2011年10月18日火曜日

14年 イーグルスvsライオン 4回戦


5月25日 (木) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9   計
0 0 0 0 0 0 0 0 1   1 イーグルス 13勝16敗1分 0.448 亀田忠
0 0 0 0 0 0 0 0 0   0 ライオン     13勝12敗4分 0.520 福士勇


勝利投手 亀田忠 6勝6敗
敗戦投手 福士勇 4勝4敗


二塁打 (イ)辻、杉田屋

高須清デビュー


 昭和14年5月23日付け読売新聞は「高須、イ軍へ入る」の見出しで高須清のイーグルス入りを伝えている。高須は松山商業で主将を務め、早稲田大学では昭和10年春の首位打者、早稲田でも主将を務めている。大日本麦酒に入社したが、同社を経営する高橋龍太郎がオーナーであるイーグルスに、大日本麦酒に籍を置きながらの出向扱いのようである。河野安通志、森茂雄監督と早稲田閥のイーグルスにはタイガースから小島利男も移籍してきた。因みに早稲田で1年先輩となる小島とは仲が良く、小島の恋人であった松竹少女歌劇の小倉みね子の楽屋に小島と高須が通っていたエピソードが小島千鶴子(後に小島と結婚した小倉みね子)著「小島利男と私」に書かれている。同著はベースボール・マガジン社から刊行されていますが、知る人は少ないでしょう。更に因みに高須は6月3、4日に行われる新人東西対抗にいきなり東軍の主将として登場することとなる。西軍の主将は鶴岡一人である。

 その高須清が三番セカンドで出場したこの試合はイーグルス・亀田忠、ライオン・福士勇のいつ果てるともしれない投げ合いが続き8回までライオンは2安打、イーグルスは3安打で両チーム無得点。

 イーグルスは9回、二死後杉田屋守が左中間に二塁打、代走に清家忠太郎が起用される。伏見五郎の遊ゴロをショート瀬井清がエラーして二死一三塁、辻信夫の三ゴロをサード中野隆雄が一塁に低投する間に代走清家が還って決勝の1点をあげる。

 9回もノーヒットに抑えた亀田忠は2安打3四球2三振の完封で6勝目をあげる。福士勇も4安打2四球1死球3三振1失点、もちろん自責点は0の好投であった。


 注目の高須清の第一打席は一死一塁に四球の太田健一を置いてファーストライナー、太田が飛び出しておりゲッツーとなった。第二打席で中前にプロ入り初安打を放ち、4打数1安打1三振とまずますのデビューであった。

 第三試合に予定されていたセネタースvs阪急戦は3回、雨天コールドとなった。



            *高須清は三番セカンドでデビュー。





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