2011年8月12日金曜日

14年 セネタースvs名古屋 2回戦

4月10日 (月) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 1 2 0 4 0 0 0 0 7 セネタース 7勝4敗       0.636 浅岡三郎
0 0 0 0 0 0 1 0 2 3 名古屋      4勝6敗1分 0.400 松尾幸造 西沢道夫


勝利投手 浅岡三郎 2勝0敗
敗戦投手 松尾幸造 1勝4敗


二塁打 (セ)北浦 (名)中村


北浦三男、5打数4安打


 セネタースは五番・ファーストに野口二郎を起用、野口の二刀流人生の始まりである。

 セネタースは2回、この回先頭の野口二郎が左前打で出塁、浅岡三郎の左前打で(右前打の間違いではありません)野口は三塁に進み無死一三塁、柳鶴震の二ゴロで浅岡が二封される間に野口が還って1点を先制する。青木幸造三振時に柳が二盗に失敗、三振ゲッツーでこの回は1点止まり。

 セネタースは3回、先頭の横沢七郎が四球で出塁、トップに返り苅田久徳は二飛に倒れるが(苅田のことだからプッシュバントを試みたのかもしれない)森口次郎が中前打、北浦三男の右翼線二塁打で2-0、尾茂田叶が中犠飛を打ち上げて3-0とする。

 セネタースは5回、一死後森口がショートへの内野安打、北浦は左翼線打、尾茂田右前打で一死満塁、野口が押出し四球を選んで4-0、浅岡が中前に2点タイムリーを放ち6-0としてなお一死一三塁、名古屋は先発松尾幸造を下げてリリーフに西沢道夫を送る。柳が中犠飛を打ち上げて7-0とする。

 名古屋は初回、村瀬一三が盗塁失敗、2回は大沢清が併殺打、セネタース先発の浅岡三郎はこれで波に乗り3回~6回はノーヒットピッチング。名古屋は7回、村瀬四球、桝嘉一中前打から大沢の中前タイムリーで1点を返す。更に9回、四球とエラーで一死一三塁として天野竹一の二ゴロの間に1点、中村三郎の右翼線二塁打で1点返して3-7とするがここまで。

 浅岡三郎は5安打3四球4三振の完投で2勝目。本日のような展開になると浅岡の巧投は生きてくる。古谷倉之助がこのところバッティングに専念しているので「のらりくらり投法」は浅岡のものとなってきた。北浦三男が5打数4安打の活躍を見せて今季通算41打数13安打、打率3割1分7厘で打撃ベストテンに第6位に顔を出した。

 野口二郎著「私の昭和激動の日々」(野口の自伝)によると、「以前から松山商から明治を出て外野ををやっていた尾茂田叶さんから『野口、お前いいバッティングしてるな、打てるぞ』と、ちょいちょい声をかけらていた。尾茂田さんが、わたしのバッティングをほめていたことは、苅田さんの耳にも入っていたと思う。いよいよ公式戦が始まると、投手とバッターの両方に使われるようになった。」とのこと。北浦三男については「・・・そんな苦労してやった練習に、よく面倒を見てくれたのが、浪商から関大を出て入団していた北浦三男さんというキャッチャーである。非常なファイターで、ピッチングの球を受けて、いろいろアドバイスしてくれた。」とのことである。


 セネタース初回の攻撃、一死後森口次郎が四球で出塁、北浦の二塁内野安打で森口が三塁に進み北浦が二盗を決めて一死二三塁の場面で、尾茂田叶が遊ゴロ、ショート柳鶴震からファースト野口二郎に送球されてツーアウト、この時三走森口はホームを狙うが「(3)2・5-3」でスリーアウトチェンジと記録されており、更に「雑記欄」には「併殺と記録してあるもとらず」と記載されている。流れの中で森口が三本間に挟まれてアウトになったのであれば併殺となり、実際最初に記録した人(委託を受けた新聞記者か見習い記録員時代の山内以九士氏かもしれない)は併殺と記録していたが、恐らく広瀬謙三公式記録員が流れの中のプレーでは無く、ショートゴロでツーアウトとなったところで一旦プレーが切れて、森口がホームに向かったところからプレーが再開したと判断したのであろう。



          *野口二郎が五番・ファーストで先発出場。


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