2012年3月22日木曜日

へなちょこフォーク


 花巻東の大谷君に当ブログからの忠告として、あのへなちょこフォークは投げない方がいい。ピッチャーとしてやっていくつもりならもう少しスケールの大きなピッチングを心掛けるべきでしょう。

 高校生でフォークを投げていたのは何も大谷が最初では無い。小山高校の黒田光弘は甲子園でもフォークを投げて76年センバツでは準優勝しています。優勝した崇徳の黒田真二とは別人です。早稲田ではピッチャーで四番を打ったりしましたが8年前に盗撮で捕まっています。

 2000年の夏に準優勝した東海大浦安の浜名翔もフォークを投げていましたが、彼の場合はシュートが素晴らしかったからフォークも活きた。但しフォークの投げ過ぎで握力がなくなり決勝では智弁和歌山に打ち込まれました。浜名は大学以降消息を聞きません(ネット上の噂はありますが)。

 浜名の場合はピッチャーとしての力があった訳ではないのでフォークを投げることに文句をつけるつもりはありません。小山の黒田も、花巻東の大谷も、浜名と違って有り余る素質を持ちながら高校生の分際でフォークを投げることが許せないので敢えて書かせていただいております。


 あの程度のフォークでも地方の練習試合では通用するでしょう。しかし、中央の舞台で通用するほど世の中甘くないことを本日悟ったならば、今後の糧とすることができるはずです。スライダーが甘く入るのも、フォークを投げている影響であると思います。

 2011年8月17日付けブログ「習志野快進撃」でも金沢高校・釜田投手について「釜田のカットボールとスライダーはコーナーに決まれば高校生では打てません。まだ抜けるボールもあるので何とか2点取ることができました。但し、3回に一死一塁で宮内に投げたフォークを左前に運ばれたのは悔いが残る1球だったでしょう。この後先制点を取られました。近年の高校野球では投げる球種も増えて器用にこなせるピッチャーも多くなっていますが、練習試合では通用しても、本番の一番肝心なところで失投となった場合、間違いなく悔いが残るということも考えるべきでしょう。あれ以降フォークは投げなかったので釜田にも分かっているはずですが。」と書かせていただいております。

 これは指導者の問題でもあります。地方予選を勝ち抜かなければ甲子園に出られないので地方のレベルではフォークを投げておいた方が勝てる確率が高くなるのは当り前ですが、本人の将来を考えるべきでしょう。

 甲子園を生徒を集める道具に利用しなければならない事情も分からない訳ではありません。高校時代に燃焼し尽くすことを否定するつもりもありません。しかし敢えて千葉県の例で説明すると、甲子園優勝投手の銚子商業の土屋は高校時代に完成し過ぎてプロでは通用せず、習志野の小川(現・東京ヤクルト監督)は甲子園で肩を壊して打者転向を余儀なくされています。銚子商業の根本は土屋以上のピッチャーであったと思いますが矢張り甲子園で燃焼し尽くしてプロでは通用しませんでした。一方、根本に敗れて甲子園に出られなかった成東高校の鈴木孝政はプロで大成功を収めています。

 鈴木孝政は高校時代はフォークは投げていなかったはずです。プロ入り2年目に出て来た時、快速球と共に鋭いフォークで王、長嶋を連続三振させました。当時の解説でもプロに入ってからフォークを覚えたと聞いたと記憶しています。フォークを投げるのはプロに行ってからでも十分間に合うことを証明しています。



2 件のコメント:

  1. 小山高校の黒田光弘投手が甲子園で原、津末をキリキリまいさせた試合が忘れられません!プロにいかなかったんだ。早稲田からノンプロに行ったんだね、

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    1. 70年代の高校野球は人気がありますね。
      黒田(小山)は早大では四番でピッチャーの二刀流、リッカーに行きました。ふてぶてしいピッチングが印象的でしたね。
      私は同学年で、この世代ではサッシー酒井、黒田(崇徳)がヤクルトでは大成せず。酒井が中継ぎで投げているのは見るに忍びなかったですね。鉾田一高の戸田もコントロールに難があってプロには行きませんでした。
      プロで成功したのは久保寺、大石の静商コンビ、弓岡、山崎、原、宇野の内野手(山崎は怪我の後は外野手)、外野では立花と、野手ばかりでした。

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