2011年10月5日水曜日

14年 名古屋vs金鯱 3回戦


5月20日 (土) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 1 0 0 0 0 0 0 0 1 名古屋 9勝17敗2分 0.346 繁里栄 中村三郎
1 1 0 0 0 1 1 0 X 4 金鯱    7勝21敗       0.250 大宮清


勝利投手 大宮清 1勝4敗
敗戦投手 繁里栄 2勝6敗


二塁打 (金)山本

金鯱、十六連敗を免れる


 名古屋は4月23日以来の復帰となる桝嘉一が三番に入る。

 金鯱は初回、先頭の佐々木常助が三遊間に内野安打、すかさず二盗を決めて無死二塁、五味芳夫が右前にタイムリーを放って1点を先制する。

 名古屋は2回、加藤正二、服部受弘が連続四球、芳賀直一が一塁前に送りバントを決めて一死二三塁、繁里栄の二ゴロの間に加藤が還って1-1の同点とする。

 金鯱は2回裏、二死後大宮清の二ゴロをセカンド村瀬一三がエラー、ワイルドピッチで二進すると山本次郎の右翼線タイムリーで大宮がホームに還り2-1とする。

 金鯱は6回、先頭の野村高義が中前打で出塁、名古屋はここで先発の繁里をあきらめて中村三郎をマウンドに送る。古谷が一塁線にバントヒット、小林茂太の捕前ゴロは「2-5」と渡って野村が三封されて一死一二塁。これは送りバント失敗かもしれませんが、無死一二塁で小林茂太に送りバントは無いのではないか。この前の古谷のバントヒットにしても送りバントが内野安打になったのかもしれないので金鯱はかなり慎重な作戦をとっているのか。というより十五連敗で攻撃が委縮しているのかもしれない。瀬井清の遊ゴロをショート芳賀が失して一死満塁、長島進の左犠飛で3-1とする。

 金鯱は7回、先頭の山本が左翼線に二塁打、佐々木が送って一死三塁、五味が四球を選んで一死一三塁、野村のこの日3安打目となる中前打がタイムリーとなって4-1とする。

 金鯱先発の大宮清は初回、一死後村瀬、桝嘉一に連打を浴びるが大沢清の投ゴロで「1-6-3」のダブルプレーに切り抜ける。2回は連続四球から1点を奪われ、3回も先頭の石田政良に左前打を許すなど立ち上がりはいつ崩れてもおかしくなかったが、4回以降名古屋打線を2安打無失点に抑え切り、結局5安打3四球4三振の完投でプロ入り初勝利を飾る。

 金鯱は4月11日以来の勝利で十六連敗を免れた。当っている野村高義が4打数3安打1打点の活躍を見せる。目立たないが九番山本次郎は四試合連続安打で上位打線へのつなぎ役を果たしている。


 山本次郎は浅野中学(当時は浅野綜合中学。)出身で今年金鯱に入団した。昭和12年、13年と二年連続夏の甲子園に出場した浅野中学野球部全盛期の中心選手である。昭和12年は2回戦で川上哲治・吉原正喜のバッテリーの熊本工業に敗れたが山本次郎は三番サードで出場している。昭和13年はベストエイトに進んでおり、この年も山本次郎が三番サードで出場している。

  準々決勝では平安中学に0対1で敗れたが、雨の中の試合でセンターが足を滑らせて1点を失い惜敗したものである。後輩には飯田徳治(仏の徳さん)がおり、飯田は昭和22年に南海に入団するので当ブログでも戦後編で登場することとなります。


 浅野中学出身者ではフジテレビ競馬中継のアナウンサーとして有名な堺正幸アナウンサーがいます。堺アナウンサーは実は当ブログに一度登場しています。2011年1月21日付けブログ「アテ馬」で、コスモドリームをサンキョウセッツと間違えて放送した有名な話を掲載させていただきました。この時は名アナウンサーとして名高い堺アナウンサーの名誉のため「Sアナウンサー」と表記していますが、Wikipediaにまで掲載されている程の有名なエピソードですのでイニシャルで表示してもあまり意味がありません。本日、と言っても日付けは変わると思いますが、この時以来久々に競馬ネタを掲載させていただきます。







*大宮清が完投でプロ入り初勝利を飾り、金鯱は十六連敗をまぬかれる。






2 件のコメント:

  1. shokuyakyu さま 貴重な資料ありがとうございます。
    名古屋金鯱軍に所属していた 大宮清の 孫の大宮と申します

    祖母も他界して、一人息子の父も他界して、残すは孫である私と弟の構図です

    今年ようやく 祖父清の没年と戦死場所が判明して、ウィキペディアに加筆修正できました

    そして、このような貴重な資料も目にすることができて、大変うれしく思っております
    これを印字して、祖父母、父親の仏壇に飾ります。

    本当に ありがとうございました。

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    1. 大宮様

      ご連絡ありがとうございます。当時の記録はほとんど残されておりませんが、偶然公式スコアカードを所有する機会に恵まれたため、当時の試合経過をアップさせていただいております。他にもご遺族の方と連絡させていただいております。できる範囲でご協力させていただきますのでよろしくお願いいたします。
      さて、大宮清選手のプロ入り初登板初先発は昭和14年4月25日の阪急2回戦ですが、プロ入り初出場はその前日、4月24日の後楽園球場で行われたジャイアンツ3回戦で、9回裏に代打で登場して一塁に内野安打、初打席初ヒットを記録しています。
      「鉄道省出身」は何か正式な資料をお持ちでしょうか。当時の社会人チームの在籍については数多く誤って伝えられています。昭和14年4月11日付け読売新聞の記事によると「大宮投手金鯱へ」の見出しで「中央大学で好投強打を謳われていた大宮清投手は金鯱軍に入り日本野球聯盟から十日登録発表された 背番号5 投手 大宮清 中大出 24歳」と書かれており「鉄道省」には触れられていません。「24歳」は数え年でしょう。

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