投前に送りバントを決めて一死二塁、富松信彦に代わる代打若林忠志三振、三輪に代わる代打木下勇は右飛に倒れて試合終了を告げるサイレンが高々と鳴り響く。

 この試合の勝利投手は野口二郎に記録されている。浅岡三郎は同点の4回途中からリリーフして5回にセネタースが2点をあげて勝ち越してそのまま逃げ切っているので現行基準では浅岡が勝利投手、野口二郎にセーブが記録されるところでしょう。

 藤村隆男は4回3分の1を3安打5四球1三振1暴投3失点で負け投手とほろ苦いデビューとなった。セネタース8回の攻撃でプロ入り初安打を放った保手浜明は藤村隆男の兄・藤村富美男と共に昭和9年夏の甲子園優勝メンバーに名を連ねている。保手浜にとってはこれがプロで記録した唯一のヒットとなった。









              *藤村隆男のほろ苦デビューを伝えるスコアカード。









     *5つの併殺を記録しながらタイガースを破ったセネタース打線。





15年 イーグルスvs阪急 1回戦


3月21日 (木) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
2 0 0 0 0 0 0 0 0 2 イーグルス 3勝3敗 0.500 中河美芳
0 0 3 0 1 0 0 0 X 4 阪急       3勝2敗 0.600 浅野勝三郎 森弘太郎

勝利投手 森弘太郎 2勝0敗
敗戦投手 中河美芳 0勝2敗

二塁打 (阪)伊東
本塁打 (阪)山田 1号

勝利打点 フランク山田伝 1


ヘソ伝逆転スリーラン

 イーグルスは初回、先頭の岡田福吉が左前打で出塁、太田健一が四球を選んで無死一二塁、菅利雄が一塁線に送りバントを決めて一死二三塁、谷義夫の遊ゴロで三走岡田がホームに突っ込みショート上田藤夫のバックホームは間に合わずセーフ、野選となって1点を先制する。続く中河美芳が左前にタイムリーを放ち2-0とする。

 阪急は3回、一死後伊東甚吉が四球を選んで出塁、浅野勝三郎の一ゴロでランナーが入れ替わり、トップに返り中島喬の三ゴロをサード竹内功がエラーして二死一二塁、フランク山田伝が左翼スタンドに逆転スリーランホームランを叩き込んで3-2とする。

 阪急は5回、先頭の日比野武が四球で出塁、伊東の投ゴロでランナーが入れ替わり、浅野の一ゴロの間に伊藤は二進、トップに返り中島が中前にタイムリーを放って4-2とする。

 イーグルスは6回、先頭の太田健一が左前打で出塁、太田が二盗を決めて無死二塁、菅は投ゴロに倒れて一死二塁、阪急ベンチはここで先発の浅野から二番手の森弘太郎にスイッチ、谷の投ゴロに二走太田が飛び出して「1-6-5」でタッチアウト、中河は遊ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。

 森弘太郎は7回~9回を三者凡退に抑えて2勝目をあげる。森は6回途中からリリーフしているので現行ルールであれば先発の浅野勝三郎が勝利投手となるが公式記録では森に勝利投手が記録されている。

 フランク山田伝は通算3060打数で本塁打は10本しか打っていない。昭和18年と21年に年間2本打っているがあとはシーズン1本が最高である。年に1本あるかないかのホームランが決勝の逆転スリーランとなった。珍しく左投げ右打ちで捕球の際ポケットキャッチを見せることから「ヘソ伝」の愛称で親しまれている。






               *ヘソ伝が放った逆転スリーランを伝えるスコアカード。
















2012年6月16日土曜日

15年 名古屋vs南海 1回戦


3月21日 (木) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 2 0 1 0 0 0 3 名古屋 5勝1敗 0.833 西沢道夫
0 0 0 2 0 0 0 0 0 2 南海     2勝3敗1分 0.400 政野岩夫

勝利投手 西沢道夫 3勝0敗
敗戦投手 政野岩夫 0勝2敗

二塁打 (名)芳賀

勝利打点 桝嘉一 1


桝嘉一汚名返上の決勝打

 3回まで名古屋は3安打無得点、南海も3安打無得点で互角の勝負となった。

 名古屋は4回、先頭の芳賀直一が中前打で出塁、西沢道夫の一塁線送りバントが内野安打となって無死一二塁、トップに返り村瀬一三が三前に送りバントを決めて一死二三塁、石田政良がセンター右に先制の2点タイムリーを放って2-0とする。ランナーが一塁の時はバントのしやすい一塁線、ランナーが二塁の時はサードに捕らせるバント、基本に忠実なバント攻撃が効を奏した。

 南海は4回裏、先頭の吉川義次が四球で出塁、五番ファーストに入っている清水秀雄の二ゴロの間に吉川が二進、上田良夫の中前打で一死一三塁、山尾年加寿が右前にタイムリーを放ち、これをライト桝嘉一が後逸する間に一走上田も長駆ホームに還って2-2の同点とする。ここまで全くの互角。

 名古屋は6回、一死後村瀬が四球を選んで出塁、石田も四球を選んで一死一二塁、ここで4回に手痛いミスを犯した桝が中前に決勝タイムリーを放って3-2とする。

 7回以降も両チーム1安打ずつで、結局のところ桝嘉一の意地が名古屋に勝利をもたらしたものである。

 西沢道夫は6安打1四球3三振の完投で開幕3連勝を飾る。

 見逃してはならないプレーが南海4回の攻撃で見られた。上記のとおり山尾の右前打をライト桝嘉一が後逸して一走上田が同点のホームに還った訳であるが、この時、打者走者の山尾は二塁ベースを蹴って三塁に向かったが後逸したボールに追い付いた桝からセカンド中村三郎に返球され、中村が三塁に送球して山尾を刺している。一塁ランナーはリードを取っており打者走者はスタートで遅れるのでランナー一塁で外野を抜けた場合、バックホームを選択するか、バックサードを選択するかの判断は難しい。1点は捨てて刺しやすいバックサードを選択した中村三郎の隠れたファインプレーであった。

 4回に手痛いエラーを犯した桝嘉一が決勝タイムリーを放って汚名を返上した。桝嘉一は昭和6(1931)年に大リーグ選抜チームが来日した時対戦した全日本軍のメンバーである。全日本時代の活躍ぶりを「野球界」昭和7年1月号は「桝君の快打とフリッシュの美技」(慶應野球部・楠見幸信)「全日本チームが二回やった東京のゲームに於いて・・・二回を通じて最もよく打ったのは桝君であった。・・・カニングハムから二本の二塁打・・・グローブから二安打を奪い断然十割の打率・・・グローブから安打を奪った桝君の頭脳の働きには感服させられた」と伝えている。人格者としても知られており「桝君は寡黙で明大最古参の球歴を持ち・・・年数から云えば当然主将たるべくして主将選挙の際、角田君に自己の一票を投じたため角田君が一票の優勢で主将に就任した話は余りに有名な話である」

 伊達正男著「私の昭和野球史」によると昭和6年の全日本チームの選出ではファン投票が行われ、一位は久慈次郎の124,836票、桝嘉一は第二位の120,166票であった。







               *西沢道夫は6安打完投で開幕3連勝。










     *好調を続ける名古屋打線。









     *昭和6年日米野球のメンバー表。桝嘉一は中堅手として出場している。













15年 セネタースvs阪急 1回戦


3月20日 (水) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 計 
0 0 0 0 0 0 0 0 2  2  4 セネタース 1勝3敗1分 0.250 野口二郎
0 0 0 0 0 1 1 0 0  0  2 阪急          2勝2敗 0.500 重松通雄 石田光彦

勝利投手 野口二郎 1勝0敗
敗戦投手 石田光彦 0勝2敗

二塁打 (セ)石井

勝利打点 苅田久徳 1


苅田久徳監督延長10回決勝打

 セネタースは5回まで3安打無得点、阪急も5回まで3安打無得点と序盤戦は互角のスタートとなった。

 阪急は6回、先頭の伊東甚吉が四球を選んで出塁、重松通雄が送って一死二塁、トップに返り西村正夫が左前に先制タイムリーを放って均衡を破る。

 阪急は7回、山下好一の遊ゴロをショート柳鶴震が一塁に悪送球する間に山下は二塁に進む。上田藤夫の右前打で一死一三塁、上田が二盗を決めて一死二三塁、黒田健吾の二塁内野安打で山下好一が還って2-0とリードを広げる。

 6回~8回は無安打に終わったセネタースは9回、一死後野口二郎が右前打で出塁、石井豊は四球を選んで一死一二塁、苅田監督は同点のランナーとなる石井に代走保手浜明を起用する。村松長太郎に代わる代打浅岡三郎の当りはスコアカードには「1-5-3」で一塁アウトとなり走者はそれぞれ進塁と記録されている。セーフティバントをピッチャー重松が三塁に送球したがセーフでサード黒田から一塁に送球されて浅岡はアウトになったか、エンドランが掛かっていて三封出来なかったなどのプレーが考えられる。いずれにしろ二走野口二郎のスタートが素晴らしかったのであろう。と言うことで二死二三塁、ここで柳が右前に起死回生の同点タイムリーを放って土壇場で2-2に追い付く。

 セネタースはファースト石井の代走に出た保手浜がライトに入り、ライトの西岡がセンターに回り、センター村松の代打に出た浅岡がファーストに入る。

 阪急の9回裏の攻撃はフランク山田伝二ゴロ、新富卯三郎遊ゴロ、山下好一右飛に終わって延長戦に突入する。阪急は10回から先発の重松に代えて石田光彦をマウンドに送り込む。

 セネタースは10回、先頭の織辺由三が四球を選んで出塁、トップに返り横沢七郎が送って一死二塁、西岡義晴は三ゴロに倒れて二死二塁、ここで苅田が中前に決勝タイムリーを放って3-0、苅田がバックホームの間に二塁に走るとセンターフランク山田伝からの返球をカットしたピッチャー石田が二塁に送球、これが左中間塀際まで達する大暴投となる間に苅田も生還して4-2とする。更に野口が中前打、保手浜が四球を選ぶが浅岡は左飛に倒れる。

 阪急は10回裏、先頭の上田は一ゴロに倒れるが黒田が左前打、池田久之に代わる代打浅野勝三郎が右前打を放って一死一三塁のチャンスを迎えるが、伊東に代わる代打田中幸男は三振、石田は投ゴロに倒れてゲームセットを告げるサイレンが高々と鳴り響く。

 17日の南海戦でも延長11回を完投して3対3で引き分けた野口二郎はこの日も延長10回を完投して8安打2四球7三振で今季初勝利をあげる。

 7回に2点目につながるエラーを犯した柳鶴震は9回に同点タイムリーを放って名誉を挽回した。柳は今季75個の年間最多失策記録を作ることとなるが、苅田久徳監督は強肩強打の柳をショートに使い続けている。

 その9回に代走に起用されて同点のホームを踏んだ保手浜明は呉港中学時代、昭和9年に藤村富美男と共に第20回全国中等学校優勝野球大会(夏の甲子園)に出場して優勝している。保手浜は今季5試合に出場して引退することとなるが、プロでの通算記録は3打数1安打1得点1四球であり、本日の同点のホームインがプロで記録した唯一の得点で、延長10回に回ってきた打席で記録した四球も唯一のものとなった。





               *野口二郎は延長10回を完投して1勝目をあげる。










     *延長10回の激戦の末阪急を破ったセネタース打線。