2011年7月19日火曜日

14年 阪急vsジャイアンツ 1回戦

3月21日 (火) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 阪急             1勝2敗 0.333 重松通雄
0 0 0 0 0 0 0 1 X  1 ジャイアンツ 3勝0敗 1.000 スタルヒン


勝利投手 スタルヒン 2勝0敗
敗戦投手 重松通雄  0勝1敗


二塁打 (ジ)吉原

重松通雄、一球に泣く


 阪急のチャンスは5回だけであった。重松通雄、下村豊が連続三振に倒れるが田中幸雄が四球を選んで出塁、伊東甚吉が左前打、トップに返り西村正夫四球で二死満塁、しかしフランク山田伝はツースリーから三振に倒れる。

 阪急は初回三者凡退、2回は二死後重松通雄がキャッチャー吉原正喜の打撃妨害に生きるが下村は左飛に倒れる。3回は先頭の田中幸雄が中前打で出塁するが後続無く4回は三者凡退。6回以降は8回まで三者凡退、9回は一死後山下好一が四球を選ぶが後続無く、結局スタルヒンの前に2安打に抑え込まれた。

 ジャイアンツは8回、先頭の呉波に代わる代打ルーキー中尾輝三が三塁に内野安打、水原茂が送って白石敏男の二ゴロの間に 中尾は三進、重松は中島治康に対してストライク、ボール、ファウル、ファウル、ボールからの6球目を痛恨のワイルドピッチ、中尾が生還して1-0で辛勝する。

 スタルヒンは2安打3四球10三振の完封で今季2勝目をあげる。

 重松通雄は8回を完投して5安打3四球6三振の好投を見せたが中島に投じた一球に泣いた。


 9回代打で出場して内野安打を放ち決勝のホームを踏んだ中尾輝三は三重県宇治山田市(現・伊勢市)の出で京都商業出身と澤村栄治と同じ出自をたどる。ということで3月14日付け読売新聞の「開幕迫る職業野球」のジャイアンツ欄では「“澤村二世”左腕の中尾」の見出しで伝えている。球史では「沢村二世」と言われた投手は数多くいますが恐らく「元祖・沢村二世」は中尾輝三でしょう。因みに「碩志」に改名するのは後のこととなります。

 歴代沢村二世の中で最も沢村二世らしかった投手と言えば、京都商業を1981年夏の甲子園準優勝に導いた井口和人投手だったのではないでしょうか。小柄でしたがキレの良い快速球と縦に割れるカーブが特徴でした。まさに澤村栄治の代名詞である「懸河のドロップ」という感じでした。この大会では名電高の工藤がノーヒット・ノーランをやってベスト四に進出、名電高を破って決勝に進出した金村の報徳が井口の京都商業を破って優勝しました。金村は当時からバッティングで目立っていました。井口投手はプロには行かず、同志社大学時代は関西学生連盟で83年秋に優勝、社会人野球ではトヨタに入社して補強選手として都市対抗にも出場するなどの活躍をされているようです。

0 件のコメント:

コメントを投稿