2011年7月13日水曜日

14年 南海vsセネタース 1回戦

3月19日 (日) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 1 0 0 0 0 1 0 3 南海     0勝2敗 0.000 天川清三郎 宮口美吉
2 1 3 0 0 0 0 0 X 6 セネタース 1勝0敗 1.000 浅岡三郎


勝利投手 浅岡三郎 1勝0敗
敗戦投手 天川清三郎 0勝1敗

二塁打 (南)国久

 
 南海は初回、先頭の小林悟楼の遊ゴロをショート桐生中学出身の新人・柳鶴震がエラー。柳は翌昭和14年に年間75失策の日本記録を樹立して現在でも日本記録にその名を残しているが、プロ入り初打球をエラーしている。栗生信夫が送って中村金次の左前タイムリーで1点を先制する。

 セネタースは1回裏、先頭の苅田久徳が四球で出塁、家村相太郎左前打、北浦三男が送って一死二三塁、尾茂田叶の一ゴロで三走苅田がホームを突くがタッチアウト、しかし遠藤忠二郎の遊ゴロをショート小林がエラーする間に家村が還って1-1の同点、浅岡三郎が中前にタイムリーを放って2-1と逆転に成功する。

 セネタースは2回、柳がプロ入り初打席で中前にヒット、しかし横沢七郎の二ゴロで4-6-3のゲッツー。チャンスは潰えたかに見えたが苅田が四球を選んで二盗に成功、「元祖・意外性の男」家村が左前にタイムリーを放って3-1とする。

 南海は3回、先頭の平井猪三郎が中前打で出塁、小林の二ゴロの間に二進、栗生の三塁内野安打、中村金次四球で一死満塁、国久松一が押出し四球を選んで2-3と追い上げる。

 セネタースは3回裏、先頭の尾茂田が左前打で出塁すると南海ベンチは先発天川清三郎をあきらめて宮口美吉をマウンドに送る。遠藤四球、浅岡の三前送りバントは内野安打となって無死満塁、続く青木幸造の当りは三塁ライナー、サード平井は二走浅岡のリードが大きいと見るや二塁に転送するがこれが悪送球となる間に三走尾茂田が還って4-2、柳の中犠飛で遠藤が還って5-2、横沢が右前にタイムリーを放って6-2と突き放す。

 浅岡は4回~7回まで南海打線を1安打無得点に封じ込む。南海は8回、一死後国久が左中間に二塁打、五番岡村俊昭が左翼線にタイムリー放って3-6とするがここまで。浅岡三郎は9安打3四球3三振の完投で今季初勝利を飾る。


 プロ入り初登板の天川清三郎は平安中学出身、昨年夏の甲子園優勝投手である。この頃は甲子園全盛期と言っても良く、この年のセンバツでは中京商業の野口二郎が全試合完封で優勝。その中京は愛知予選で東邦商業に敗れ、東邦は東海大会で岐阜商業に敗れた。平安中学は甲子園1回戦でいきなり優勝候補嶋清一擁する海草中学(翌昭和14年には嶋が全試合完封、準決勝・決勝連続ノーヒットノーランで優勝)と当たり6対5で撃破すると決勝まで進出、岐阜商業も準決勝で別当薫(慶大、タイガース、毎日の大スター)擁する甲陽中学を破って決勝に進出。岐阜は野村武史(都市対抗では橋戸賞を獲得、昭和25年の第1回日本シリーズでは毎日の投手として3勝をあげる。)と大島信雄(後の慶大のエース、昭和25年松竹に入団して20勝をあげて新人王、第1回日本シリーズの開幕投手としてシリーズ第1球を投ずる。)を擁する強豪であったが天川が完投して2対1で岐阜商業を破り平安中学に甲子園初優勝をもたらした。優勝メンバーには昭和26年に隻椀監督として平安を甲子園優勝に導いた木村進一(後の西村進一)が名を連ねている。木村は右手を失っただけで戦争から戻ったが、天川は戦死している。

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