2011年9月3日土曜日

14年 名古屋vs南海 3回戦

4月23日 (日) 堺大浜


1 2 3 4 5 6 7  計 (7回コールド)
0 2 0 1 0 0 0  3 名古屋 7勝10敗2分 0.412 繁里栄
0 0 0 0 0 1 0  1 南海     5勝14敗1分 0.263 宮口美吉 平野正太郎


勝利投手 繁里栄     2勝1敗
敗戦投手 宮口美吉 1勝3敗


本塁打 鶴岡 1号


超人的の連投


 名古屋vs南海ダブルヘッダーの第二試合。

 南海は宮口美吉が先発。一方、名古屋は1時15分に終了した第一試合に完封した繁里栄が43分後の第二試合にも連投。雨模様の中、1時58分、二出川延明プレートアンパイヤの右手が上がりプレイボール。

 名古屋は初回、先頭の石田政良がセーフティバントを決めて出塁すると村瀬一三が三前に送りバントを決めて一死二塁、桝嘉一四球、加藤正二二飛で二死一二塁、ここで石田が三盗を試みるがキャッチャー吉川義次からの送球にタッチアウト。

 南海は初回、先頭の平井猪三郎が四球で出塁すると国久松一が投前に送りバントを決めて一死二塁、鶴岡一人四球で一死一二塁、岡村俊昭の二ゴロが「4-6-3」と渡ってダブルプレー。

 名古屋は2回、先頭の大沢清が右前打で出塁、中村三郎四球、服部受弘が投前に送りバントを決めて一死二三塁、芳賀直一が中前にタイムリーを放って二者生還、2点を先制する。雨模様で先取点の欲しい両軍共に走者を送りバントで進めてきたが名古屋が先取点を奪った。

 名古屋は4回、先頭の加藤が右前打で出塁、大沢が珍しく引っ張って左前打で続き無死一二塁、南海ベンチはここで宮口美吉をあきらめて平野正太郎をリリーフに送る。中村は左飛に倒れるが、服部が中前にタイムリーを放って3-0と突き放す。

 南海は6回、この回先頭の鶴岡一人が左翼へプロ入り初ホームラン。翌日の読売新聞によると「胸の高さの直球を左翼塀越しに本塁打」とのこと、堺大浜球場に外野スタンドがあったかどうかは不明。

 7回を終了して雨風が強くなりコールドゲームが宣せられる。予定されていた第三試合は中止となった。


 繁里栄は第一試合に続く完投勝利、7回を投げて6安打2四球2三振であった。翌日の読売新聞は「繁里超人的の連投」の大見出しで歴史的快挙を報じている。ダブルヘッダーに2勝するピッチャーはこの後にも出現するが、二試合連続完投勝利は2011年現在でも繁里栄唯一人である。

 竹中半平著「背番号への愛着」によると「後に彼と文通するようになっての第一信に次のような文句がある。『飯より好きな野球、つたない野球ではあったが二ヶ年(半?)間名古屋軍にいて九州遠征を目前に控えて倒れた事は本当に残念でしたが、而も最後の年、四月に大阪の大浜(堺)球場の公式リーグ二日間に三連投二勝を得て、読売新聞に大きく出た時の事が一番の思い出となりました。』」。同著によると投げ過ぎのため腰を痛めて手術をし、おかげで兵役を免れて戦後は県庁に勤務する傍ら母校・佐伯鶴城高校のコーチも務めている。

 この日の名古屋守備陣には好プレーが続出した。繁里の奮闘がナインを衝き動かしたのであろう。




               *第一試合には4安打完封





               *第二試合にも完投勝利






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