2011年7月4日月曜日

13年 日本選手権 2回戦

11月27日 (日) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
2 1 0 0 1 0 0 0 0 4 ジャイアンツ 0勝2敗 0.000 スタルヒン 前川八郎
2 0 1 1 0 1 0 0 X 5 タイガース    2勝0敗 1.000 若林忠志 御園生崇男


勝利投手 御園生崇男 1勝0敗
敗戦投手 スタルヒン   0勝2敗


二塁打 (ジ)中島、三原 (タ)山口、松木
三塁打 (ジ)白石 (タ)伊賀上

タイガース連勝


 第二戦にスタルヒンが連投、タイガースは若林忠志が先発。第一戦の先発は「予想通りスタルヒン、西村幸生の先発」と書かせていただきましたがこれは後付けでは無く、11月25日付け読売新聞にも「勿論1回戦はスタルヒン西村の対時となることは当然である。」と記述されています。更に第二戦の先発にまで言及しており「タ軍の若林に対して巨人軍が水原、川上或は楠、前川らのいずれを先発せしめるか、この用兵には津々(しんしん)たる妙味が潜んでいる。」としています。スタルヒンの連投は読売新聞も想定外であったようです。

 ジャイアンツは初回、先頭の三原脩が左前打で出塁、水原茂右前打と1回戦では共にノーヒットだった一二番コンビがチャンスメイク。バント嫌いの藤本定義監督もここは千葉茂に送らせて一死二三塁。但し千葉が自らの判断でバントした可能性もあります。ここで昨日5打数無安打とブレーキになった中島治康が右中間を抜いて二者還り2-0とする。

 タイガースは1回裏、先頭の松木謙治郎が四球で出塁、本堂の捕邪飛はバント失敗であろう。山口政信が右中間に二塁打を放って一死二三塁、この日も四番に座る藤村富美男が右前に2点タイムリーを放って2-2の同点とする。

 ジャイアンツは2回、この回先頭の白石敏男が右中間に三塁打、吉原正喜四球、スタルヒン一邪飛で一死一三塁、トップに返り三原が中前にタイムリーを放って3-2とする。

 タイガースは3回、一死後本堂が中前打で出塁、山口の三ゴロで本堂は二進、藤村が又も左前にタイムリーを放って3-3の同点に追い付く。同点に追い付いたところでタイガースベンチは若林から二番手御園生崇男にスイッチ。11月25日付け読売新聞に掲載された「選手権展望」では「御園生は病魔に捉われて出場を危ぶまれている」とのことであるが状態は如何に。4回のジャイアンツの攻撃は白石三ゴロ、吉原三ゴロ、スタルヒンの三ゴロをサード伊賀上がエラーするが三原は三振。病気どころか非常に球はキレている。

 タイガースは4回、この回先頭の伊賀上良平が中越えに三塁打、ジャイアンツベンチはここでスタルヒンをあきらめて前川八郎をリリーフに送る。カイザー田中義雄は三ゴロに倒れるが御園生が四球を選んで一死一三塁、皆川定之の三ゴロ併殺崩れの間に伊賀上が還って4-3とこの試合初めてリードを奪う。

 ジャイアンツは5回、この回先頭の水原が四球で出塁して二盗に成功、千葉の一ゴロで水原は三進、中島が左前に同点タイムリーを放って4-4とする。ここまで両チームの四番がタイムリー2本ずつで共に3打点。

 タイガースは6回、この回先頭の御園生が四球で出塁、皆川が送って松木の二ゴロで御園生は三進、本堂が左前に決勝タイムリーを放って5-4としてタイガースが連勝する。

 御園生崇男は6回以降三原の二塁打1本に抑える快投。打っても三打席連続四球を選んで決勝のホームを踏む。病気説は何だったのか。ジャイアンツはスタルヒンの連投で連敗して後が無くなった。後楽園に戻って捲土重来を期す。


 困ったことが一つ。「日本プロ野球記録大全集」と照合しながら当ブログを読んでいただいている方にはもうお分かりでしょうが、「日本プロ野球記録大全集」ではこの試合の敗戦投手が前川八郎となっています。「日本プロ野球記録大百科」には間違いが多くあり、「日本プロ野球記録大全集」と「日本プロ野球記録大百科」に齟齬がある場合は大抵「日本プロ野球記録大全集」が正しいのですが(価格が違うので当然か)、同著にはこの日のジャイアンツの敗戦投手が「前川八郎」と記載されています。当ブログは公式スコアブックに基づきお伝えしておりますので、下の写真のとおりスタルヒンを敗戦投手とさせていただいております。但し私が解読しているスコアブックはオリジナルから書き写されたものであることはほぼ間違いなく、転記ミスの可能性もありますのでご注意ください。

 因みに松木謙治郎著「タイガースのおいたち」でもこの試合の敗戦投手は前川八郎となっています。試合経過からもお分かりのとおり、現行ルールに照らせば前川が敗戦投手となります。松木氏が同著を書く時に、コミッショナー事務局の資料を参考にしていることは容易に想像できます。戦後山内以九士氏が中心となって戦前の記録の洗い直しが行われた際、一番問題になったのは記録者の判断に委ねられていた勝利投手・敗戦投手の記録です。昭和14年のスタルヒンの42勝はこの洗い直し作業で40勝に訂正されましたが昭和36年に稲尾が42勝した際、コミッショナー裁定により「当時の記録を尊重する」こととなりスタルヒンの記録は42勝に再訂正されました。因みにWikipediaによると「山内は戦前・戦中のスコアカードを丹念に調べ上げ、勝利(敗戦)投手の洗い直しを行った」とのことですが、当時は一試合に投げる投手の数が現在と違って少ないのでこの作業は実は意外と簡単です。当ブログでも「現行ルールに照らせば勝利(敗戦)投手は××となりますが・・・」と言うのは何度もお伝えしているとおりです。

 この試合の記録を洗い直せば敗戦投手が前川八郎であることは誰にでも分かります。どうやら公式の通算記録には影響の無い日本選手権の勝利投手・敗戦投手の記録はオリジナルバージョンと洗い直しバージョンがコミッショナー事務局に混在している可能性があります。



*現行ルールに照らせばジャイアンツの敗戦投手は前川八郎であるが、スコアブックではスタルヒンとなっている。






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