2011年7月31日日曜日

14年 金鯱vs南海 1回戦

3月29日 (水) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 2 0 0 2 0 5 金鯱 2勝4敗 0.333 古谷倉之助 森田実 磯部健雄
3 0 1 2 1 0 0 0 X 7 南海 2勝4敗 0.333 宮口美吉


勝利投手 宮口美吉     1勝0敗
敗戦投手 古谷倉之助 1勝1敗


二塁打 (金)野村、浅井2
本塁打 (南)平井 2号

平井猪三郎、ホームランキングに躍り出る


 金鯱は初回、一死後五味芳夫が四球で出塁、瀬井清中前打、小林茂太は三振に倒れて二死一二塁、古谷倉之助の二ゴロをセカンド国久松一がエラー、この間に二走五味が生還して1点を先制、一走瀬井も三塁を蹴ってホームに向かうが三本間に挟まれ「4・2・5・6-5」と渡ってタッチアウト。二ゴロエラーで二塁ランナーが生還できて一塁ランナーまでホームを狙おうというのですから恐らくセカンド国久は後ろに逸らしたのでしょう。瀬井は間に合うと思ってホームに向かったのでしょうが国久は景浦以上とも言われるバカ肩で有名であり、後ろに逸らした国久からの本塁送球が想像を絶するものであった可能性があります。

 南海は1回裏、先頭の平井猪三郎が左翼ポール際に第2号同点ホームランを放って1-1。平井はホームランキングに躍り出る。国久は中飛に倒れるがこの日三番サードでプロ入り初のスタメン出場となった鶴岡一人が四球で出塁すると二盗に成功、岡村俊昭四球で一死一二塁、中村金次が左前にタイムリーを放って2-1と逆転、小林悟楼四球で一死満塁、中田道信の内野安打で3-1とする。

 南海は3回、先頭の岡村の二ゴロをセカンド五味がエラー、中村の遊ゴロの間に岡村は二進、小林の中前タイムリーで4-1とする。4回も先頭の宮口美吉の二ゴロを五味が2イニング連続エラー、キャッチャー野村高義が最近流行りのパスボールを犯して無死二塁、山尾年加寿四球、トップに返り平井のバントヒットで無死満塁、国久の左前タイムリーで5-1としてなお無死満塁で打席は三番鶴岡、しかし鶴岡の遊ゴロは6-4-3のゲッツー、この間に三走山尾は生還して6-1、鶴岡にプロ入り初打点が記録された。ここで「ちょっと待った」と思った方はルール通です。満塁で内野ゴロ併殺打の間に三塁ランナーが還っても打者には打点は記録されません。このルールはアメリカの2大リーグで1939年(昭和14年)にルール改正されたことに伴い日本でも今季から適用されるのですが、「犠牲フライ」のところでも書きましたが、改正ルールの導入に手間取ってしまい開幕に間に合わず、4月22日から適用されることとなったため、3月29日のこの試合では鶴岡に打点が記録されています。

 金鯱は5回、先頭の武笠茂男が四球で出塁、野村が右翼線に二塁打を放って無死二三塁、浅井太郎も右翼線に二塁打で続いて2点を返し3-6とする。金鯱は5回から先発古谷に代えて二番手として森田実をマウンドに送る。

 南海は5回、一死後小林、中田が連続四球、宮口が右前にタイムリーを放って7-3と突き放す。

 金鯱は8回、先頭の佐々木常助がバントヒットとピッチャー悪送球で無死二塁、五味、瀬井連続四球で無死満塁、小林茂の二ゴロは4-6-3と転送されるがファースト中村がエラー、三走佐々木に続き二走五味も生還して2点返して5-7とする。ここでも小林茂太に1打点が記録されていますが、改正ルールでは「打者がフォースダブルプレイとなるようなゴロを打ち、第一アウトが成立した後、一塁(または一塁以外の塁)での第二アウトに対する送球を野手が捕え損じたために、その野手に失策が記録されたときに走者が得点しても、その打者には打点は与えられない。」となりますのでルール改正後であれば打点は記録されません。

 宮口美吉は6安打6四球6三振の完投で今季初勝利をあげる。


 それにしても鶴岡一人のプロ入り初打点がルール改正に手間取ったことによりもたらされたものであったとは、トリビアの泉にも出てきそうにありません。




          *鶴岡一人が三番サードでプロ入り初スタメン。







14年 タイガースvsライオン 1回戦

3月28日 (火) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 2 2 1 0 2 7 タイガース 3勝3敗      0.500 西村幸生
0 1 0 1 0 0 0 1 2 5 ライオン    4勝1敗1分 0.800 菊矢吉男


勝利投手 西村幸生 1勝1敗
敗戦投手 菊矢吉男 2勝1敗


二塁打 (タ)伊賀上、松木 (ラ)室井
本塁打 (ラ)水谷 1号

西村幸生、粘り勝ち


 ライオンは初回、先頭の坪内道則が三塁への内野安打で出塁するが、八尾中学出身の新人・岡本一雄の遊ゴロで6-4-3のゲッツー。2回、一死後玉腰年男がショートへの内野安打で出塁、菊矢吉男の三ゴロで玉腰は二封、セカンド本堂保次からの一塁転送が悪送球となって菊谷は二塁に進む。パスボールで菊谷は三進、西端利郎の三塁内野安打がタイムリーとなって1点を先制する。

 ライオンは4回、先頭の水谷則一が右翼スタンドにホームランを叩き込んで2-0とする。

 タイガースは5回、二死後本堂が四球で出塁、ジミー堀尾文人の三塁内野安打で一二塁、景浦将が左翼線にタイムリーを放って1-2として堀尾が三塁に進む好走塁を見せる。ここでキャッチャー岡本がパスボールを犯して堀尾が生還し2-2の同点に追い付く。

 タイガースは6回、先頭の伊賀上良平が右中間に二塁打、門前真佐人の遊ゴロをショート松岡甲二が失して伊賀上は動けず無死一二塁、西村幸生の投ゴロで伊賀上は三封、皆川定之の二ゴロで西村が二封されて一三塁、皆川が二盗を決めて二死二三塁、トップに返り松木謙治郎が右翼線に2点タイムリー二塁打を放って4-2、続く本堂の左前打で松木がホームを狙うがレフト鬼頭数雄からのバックホームにタッチアウト。

 タイガースは7回、一死後景浦が三塁内野安打で出塁、御園生崇男の右翼線ヒットで一死一三塁、伊賀上が中犠飛を打ち上げて5-2と突き放す。

 ライオンは8回、7回から岡本に代わってマスクを被る室井豊が中前打で出塁、水谷の二ゴロを本堂がこの日二つ目のエラー、鬼頭が右翼線にタイムリーを放って3-5と追い上げてなお無死一三塁、しかし好調玉腰は三振、鬼頭が二盗を決めて一死二三塁、しかし菊谷も三振、西端四球で二死満塁、しかし中野隆雄は中飛に倒れ、ここは何とか西村幸生が踏ん張った。

 タイガースは9回、先頭の本堂の遊ゴロをショート中野がエラー、ワイルドピッチで本堂は二進、堀尾の右前打で無死一三塁、景浦の三ゴロをサード山本尚敏がエラーする間に本堂が還って6-3、御園生の一ゴロで景浦は二封されて一死一三塁、伊賀上の遊ゴロで三走堀尾がホームに突っ込むとショート中野からのバックホームをキャッチャー室井が落球して7-3とする。

 ライオンは9回裏、一死後坪内が右前打で出塁、室井の左中間二塁打で一死二三塁、水谷の右前タイムリーで二者還り5-7と追い上げるが鬼頭は一ゴロ、玉腰は三振に倒れてタイガースが無敗のライオンに今季初黒星をつける。

 粘りのピッチングを見せた西村幸生は14安打2四球8三振の完投で今季初勝利、この試合の投球数は記録されていませんが、恐らく150球を超える熱投でしょう。菊矢吉男は11安打6四球4三振、失点は7ながら自責点は2であった。

 打撃戦に見えるこの試合の明暗を分けたのはジミー堀尾文人の走塁にあった。5回の景浦の左翼線ヒットで一塁から三塁に進んだ好走塁、9回のショートゴロでホームに突っ込んだ激走と共に相手キャッチャーのミスを誘って得点に結び付けている。


 このところキャッチャーのパスボールが目立っています。翌日の読売新聞にも「近来縷々捕手逸球が禍いをなして得点を招いているのは不可思議であるが・・・」と書かれています。この日も岡本一雄と門前真佐人の捕逸に加え、室井豊の落球も失点に直結しました。これは恐らく使用球の劣化に起因しているのではないかと思います。当時の文献を読むと芯が軟化したこととスフを使用するようになったことにより強く握るとボールが凹んでいたようです。昨年に比べて長打が減っていることにお気づきの方も多いかと思います。現在の準硬式球であるB球、いわゆるトップボールのような感じになっていたのではないでしょうか。と思ってWikipediaで準硬式野球を調べてみると現在はH球と言うそうです。私が大学時代に東京六大学準硬式野球リーグ戦でやっていた頃はB球を使用していました。しかも全日本大学軟式野球連盟と全日本大学準硬式野球連盟が分裂したことも判明しました。私の現役時代は体育会・軟式野球部だったのですが、いつしか準硬式野球部に名称が変わっていました。てっきり軟式では格好が悪いので準硬式に変えたのだとばかり思っていましたが、連盟の分裂に起因しているのかもしれません。部の名称とはそう言うもので、私の現役時代はサッカー部は「ソッカー部」、ラグビー部は「蹴球部」と言っていました。他の部の事ですので現在は知りませんが。因みに高校は体連・軟式野球部と言います。体育会は説明不要でしょうが、体連は体育連盟か体育連合あたりの略称だと思います。

 硬式用グローブで軟球を捕ったことのある方はボールが弾いてしまい捕りにくいことをご存じでしょう。準硬式は硬式用グローブを使いますので当時の軟らかくなったボールでも弾いてしまうまでには至っていないと思いますが、キャッチャーミットの場合はグローブ以上に影響が大きくなることは間違いありません。






2011年7月30日土曜日

14年 南海vs名古屋 1回戦

3月28日 (火) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 2 0 0 0 2 南海     1勝4敗 0.200 政野岩夫
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 名古屋 2勝4敗 0.333 松尾幸造


勝利投手 政野岩夫 1勝2敗
敗戦投手 松尾幸造 1勝3敗


二塁打 (名)石田

鶴岡一人参上


 今季南海には明大の清水秀雄と法政の鶴岡一人が入団する予定であった。今であれば桑田と清原が、又は江川と原が、或はマー君と佑ちゃんが同時に入団するような騒ぎであった。昭和14年1月26日付け読売新聞には「明大 清水 南海入り決定 鶴岡と共して」の見出しが躍っている。しかし2月3日には「清水問題 明大否定」となり、清水秀雄の入団は流れた。鶴岡も卒業式まではプロ野球などに出るのはまかりならぬということとなり、いよいよ本日封印が解かれた訳です(結局清水は翌昭和15年、南海に入団することとなる。)。

 南海は5回までノーヒット。鶴岡の初登場とあって大和球士著「真説 日本野球史」にはこの試合が描かれています。この日は小雨で観客は二千人くらい。スコアブックには「曇 小雨 冷し」と記載されており、翌日の読売新聞にも「雨中快絶の打撃戦」の見出しが躍っています。因みに打撃戦とは第一試合でもこの第二試合でもなく、後でお伝えする第三試合のタイガースvsライオン1回戦のことです。同著によると「鶴岡と対決する名古屋の左投手松尾の出来は素晴らしかった。」とのこと。

 南海は6回、先頭の山尾年加寿が四球で出塁、平井猪三郎が送って、小林悟楼の遊ゴロをショート天野竹一がエラーして無死一三塁、ここで新人キャッチャー服部受弘が痛恨のパスボールを犯して1点を先制、岡村俊昭が中前にタイムリーを放ち2-0とする。

 南海は7回、吉川義次一邪飛、国久松一三ゴロで二死無走者、ここで七番日新商業出身の新人・平野正太郎に代わっていよいよ鶴岡一人が代打として登場、しかし鶴岡のデビュー打席は三振に終わる。「真説 日本野球史」は第一球・鋭く大きいカーブ・見逃し、第二球・剛速球が低めへ・ファウル、第三球・剛球うなって内角へ・見逃し、だから三球三振と伝えている。

 南海は8回は三者凡退、9回一死後岡村がこの日2本目のヒットを左翼線に放ち中村金次の遊ゴロをショート芳賀直一が失して一死一二塁とするが吉川の左飛に二走岡村が飛び出してゲッツー。南海は結局岡村の2安打のみに終わる。

 名古屋は南海先発政野岩夫の下手投げに苦しみながらも何度もチャンスを作るが4回は一死一二塁から4-6-3、7回は一死一二塁から1-5-3のゲッツーを喫するなど得点を奪えずシャットアウト負けとなった。


 政野岩夫は4安打6四球4三振の完封で今季初勝利をあげる。松尾幸造は2安打5四球2三振、2失点であるが自責点はゼロであった。

 なお、名古屋の八番は村松幸雄が一塁手として先発出場しています。これまで代打として出ていましたが、スタメンはこの日がプロ入り初となります。本職の投手デビューまで今しばらくお待ちください。



          *鶴岡一人のプロ入り初打席は三振であった。








          *政野岩夫も松尾幸造も好投を見せる。


14年 阪急vs金鯱 1回戦

3月28日 (火) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 2 0 1 1 1 5 阪急 3勝3敗 0.500 高橋敏
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 金鯱 2勝3敗 0.400 古谷倉之助 中山正嘉
  
勝利投手 高橋敏     1勝0敗
敗戦投手 中山正嘉 1勝2敗


二塁打 (阪)西村2、上田
三塁打 (金)瀬井
本塁打 (阪)黒田 1号

黒田健吾、快気祝いのホームラン


 阪急は初回、一死後フランク山田伝が三塁内野安打から二盗、しかし山下実三振、山下好一四球、黒田健吾一ゴロで無得点。2回は上田藤夫中前打、伊東甚吉四球で無死一二塁とするが下村豊の送りバントは捕邪飛となって飛び出していた一走伊東が刺されてダブルプレー。3回も西村正夫の二塁打を足掛かりに一死二三塁とするが山下好一は投ゴロ、黒田健吾は三ゴロに倒れる。4回は先頭の上田が左翼線に二塁打、続く伊東の当りは左前に落ちるポテンヒット、上田は動けず無死一二塁、続く下村は今度は投前に送りバントを決めてピッチャー古谷倉之助から一塁ベースカバーのセカンド五味芳夫に渡って一死二三塁、五味は古谷にボールを返した振りをしてグラブに収めたまま守備位置に戻り二走伊東が離塁したところにタッチ、隠し玉が決まって二死三塁。下村の犠打はそのままで併殺が記録されている。高橋敏は遊ゴロに倒れてこの回も無得点。

 一方、金鯱は初回、二死後瀬井清の遊ゴロをショート上田がエラー、小林茂太左前打で二死一二塁とするが古谷は二飛に倒れる。2回も二死後浅井太郎の遊ゴロを上田が2イニング連続エラー、しかし岡野八郎は右邪飛に倒れる。3回は二死から瀬井が左中間に三塁打、小林茂四球から二盗を決めて二死二三塁とするが古谷は遊ゴロに倒れる。4回は一死後野村高義が三塁に内野安打、浅井の四球で一死一二塁とするが野村が三盗に失敗してこの回も無得点。

 金鯱は何とか無失点に切り抜けてきた古谷倉之助をファーストに回して5回から中山正嘉をマウンドに送る。

 阪急は5回、中山の代わりばなを捕えて先頭の西村が左翼線に二塁打、山田が三前にバントヒットを決めて更にサード岡野が一塁に悪送球する間に西村が還って1点を先制、山田も二塁に進む。更にパスボールで山田は三進、山下実の左前タイムリーで2-0とする。

 阪急は7回、先頭の山田が四球で歩くと二盗に成功、実は三振、好一は遊ゴロと両山下は倒れるが怪我で欠場が続いて本日が今季初スタメンとなる黒田健吾が左前にタイムリーを放って3-0とする。更に8回、先頭の伊東が左翼線にヒット、下村の二ゴロの間に二進、パスボールで三進、キャッチャー野村の牽制悪送球の間にホームに還って4-0とする。

 阪急は9回、二死後黒田が左翼スタンドに復帰祝いの第1号ホームランを叩き込んで5-0とする。

 金鯱は5回から7回は三者凡退、8回に佐々木常助が左前打を放つが後続無く9回も三者凡退。


 高橋敏は4安打2四球2三振の完封で今季初勝利をあげる。高橋は島田商業の出身、ライオンで投手兼二塁手として活躍して今季から兵役についている大友一明の後輩になる。島田商業出身と言えば更に後輩として当ブログでも数年後の戦後編に登場してくることとなる一言多十(ひとこと たじゅう)がいる。因みに私の高校時代(神奈川軟式です、念のため。)、東海遠征で島田商業と練習試合をやったことがあります。


 怪我から復帰して今季初スタメンの黒田健吾が5打数3安打2打点1本塁打といきなり爆発した。黒田は関西中学の出身。高校野球ファンなら岡山の名門・関西(かんぜい)高校の前身であることはすぐに分かるでしょう。土光敏夫元経団連会長の出身校として知られるが意外とプロ野球選手は少なく戦前では井野川利春、津田四郎くらいである。戦後は大物を輩出、「月に向かって打て」の大杉勝男、プロ野球史上最速とも言われる森安敏明がいる。





          *写真は森安俊明のカバヤリーフカード







訂正のお知らせ 14年②

 阪急の「伊東甚吉」選手を、これまで「伊藤甚吉」と誤ってお伝えしておりました。お詫びして訂正させていただきます。本文は順次訂正していきます。

2011年7月29日金曜日

クラゲ

 久しぶりに通算成績が報道されて「え、それだけしか勝ってなかったの?」が第一印象です。日本では72勝しかしていません。にもかかわらずこれだけ騒がれるのは、残した印象が数字の数倍のものであったからです。私の職場では普段はあまり野球の話題が出ることは少ないのですが(私が無理やり持っていく場合を除く)、今日はいたるところで語られていました。今まで野球の話をしたことのなかった人とも話が通じました。「本当に速かった。」という声をあちこちで聞きました。

 職場の後輩に高松商業野球部OBがいます。尽誠学園との練習試合の時は、監督から走っていろとの指示が出ていたようでグラウンドの周りを走っていましたが、高松商業のベンチの屋根の上をドタドタと走っていたそうです。ふてぶてしさは天性のものでしょう。

 キレがあって重い球質といいう珍しいタイプの速球だったと思います。スピードだけなら江川や若いころの鈴木孝政が上だったかもしれませんが、球質は断然重かった。スピードガン表示はクルーンが上でしたが、クルーンの棒球とは全く違うキレがありました。ダルビッシュより上、田中マー君が少し近づいてきましたがまだまだです。

 伊良部クラゲの名付け親、大沢親分のコメントが聞きたかった。

2011年7月28日木曜日

14年 ジャイアンツvsセネタース 1回戦

3月26日 (日) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8  9  計
0 0 0 1 0 0 0 2  1  4  ジャイアンツ 4勝2敗 0.667 スタルヒン
0 0 2 0 0 2 0 0 1X 5 セネタース     4勝1敗 0.800 野口二郎 金子裕

勝利投手 金子裕      3勝0敗
敗戦投手 スタルヒン 2勝1敗


二塁打 (ジ)水原
三塁打 (ジ)千葉
本塁打 (ジ)中島 1号、スタルヒン 1号

セネタース単独二位




 ジャイアンツ先発はスタルヒン、セネタース先発は野口二郎、今後数年間に渡ってライバル関係となる二人の初対決。

 ジャイアンツの先発マスクは24日の金鯱1回戦に続いて中山武。しかし中山は第一打席で三ゴロに倒れると二打席目には岩本章を代打に送られ5回から平山菊二が二番手キャッチャーを務めることとなる。

 セネタースは3回、二死後横沢七郎が四球を選んで出塁、トップに返り苅田久徳の左前打で二死一二塁、「元祖・意外性の男」家村相太郎が中前打を放つと二走横沢がホームに還り、センター呉波のバックホームが悪送球となる間に一走苅田もホームに還り2点を先制する。

 3回まで野口二郎の前に白石敏男の内野安打1本に抑えられていたジャイアンツは4回、一死後中島治康が左翼スタンドに第1号ホームランを叩き込んで1-2とする。

 セネタースは6回、先頭の北浦三男の二ゴロをセカンド千葉茂がエラー、尾茂田叶中前打、佐藤武夫の一ゴロで北浦は三封、青木幸造が右前にタイムリーを放って3-1として一走佐藤も三塁を陥れる。野口二郎は三振に倒れて二死一三塁、佐藤も三振、ところがスリーストライク目の投球をキャッチャー平山がエラーして佐藤は振り逃げ、三走佐藤がホームに還って4-1と突き放す。

 ジャイアンツは8回、先頭のスタルヒンがレフトスタンドにホームランを叩き込んで2-4、一死後水原茂が左中間に二塁打、川上哲治の二ゴロで水原は三進、ここでキャチャー北浦が痛恨のパスボール、水原が還って3-4と追い上げる。

 ジャイアンツは9回、先頭の千葉が右翼線に三塁打、一死後三田政夫が右前に同点タイムリーを放って4-4に追い付く。更に三田が右前打で続きセネタースは野口二郎から金子裕にスイッチして後続を断つ。

 セネタースは9回裏、先頭の苅田が四球を選んで出塁、家村が捕前に送りバントを決める。キャッチャー平山のパスボールで苅田は三進、続く北浦の二ゴロをセカンド千葉茂が痛恨のエラー、苅田がサヨナラのホームを踏む。







2011年7月26日火曜日

14年 タイガースvs阪急 1回戦

3月26日 (日) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
2 2 0 0 0 0 0 3 0 7 タイガース 2勝3敗 0.400 若林忠志 御園生崇男
3 0 0 0 2 0 0 0 0 5 阪急      2勝3敗 0.400 石田光彦 重松通雄


勝利投手 御園生崇男 2勝1敗
敗戦投手 重松通雄     1勝2敗


二塁打 (タ)堀尾
三塁打 (タ)御園生
本塁打 (タ)松木 1号 (阪)山下実 1号

シーソーゲーム


 タイガースは初回、先頭の松木謙治郎が四球で出塁、本堂保次が三塁に内野安打、ジミー堀尾文人が送って一死二三塁、本日四番に入った景浦将が左前にタイムリーを放って二者還り2点を先制する。

 阪急は1回裏、こちらも先頭の西村正夫が四球で出塁、フランク山田伝の二ゴロをセカンド本堂が間に合わない二塁に送球してフィールダースチョイス、山下実も四球を選んで無死満塁、山下好一のタイムリー三塁内野安打で1-2、上田藤夫の二ゴロの間に山田が還って2-2の同点、石田光彦が中犠飛を打ち上げて3-2と逆転に成功する。

 タイガースは2回、一死後皆川定之が四球で出塁、トップに返り松木が三塁に内野安打、本堂の三ゴロで松木は三封されて二死一三塁、ここでダブルスチールを決めて皆川が生還して3-3の同点、パスボールで本堂が三進して堀尾の左中間タイムリー二塁打で4-3とこちらも逆転に成功する。

 阪急は3回から先発石田に代えて重松通雄をマウンドに送る。

 阪急は5回、先頭の西村が左翼線にヒット、山田が送って一死二塁、山下実が右翼スタンドに逆転ツーランを叩き込んで5-4とする。

 タイガースは6回から先発若林に代えて御園生崇男をマウンドに送る。

 重松は3回~7回までタイガース打線を無得点に抑えてきたがタイガースは8回、御園生が右中間に三塁打、森国五郎に代わる代打岡田宗芳が右前に同点タイムリーを放って5-5、皆川は捕邪飛に倒れるが松木が右翼スタンドにツーランホームランを叩き込んで7-5として試合を決める。翌日の読売新聞によると「8回松木が右翼席に打ち込んだ大本塁打は5回山下が殆ど同じ箇所に打ち込んだ本塁打に応酬してこの日の試合を決定した華々しき殊勲の一打であった」とのことで、2本とも大本塁打であった模様である。


 勝利の女神があっち向いてホイをしているような二転三転のシーソーゲーム、明暗を分けたのはリリーフ投手の出来にあり、重松通雄もよく投げてはいたが御園生崇男は4イニングを無安打1四球無失点とほぼ完ぺきな投球であった。





          *御園生崇男が好リリーフを見せる



2011年7月25日月曜日

14年 イーグルスvs名古屋 1回戦

3月26日 (日) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 0 0 3 0 0 4 イーグルス 1勝3敗1分 0.250 亀田忠
0 0 0 0 0 2 3 0 X 5 名古屋    2勝3敗       0.400 繁里栄 西沢道夫 松尾幸造

勝利投手 西沢道夫 1勝1敗
敗戦投手 亀田忠     1勝1敗
セーブ      松尾幸造 1

本塁打 (名)服部 1号

服部受弘、代打同点ツーランホームラン


 イーグルスは初回、先頭の寺内一隆が右前打で出塁、太田健一は三振に倒れ寺内の盗塁失敗で二死無走者、しかし中河美芳が中前打で出塁、パスボールで二進後三盗に成功、亀田忠四球で二死一三塁、杉田屋守の三塁内野安打で1点を先制、更に木下政文が中前打を放つが二走亀田はセンター石田政良からのバックホームに本塁タッチアウト。

 名古屋は5回まで亀田から6四球を得るが無得点。初回は一死一二塁から加藤正二の中飛に二走戒能朶一が飛び出してゲッツー。4回も一死一塁に大沢清の投ゴロで1-6-3のゲッツーを喫す。

 名古屋は6回、この回先頭の鈴木秀雄の投飛を亀田がエラー、トップ石田の三塁内野安打で無死一二塁とするが二走鈴木がキャッチャー伏見五郎からの牽制に刺されて一死一塁、寺内が二盗を決めて戒能左飛後、桝嘉一が中前にタイムリーを放って1-1の同点。加藤四球で二死一二塁、大沢が右前にタイムリーを放って2-1と逆転に成功する。

 イーグルスは7回、先頭の漆原進が左前打で出塁、伏見が送って山田潔の中前タイムリーで2-2の同点、山田が二盗を決めて寺内四球、太田の投ゴロの間に二者進塁して中河四球で二死満塁、亀田が左前にタイムリーを放ち三走山田が還って3-2と再逆転、二走寺内もホームに向かい、これを見た一走中河も二塁を蹴って三塁に向かう。レフト桝からのバックホームをカットしたピッチャー西沢道夫はホームをあきらめ三塁に送球して中河を刺すが寺内のホームインが早く4-2とする。

 名古屋は7回裏、この回先頭の村瀬一三が四球で出塁、西沢に代わる代打村松幸雄は三振に終わるが鈴木に代わる代打服部受弘がレフトススタンドに同点ツーランホームランを叩き込んで4-4。トップに返り石田四球、戒能三塁に内野安打、ワイルドピッチで二三塁、桝は四球を選んで二死満塁、ここで加藤が中前に決勝タイムリーを放って5-4と再々逆転に成功する。

 名古屋は8回から三番手にエース松尾幸造を注ぎ込んで逃げ切る。

 亀田忠は8回を投げ切るが7安打10四球6三振。1回~7回までは毎回与四球、8回は村瀬三振、松尾遊飛、服部三振で毎回与四球の記録は逃す。


 イーグルスは合計11安打で9回に代走に出た清家忠太郎を除くと全員安打。スコアブックの雑記欄には「イーグルス全員安打」と記載されていますが、代走だけに出た選手を全員安打の対象から外してもよいのかどうかは当ブログの知識では不明です。

 名古屋は岡崎中学出身の服部受弘、高松中学-中央大学出身の加藤正二の期待の大型ルーキーの活躍で激戦を制す。











2011年7月24日日曜日

14年 第1節 週間MVP

 昭和14年最初の週間MVPを発表させていただきます。

 今節はライオンが4勝0敗1分、ジャイアンツが4勝1敗、セネタースが3勝1敗、金鯱が2勝2敗、阪急が2勝2敗、イーグルスが1勝2敗1分、名古屋が1勝3敗、タイガースが1勝3敗、南海が0勝4敗という結果であった。


週間MVP

投手部門

 ライオン 福士勇 1

 ライオン快進撃の投の立役者。今節3試合に登板して2勝0敗。23回、10安打7四球7三振、失点2、自責点2。打っても10打数5安打6打点の活躍。


打撃部門

 ライオン 玉腰年男 1

 ライオン快進撃の打の立役者。17打数6安打5得点2打点、二塁打1本、三塁打1本、2盗塁、5四球。




殊勲賞

 セネタース 柳鶴震 1

 タイガース1回戦でサヨナラタイムリー。


 阪急 下村豊 1

 名古屋1回戦で決勝の逆転ツーランホームラン。




敢闘賞

 ライオン 水谷則一 1

 19打数6安打2得点3打点。快進撃ライオンを引っ張る三番打者。

 ジャイアンツ 三田政夫 1

 今季の命運を占うタイガース1回戦で途中出場ながら3打数2安打2得点の活躍で逆転のホームを踏む。今節14打数5安打、打率3割5分7厘でベストテンの七位に頑張っている。



技能賞

 イーグルス 中河美芳 1

 15打数9安打、打率6割で現在首位打者。

 ジャイアンツ 川上哲治 1

 今節2勝0敗1完封、投手・川上の技巧派ピッチングを評価。












14年 阪急vs名古屋 1回戦

3月24日 (金) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 2 0 0 2 阪急     2勝2敗 0.500 重松通雄
0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 名古屋 1勝3敗 0.250 松尾幸造


勝利投手 重松通雄 1勝1敗
敗戦投手 松尾幸造 1勝2敗

本塁打 (阪)下村 1号

下村豊、逆転ツーラン


 阪急先発の重松通雄は前回登板の21日のジャイアンツ戦では5安打に抑えながら敗戦投手、名古屋先発の松尾幸造も22日のジャイアンツ戦で5安打に抑えながら敗戦投手。

 名古屋は3回、一死後松尾幸造が左中間を抜いて三塁に達する。ところが8-6-4と渡ってセカンド伊東甚吉がアピールプレー、松尾が二塁を回る際ベースを踏み忘れておりアウトが宣告された。スコアブックの雑記欄には「(松尾は=筆者注)三塁に達するも、二塁をフェイルしてアピールアウトとなる。」と記載されている。翌日の読売新聞は「松尾が大きく左中間を抜く快打を放って三塁に達しながら二塁を踏み損なったため二塁に刺され」と伝えている。ベースを踏み忘れるのは長嶋だけではなかったようだ。

 名古屋は4回、二死後桝嘉一が四球で出塁、加藤正二の右中間へのヒットで桝が一塁からホームに還り1点を先制する。加藤は送球の間に二塁に進んだものと看做され記録はシングルヒットで打点1となっている。

 松尾の前に5回までノーヒットに抑えられてきた阪急は6回、二死から山下実、山下好一の連打が出るが上田藤夫は三振に倒れる。

 阪急は7回、一死後七番伊東が中前打で出塁、続く八番下村豊が左翼スタンドに逆転のツーランホームランを叩き込んで2-1とする。

 松尾幸造は9回を完投して6安打5四球8三振、下村に投じた一球を翌日の読売新聞は「コントロールもよくスピードも十分で散々阪急打者を手こずらした松尾にとってはこの下村に与えたやや気を抜いた緩球こそ結果からみて惜しまれた」と伝えている。

 重松通雄は5回以降名古屋打線を無安打に抑え、結局2安打4四球2三振の完封で今季初勝利を飾る。


 松尾の二塁ベース踏み忘れを見ていたのはセカンドの伊東甚吉かファーストの山下実であろう。ベンチからは恐らく見えないでしょう。長打の場合は一塁手は打者走者が二塁に向かえばそのあとをついて走って行くのがセオリーですがあまりやる人はいないので、伊東甚吉が見ていた可能性が一番高いのではないか。伊東はルーキーとはいえ名門滝川中学でその辺のところは十分鍛えられているはず。

 殊勲の逆転ツーランを放った下村豊はプロ在籍三年間でこれが唯一のホームランとなります。3月20日のイーグルス1回戦では阪急は下位打線が課題と書きましたが、七番伊東甚吉、八番下村豊が早くも結果を出した。




               *重松通雄が2安打完封





              *下村豊が逆転ツーラン







     *松尾幸造が二塁ベースを踏み忘れた場面





               *雑記欄の記載


2011年7月23日土曜日

14年 タイガースvsセネタース 1回戦

3月24日 (金) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0   0 タイガース 1勝3敗 0.250 西村幸生
0 0 0 0 0 0 0 0 0 1X  1 セネタース 3勝1敗 0.750 金子裕


勝利投手 金子裕     2勝0敗
敗戦投手 西村幸生 0勝1敗

柳鶴震、殊勲のサヨナラ打


 タイガースは9回まで3安打。初回本堂保次の左翼線ヒット、4回ジミー堀尾文人の中前打、7回門前真佐人の中前打の3本だけであった。藤村富美男、山口政信、藤井勇、塚本博睦、玉井栄とよりによって外野陣の主力ばかりを兵役にとられて(藤村は戦前は外野で出場することが多かった)本日は二番レフト森国五郎、七番ライト青木正一がスタメン出場。ご両人とも2打数2三振でで途中交代しております。それよりも痛かったのは森の後に入った景浦将の不振で、九番皆川定之が4打席連続四球を選んでうち2回は景浦の前で本堂が送りバントを決めたが景浦に一打が出ずタイガースは無得点。延長10回表も御園生崇男のヒットと皆川の四球で一死一二塁としたが本堂は左飛、景浦は遊ゴロに倒れた。

 一方セネタースも9回まで4安打。初回北浦三男の中前打、2回青木幸造の中前打、5回柳鶴震の中前打、7回青木のピッチャー強襲ヒットの4本だけであった。

 タイガースは10回表、この回先頭の御園生崇男が中前打で出塁、しかし西村幸生の送りバントは失敗、前述のとおり皆川が本日4個目の四球を選んで一死一二塁とするが後続無し。

 セネタースは10回裏、この回先頭の青木が本日3本目のヒットを中前に放って無死一塁、門前真佐人のパスボールで無死二塁、金子裕が投前に送りバントを決めて一死三塁、柳鶴震が中前にサヨナラヒットを放ってセネタースがタイガースを破る。

 この試合では両チーム併殺が3個ずつ。タイガースは1回から3回まで連続併殺を食らう。1回は4-6-3、2回は門前の遊直に二走伊賀上良平が飛び出し、3回は本堂の二直に一走皆川が飛び出したもの。セネタースは2回は6B-3、3回は5-4-3、8回は四球で出塁した苅田久徳が家村相太郎の投飛に飛び出したもの、尤もこれはバントエンドラン失敗の可能性が高いのではないか。

 西村幸生は9回3分の1を投げて6安打3四球6三振、1失点には門前の捕逸が絡んでいるので自責点はゼロであった。

 金子裕は延長10回を4安打6四球6三振の完封で今季2勝目をあげる。

 両チームを通じてこの試合のマルチヒットは青木幸造の4打数3安打と柳鶴震の4打数2安打だけ。セネタースの決勝点はこの二人のヒットによるもの、結局のところ数多くのヒットを打つ選手を有しているチームが勝利を収めるということである。


 読み返していただければ分かる通り、セネタースの6安打は全てセンター返し、ピッチャー返しとも言います。この際私事などどうでもいい話ではありますが、大学時代(東京六大学準硬式野球リーグ戦です。)の公式戦通算37安打のうちセンターから右へのヒットが33本でした。練習ではピッチャー返しオンリーでバッティングピッチャーを守る金網にガシャガシャと当てており、「ピッチャー殺し」と呼ばれていました。


 サヨナラ中前打の柳鶴震は後に「大塚鶴雄」に改名しますので、今調べる方は改名後の名前でも検索してみてください。桐生中学出身でタイガースの皆川定之と同学年、青木正一の後輩になります。これもどうでもいいことですが、私が以前勤めていた会社で前橋支店に在籍していたとき、桐生にも営業で出かけたことがあります。木暮洋と阿久沢毅については以前書かせていただきました。





          *金子裕は延長10回を4安打完封







*柳鶴震が中前にサヨナラヒット。セネタースのヒットが全てセンター返しであることがお分かりいただけますでしょうか。山形のマークがヒットで黒ぽち(更に細かく言うと△がライナー、○がフライ、・がゴロを表しますがこの写真で判別は難しいかもしれません。)が打球方向を表します。青木の2安打目はダイヤモンドを四角で囲っているので内野安打を表します。





14年 金鯱vsジャイアンツ 1回戦

3月24日 (金) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 1 0 1 0 0 0 3 金鯱             2勝2敗 0.500 中山正嘉
1 0 1 0 0 0 0 0 0 2 ジャイアンツ 4勝1敗 0.800 楠安夫 川上哲治


勝利投手 中山正嘉 1勝1敗
敗戦投手 川上哲治 2勝1敗


二塁打 (金)野村
本塁打 (金)佐々木 1号

二人の中山


 ジャイアンツの先発ピッチャーは楠安夫、先発マスクは吉原正喜が怪我の模様で中山武が被る。中山は昭和11年までジャイアンツの正捕手として澤村栄治とバッテリーを組んでいた。兵役のため戦列を離れていたが昨年帰還した。昭和13年10月8日付け読売新聞は「武勲の中山三年ぶり球場へ」の見出しで「昨年(昭和12年=筆者注)九月・・・敵前上陸の激戦に奮戦、右踵に重傷を受けて療養中だった歩兵伍長、巨人軍中山武捕手はこの程除隊となり先月末上京して巨人軍に復帰したが今日から足掛け三年振りに颯爽たるユニフォーム姿を現すこととなった」との記事を写真入りで伝えている。昭和13年11月17日の最終戦、13年秋・阪急vsジャイアンツ5回戦の最終回にマスクを被っているが、昭和11年以来のスタメンマスクは本日の試合となる。

 金鯱は初回、トップの佐々木常助が楠から左翼スタンドに先頭打者ホームランを放って1点を先制する。

 ジャイアンツは1回裏、先頭の呉波が四球で出塁、水原茂の遊ゴロはショート瀬井清からセカンド五味芳夫に転送されるが五味が落球する間に呉は三塁に走り無死一三塁、水原二盗、白石敏男三振で一死二三塁、中島治康が中犠飛を打ち上げて1-1の同点に追い付く。

 ジャイアンツは3回、先頭の水原の三ゴロをサード岡野八郎が一塁に悪送球する間に水原は二塁に進む。白石の一ゴロで水原は三進、中島の中前タイムリーで2-1とするが続く千葉茂の右飛に中島が飛び出し9-3と渡ってダブルプレー。

 金鯱は4回、先頭の小林茂太が四球で出塁、武笠茂男の左翼線ヒットで小林茂は三塁に走る、レフト三田政夫からの三塁送球はセーフ、これを見た打者走者の武笠が二塁に走るがサード水原からセカンド千葉に渡ってタッチアウト。一死三塁となって瀬井清が右前に同点タイムリーを放って2-2、野村高義も中前打で続いて一死一二塁、ジャイアンツベンチは楠本をあきらめて二番手に一昨日完封した川上哲治を投入する。中山正嘉が四球を選んで一死満塁、しかし岡野の投ゴロは1-2-3と渡ってダブルプレー。
 金鯱は6回、先頭の武笠は右飛、続く瀬井の記録は「5.6-3」ということでサードゴロを水原が弾くが白石がバックアップして一塁に刺したものでしょう。無死二走者でジャイアンツを出された花の13年組野村高義が古巣を見返す左中間二塁打、中山が中前にタイムリーを放って3-2、中山は自らの決勝タイムリーを守り抜いて金鯱が快勝、ジャイアンツは今季初黒星を喫する。


 ジャイアンツは楠安夫の先発ということで継投を考えていたと思われるがスタメンファーストには永澤富士雄を起用して川上哲治をベンチに残した。21日に登板したスタルヒンは26日のセネタース戦に温存ということで予定の継投策であったのであろう。この辺は前川八郎が家庭の都合で退団した影響が出ている。ということで、未だ川上哲治は打者に専念しているわけでは無い。


 中山正嘉は7安打1四球5三振の完投で今季初勝利、2失点ながら自責点はゼロであった。決勝タイムリーも放って獅子奮迅の活躍を見せる。中山正嘉は今季25勝をあげることとなるが、この日から真のエースとしての道を歩み始めたと言える。一方、ジャイアンツの中山武は戦場での負傷から立ち直ることができず右飛と遊飛の二打席で平山菊二と交代、この後も怪我からの復活はならず現役を引退することとなる。しかし戦後も永く球界と関わることとなる。読売巨人軍はこういう人材を大切に面倒をみるところだけは評価できる。




     *真のエースとしての道を歩み始めた中山正嘉。






     *昭和11年以来のスタメン出場となった中山武は二打席で交代。



14年 ライオンvs金鯱 1回戦

3月23日 (木) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 1 0 0 1 1 3 0 3 9 ライオン 4勝0敗1分 1.000 福士勇
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 金鯱    1勝2敗    0.333 常川助三郎 森田実

勝利投手 福士勇        2勝0敗
敗戦投手 常川助三郎 0勝1敗

砂塵の中の圧勝劇


 ライオンは2回、先頭の玉腰年男が四球で出塁、室井豊中前打、山本尚敏の投前送りバントが野選を誘い無死満塁、しかし松岡甲二の投ゴロは1-2-3と渡ってゲッツー。福士勇四球で二死満塁、トップに返り坪内道則の捕邪飛をキャッチャー野村高義がミットに当てながら落球。生き返った坪内が左前にタイムリーを放って1点を先制する。

 ライオンは5回、先頭の坪内が左前打、西端利郎四球、水谷則一が投前に送りバントを決めて鬼頭数雄四球で一死満塁、ここで玉腰が中前にタイムリーを放って2-0とする。

 ライオンは6回、松岡四球、福士中前打、坪内が捕前に送りバントを決めて一死二三塁、西端が中犠飛を打ち上げて3-0とする。

 ライオンは7回、先頭の鬼頭が二遊間に内野安打、玉腰は右飛、室井は中飛に倒れるが山本がセンター右に弾き返して鬼頭は三塁へ、センター佐々木常助からの三塁送球の間に山本も二塁を陥れて二死二三塁、松岡が右前に2点タイムリーを放っ5-0、松岡が二盗を決めて福士が左翼線にタイムリーを放って6-0とする。

 金鯱は8回から先発常川助三郎に代えて森田実を二番手としてマウンドに送る。

 ライオンは9回、先頭の玉腰が四球で出塁、室井の三ゴロをサード岡野八郎がエラー、山本の投ゴロで室井は二封されて一死一三塁、松岡四球で一死満塁、福士が右翼線に2点タイムリーを放って8-0、トップに返り坪内が左翼線にタイムリーを放って9-0とする。

 ライオン先発の福士勇は前半は2回に小林茂太、瀬井清に2安打を許したのみで後は全て三者凡退。6回に佐々木に内野安打を許すが7回、8回と三者凡退、9回に佐々木、五味芳夫に連打を許すが無失点で切り抜け、結局5安打無四球6三振の完封で2勝目をあげる。


 この日は強風のため砂塵が舞い上がり、第二試合に予定されていたセネタースvs名古屋戦と第三試合に予定されていた阪急vs南海戦は中止となった。この試合も強風により試合進行が阻まれたが、ライオンが砂塵の中で圧勝した。



                    *本日の天候





          *福士勇は無四球完封勝利



訂正

 7月16日付けブログ「3月20日 ライオンvs名古屋1回戦」で東門明選手について触れた際、「これを機に学生野球ではランナーにもヘルメット着用が義務付けられました。」と書かせていただきましたが、これは私の記憶違いに起因する間違いでした。


 東門選手については当時の当事者と推測される方が書かれております。東門選手はランナーに出た際ヘルメットを被っていましたが、右打者であるため左側の耳付きメットを被っており、ショートからの送球の時、ちょうど左足が前に出ていたことにより頭を左側に傾けて送球をよけようとして送球が右側頭部のヘルメットと頭の境を直撃したそうです。


 耳付きメットは1970年の田淵の死球がきっかけとなって導入されたと記憶しています。1972年当時はまだ片耳タイプであったと思います。私の大学時代(1977~80年)は片耳でした。走者もメット着用が義務付けられていたと思います。当時の写真を見てもランナーはメット着用です。


 本文は訂正しておらず、注釈を付記しています。

2011年7月22日金曜日

14年 名古屋vsジャイアンツ 1回戦

3月22日 (水) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 名古屋         1勝2敗 0.333 松尾幸造
0 2 0 0 0 0 0 0 X  2 ジャイアンツ 4勝0敗 1.000 川上哲治


勝利投手 川上哲治 2勝0敗
敗戦投手 松尾幸造 1勝1敗


二塁打 (名)加藤

川上哲治、生涯最後の完封勝利


 川上哲治は13年夏の北海道遠征の函館戦で地元の永澤富士雄が張り切り過ぎて怪我をして控え一塁手の川上がファーストに入って活躍をしてレギュラーポジションを獲得し、以後打者として活躍することとなると伝えられていますが、昨秋の日本選手権第四戦にも先発していますし、本日は4安打完封勝利を飾っています。

 ジャイアンツは2回、一死後永澤、平山菊二が連続四球、キャッチャー三浦敏一からの二塁牽制が悪送球となって一死二三塁、続く川上の当りは一二塁間への軟ゴロとなりセカンド戒能朶一が捕ってそのまま一塁ベースに駆け込み川上はアウトとなって記録は「4A」。この間に三走永澤は当然ホームイン、更に二走平山も三塁ベースを蹴ってホームを陥れて2点を先制する。川上にはこの二ゴロで2打点が記録されている。ピッチャー松尾幸造が一塁ベースカバーを怠ったことにより生じた2失点であるが、この当時はまだピッチャーの左の打球は一塁ベースカバーに走るということが徹底されていなかったようです。キャンプでこのカバープレーを練習するようになったのは戦後巨人がドジャース戦法を取り入れたベロビーチキャンプからではないでしょうか。

 名古屋は7回、一死後三浦が四球から盗塁、二死後松尾、戒能朶一が連続四球を選んで二死満塁とするがトップに返り石田政良に代わる代打芳賀直一はツースリーから三振に倒れる。8回は二死後加藤正二が左翼線に二塁打を放つが大沢清は三ゴロに倒れる。

 名古屋は9回、二死後松尾に代わり代打に村松幸雄が起用されて右翼線にヒットを放つ。村松は掛川中学出身の期待のルーキーでこの日がプロ入り初出場となりプロ入り初ヒットを記録する。村松は昭和15年に21勝をあげてエースとなりますが、プロ初出場はご覧のとおり代打でヒットを放っています。本職のプロ入り初登板は3月31日のこととなりますのでしばらくお待ちを。「戦場に散ったエース 投手・村松幸雄の生涯」は村松を伝える貴重な文献ですが、「プロ初陣」として3月31日の初登板には触れていますが本日の初出場初ヒットについては触れていませんので貴重な記録となります。同著によると麻雀が強くて勝負強いタイプだったとのこと、プロ初出場から勝負強さを遺憾なく発揮しております。

 松尾幸造は3回以降ジャイアンツ打線を無得点に抑え、8回を完投して5安打5四球4三振。

 川上哲治は4安打6四球6三振の完封で今季開幕戦に次いで2勝目をあげる。川上の完封勝利は昭和13年7月8日、春季リーグ戦対名古屋5回戦で西沢道夫と投げ合って1対0で完封して以来二度目のこととなる。この時も4安打完封であった。川上が投手として完封勝利を記録したのは生涯でこの二度だけのことである。二度とも名古屋戦であったのはトリビアになるかも。

 なお、この試合でジャイアンツの先発マスクを被ったのは平山菊二です。吉原正喜は開幕から打撃好調でしたので引っ込められたのではなく恐らく怪我でしょう。吉原が復帰するのは4月2日のこととなります。

 日本プロ野球私的統計研究会」様によると平山菊二が一リーグ時代にキャッチャーとして出場したのは5試合であり、うちスタメンマスクは1試合とのことですので、本日の試合と言うことになります。





*川上哲治はプロ入り二度目にして生涯最後の完封勝利を飾る。






               *川上のニゴロの場面





*このニゴロで2打点を記録している。恐らく現在の公式記録員は1打点しか記録しないのではないか。





        *村松幸雄のプロ入り初出場、初ヒットの場面








2011年7月21日木曜日

14年 ライオンvs南海 1回戦

3月22日 (水) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 計
1 0 0 0 0 0 0 0 0  0   1  2 ライオン 3勝0敗1分 1.000 福士勇 菊矢吉男
0 0 0 0 0 1 0 0 0  0   0  1 南海       0勝4敗       0.000 政野岩夫


勝利投手 菊矢吉男 2勝0敗
敗戦投手 政野岩夫 0勝2敗

二塁打 (南)平井
三塁打 (ラ)玉腰
本塁打 (南)平井 1号

ライオン三連勝


 ライオンは初回、先頭の坪内道則が右前打で出塁、岡本利之は二飛に倒れるが水谷則一の三ゴロをサード平井猪三郎が一塁に悪送球する間に坪内は三塁に進んで一死一三塁、鬼頭数雄が右前にタイムリーを放って1点を先制する。

 ライオン先発の福士勇は5回まで南海打線を2安打無得点に抑える。守備陣も1回には1-6-3、4回には4-6-3のダブルプレーを決める。

 南海は6回、一死後平井がレフトポール際にホームランを放って1-1の同点に追い付く。ライオンは6回から二番手として菊矢吉男がマウンドに上がる。

 南海先発の政野岩夫は2回以降、2回と5回を除いて毎回走者を出すが無失点で切り抜ける。

 ライオンは9回、先頭の昨年は南海に所属していた西端利郎が左前打で出塁、松岡甲二が送って一死二塁とするが、菊谷の右飛に二走西端が飛び出して9-6と渡ってダブルプレー。

 南海も9回裏、先頭の山尾年加寿が左前打で出塁するが七番ライト天川清三郎の投ゴロで1-6-3のダブルプレー。吉川義次が左前打を放つが政野が遊飛に倒れて延長戦に突入する。

 ライオンは11回、先頭の玉腰年男が左中間に三塁打、中継に入ったショート小林悟楼の悪送球の間に玉腰が還って決勝の1点をあげる。菊谷は11回裏の南海を三者凡退に退けてライオンは初戦の引分け以降三連勝。


 南海では平井猪三郎が4打数2安打、二塁打1本、本塁打1本の活躍を見せる。平井は浪華商業時代、1934年センバツ準優勝時のメンバー。戦後は母校浪商の監督として戦後初の大会となった1946年夏の甲子園に優勝して現役時代の雪辱を果たす。プロには行かなかったがパ・リーグ審判となった平古場昭二投手を擁しての優勝であったが、この大会には愛知商業の牧野茂(V9時代の川上監督の懐刀)も出場している。平古場の活躍で野球に興味を持った淡路島在住の深田公之少年は長じて阿久悠となり、傑作「瀬戸内少年野球団」を著すこととなる。因みに平古場氏は審判引退後は同じ瀬戸内海・小豆島のゴルフ場で支配人となりました。










2011年7月20日水曜日

14年 イーグルスvs金鯱 1回戦

3月22日 (水) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
2 0 1 0 1 0 0 0 0 4 イーグルス 1勝2敗1分 0.333 亀田忠
0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 金鯱        1勝1敗      0.500 中山正嘉 古谷倉之助


勝利投手 亀田忠     1勝0敗
敗戦投手 中山正嘉 0勝1敗

イメチェン亀田でイーグルス初勝利


 「三振か四球か」をトレードマークとする亀田忠がイメージチェンジした。亀田は4安打1四球5三振の完投で今季チーム初勝利をあげる。翌日の読売新聞には「この日の亀田は力一杯のピッチングを捨て専ら制球力に全力を注ぐ滋味掬すべきプレートをみせた。」と記されている。

 イーグルスは初回、二死後中河美芳が四球で出塁、亀田が中前打で続き、杉田屋守の二ゴロをセカンド五味芳夫が失する間に中河が還って1点を先制、木下政文が中前にタイムリーを放って2-1とする。

 イーグルスは3回、先頭の太田健一が四球で出塁、中河の中前打で無死一二塁、ここで亀田が中前にタイムリーを放って3-0とする。

 金鯱は4回、一死後五味が三塁への内野安打で出塁、二盗を決め更にキャッチャー伏見五郎の悪送球で三塁に進む。この辺りバッキー・ハリスの抜けた影響が出ている。瀬井清の遊ゴロの間に五味が還って1-3と追い上げる。

 イーグルスは5回、先頭の太田が四球、中河の左前打で3回と同じパターンで無死一二塁、金鯱は先発中山正嘉を下げて古谷倉之助をリリーフに送るが亀田が二打席連続となるタイムリーを左前に運んで4-1とする。

 金鯱は7回、先頭の古谷が三遊間に内野安打、しかし野村高義三振、武笠茂男の遊ゴロで6-4-3のゲッツー。9回も先頭の五味が一二塁間への内野安打で出塁するが瀬井に代わる代打長島進の遊ゴロで再度6-4-3のゲッツーとなってイーグルスが逃げ切り今季初勝利をあげる。


 イーグルスは四番に先発ピッチャーの亀田忠を据えて一番寺内一隆、三番中河美芳という打線を組む。中河は4打数3安打、亀田が4打数3安打2打点、二番太田健一が2打数1安打2得点、寺内も1安打を記録し、寺内一番、中川三番にすると打線がつながる。亀田の四番は大変かもしれませんが、こういう比較はどうかとも思いますが私の大学時代も同期のエース(ピッチャーとして準硬式全日本代表に選ばれてブラジル遠征しました。何と高校時代は野球未経験。当時の我が部史上最多のリーグ戦通算13本塁打も記録。)も四番に据えていましたので、層が薄いチームではピッチャーだろうが何だろうが四番に据えるべきです。





          *イメージチェンジした亀田忠のピッチング







     *亀田忠が四番に入ると引き締まるイーグルス打線

2011年7月19日火曜日

14年 阪急vsジャイアンツ 1回戦

3月21日 (火) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 阪急             1勝2敗 0.333 重松通雄
0 0 0 0 0 0 0 1 X  1 ジャイアンツ 3勝0敗 1.000 スタルヒン


勝利投手 スタルヒン 2勝0敗
敗戦投手 重松通雄  0勝1敗


二塁打 (ジ)吉原

重松通雄、一球に泣く


 阪急のチャンスは5回だけであった。重松通雄、下村豊が連続三振に倒れるが田中幸雄が四球を選んで出塁、伊東甚吉が左前打、トップに返り西村正夫四球で二死満塁、しかしフランク山田伝はツースリーから三振に倒れる。

 阪急は初回三者凡退、2回は二死後重松通雄がキャッチャー吉原正喜の打撃妨害に生きるが下村は左飛に倒れる。3回は先頭の田中幸雄が中前打で出塁するが後続無く4回は三者凡退。6回以降は8回まで三者凡退、9回は一死後山下好一が四球を選ぶが後続無く、結局スタルヒンの前に2安打に抑え込まれた。

 ジャイアンツは8回、先頭の呉波に代わる代打ルーキー中尾輝三が三塁に内野安打、水原茂が送って白石敏男の二ゴロの間に 中尾は三進、重松は中島治康に対してストライク、ボール、ファウル、ファウル、ボールからの6球目を痛恨のワイルドピッチ、中尾が生還して1-0で辛勝する。

 スタルヒンは2安打3四球10三振の完封で今季2勝目をあげる。

 重松通雄は8回を完投して5安打3四球6三振の好投を見せたが中島に投じた一球に泣いた。


 9回代打で出場して内野安打を放ち決勝のホームを踏んだ中尾輝三は三重県宇治山田市(現・伊勢市)の出で京都商業出身と澤村栄治と同じ出自をたどる。ということで3月14日付け読売新聞の「開幕迫る職業野球」のジャイアンツ欄では「“澤村二世”左腕の中尾」の見出しで伝えている。球史では「沢村二世」と言われた投手は数多くいますが恐らく「元祖・沢村二世」は中尾輝三でしょう。因みに「碩志」に改名するのは後のこととなります。

 歴代沢村二世の中で最も沢村二世らしかった投手と言えば、京都商業を1981年夏の甲子園準優勝に導いた井口和人投手だったのではないでしょうか。小柄でしたがキレの良い快速球と縦に割れるカーブが特徴でした。まさに澤村栄治の代名詞である「懸河のドロップ」という感じでした。この大会では名電高の工藤がノーヒット・ノーランをやってベスト四に進出、名電高を破って決勝に進出した金村の報徳が井口の京都商業を破って優勝しました。金村は当時からバッティングで目立っていました。井口投手はプロには行かず、同志社大学時代は関西学生連盟で83年秋に優勝、社会人野球ではトヨタに入社して補強選手として都市対抗にも出場するなどの活躍をされているようです。

2011年7月18日月曜日

14年 タイガースvs南海 1回戦

3月21日 (火) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 1 0 1 0 0 2 タイガース 1勝2敗 0.333 御園生崇男
0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 南海      0勝3敗 0.000 劉瀬章


勝利投手 御園生崇男 1勝1敗
敗戦投手 劉瀬章         0勝1敗

タイガース片目を開ける


 タイガースは1回、2回と三者凡退。3回は先頭の門前真佐人が四球で出塁、森国五郎の三ゴロでランナーが入れ替わるが劉瀬章の牽制に森が釣り出されて1-3-6と渡ってタッチアウト、皆川定之も中飛に倒れてこの回も三人で攻撃を終える。4回も三者凡退とここまでノーヒット、劉の下手からの軟投に手を焼く。

 南海も1回、2回は三者凡退。3回は先頭の中田道信が左翼線にヒット、一死後山尾年加寿の中前打で一二塁とするがトップに返り小林悟楼の遊ゴロは6-4-3のゲッツー。4回も先頭の海草中学出身のルーキー岩出清が三塁に内野安打とプロ入り初安打を記録するが中村金次の遊ゴロで2イニング連続6-4-3のゲッツー。

 タイガースは5回、一死後御園生崇男が四球で出塁、伊賀上良平は左飛に倒れるが門前真佐人の右前打で二死一三塁、門前が二盗を決めて二死二三塁、ここで大分商業出身のルーキー森が左前に流し打つタイムリーを放って1点を先制、森はプロ入り初安打初打点を記録する。二走門前は三塁にストップするがレフト岡村俊昭からの返球は直接キャッチャー中田のミットへ、これを見て打者走者森は二塁に進む好走塁を見せる。第一打席では盗塁を狙っていたのか牽制に釣り出されてしまったが、失敗を恐れない走塁は今後タイガースの戦力となりそうな気配である。岡村はカットマンに返すという基本を怠った。皆川は遊ゴロに倒れてこの回は1点止まり。

 南海は6回、先頭の山尾が四球で出塁、トップに返り小林が送って一死二塁、岩出が中前に殊勲の同点タイムリーを放って1-1。岩出はルーキーとは言え嶋清一と共に何度も甲子園に出ている俊英、当時のプロ選手より経験を積んでいる。殊勲の岩出に代えて代走に伊藤経盛を起用、伊藤は次の回からレフトに入りレフトの岡村が岩出に代わってライトに回るがこのシフトが南海・高須一雄監督を後悔させることとなる。

 タイガースは7回、先頭の御園生の左飛を代わったばかりの伊藤がエラー、御園生は二塁に進む。翌日の読売新聞には「顛倒落球」と書かれているので足が引っ掛かったのであろう。因みに「顛倒」とは「ひっくりかえる」という意味のようです。続く伊賀上が左前に決勝タイムリーを放って2-1、御園生が南海の反撃を断ってタイガースがようやく片目を開ける。

 御園生崇男は6安打2四球3三振の完投で今季1勝目。劉瀬章も9回を完投して4安打5四球1三振と好投を見せた。


 この試合の最大のポイントは南海6回の攻撃でこの日2安打目となる同点タイムリーを放った岩出清に代走伊藤経盛を送り、7回からレフト岡村俊昭をライトに回して伊藤をレフトに入れた高須一雄監督の采配ミスにある。もちろんこれは結果論であるが、勝負に生きる人間は結果でしか評価されないのは言うまでもないところ。恐らく高須監督の頭には5回の守備で岡村が直接バックホームしてしまい打者走者森を二塁に進塁させてしまったプレーが刻み込まれていたのであろう。四番松木で切れて五番御園生からの攻撃では左が非力な森しかいないのでレフトに伊藤を入れて岡村をライトに回したのであろうがこれが裏目に出た。そもそも勢いのある岩出に代走を起用する必要があったのかということもありますが。

 南海は二番岩出清、四番国久松一、五番岡村俊昭とスタメンに新人を三人起用。鈴木芳太郎、納家米吉、高野百介、中野正雄、富永嘉郎を応召で失い若手の育成が急務である。3月13日付け読売新聞の今季展望で高須監督は「若い選手たちが旺盛な研究心を持って激しい練習にもヘバらないからなんとかやって行けるつもりだ」と語っている。

 タイガースは二番~五番がノーヒットで合計4安打。五番御園生崇男が二度塁に出て六番伊賀上良平、七番門前真佐人、八番森国五郎の1安打ずつを得点に結び付けた。ルーキー森国五郎は19日のジャイアンツ戦9回に代走で起用されているが八番ライトで先発出場した本日が実質デビュー戦となる。4打席2打数1安打1打点2四球2盗塁の活躍、積極的な走塁が目を惹いた。

2011年7月17日日曜日

14年 セネタースvsイーグルス 1回戦

3月21日 (火) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 2 0 2 3 7 セネタース  2勝1敗      0.667 金子裕
0 1 0 0 0 0 0 2 0 3 イーグルス 0勝2敗1分 0.000 古川正男


勝利投手 金子裕     1勝0敗
敗戦投手 古川正男 0勝1敗


二塁打 (セ)北浦 (イ)古川
本塁打 (セ)苅田 1号

苅田久徳、止めの一発


 セネタースはトップに森口次郎を据えて苅田久徳が二番に入る新打線。イーグルスは杉田屋守をライトに回してレフトに宇和島中学出身のルーキー清家忠太郎を起用する。太田健一が二試合連続無安打と当たりが出ていないからであろうが、森茂雄監督は左の金子裕の先発を読んだと見るのが妥当か。3月12日付け読売新聞に今季の展望が載っていますが、森監督の清家評は「巨人の千葉のようになりますよ」と高く評価している。

 イーグルスは2回、先頭の中河美芳が四球で出塁、杉田屋の左前打で中河は三塁に走る好走塁を見せて無死一三塁、清家は三振に倒れるが木下政文の中犠飛で1点を先制する。

 イーグルス先発古川正男の下手からの軟投に5回まで3安打無得点に抑えられていたセネタースは6回、二死後苅田が四球から二盗、北浦三男の三ゴロをサード木下が一塁に悪送球して一三塁、北浦も二盗を決めて二死二三塁、尾茂田叶のピッチャー強襲ヒットで苅田に続き二走北浦もホームに還り2-1と逆転に成功、尾茂田には2打点が記録される。

 セネタースは8回、先頭の森口がピッチャー強襲ヒット、苅田は捕邪飛(恐らく送りバント失敗であろう)に倒れるが北浦の左翼線二塁打で一死二三塁、尾茂田の中前タイムリーで3-1、遠藤忠二郎の三塁内野安打で4-1とする。

 イーグルスは8回裏、先頭の寺内一隆が四球で出塁、中河美芳左前打、杉田屋守右前打で無死満塁、6回亀田忠の代走に出てライトに入っていた太田健一に代わる代打菅利雄の遊ゴロで杉田屋が二封される間に寺内が還って2-4、木下が今日二本目の犠飛をレフトに打ち上げて3-4と追い上げる。

 しかしセネタースは9回、二死後横沢七郎と家村相太郎が四球で歩くと苅田が左翼スタンドにスリーランホームランを叩き込んで試合を決する。

 金子裕は9安打3四球4三振の完投で今季1勝目をあげる。


 セネタースの11安打に対してイーグルスも9安打と応戦したが、セネタースは二番~五番の苅田、北浦、尾茂田、遠藤が2安打ずつを放ち苅田と尾茂田が3打点ずつ。一方イーグルスはヒットを打ったのが四番中河が3安打、五番杉田屋が2安打、九番古川が2安打、一番山田が2安打と四人だけでは大きいのがないと点が入らないが長打は古川の二塁打1本だけであった。亀田忠は6回一死二塁の場面で代打に起用されたが、これでは敬遠してくださいと言っているようなもの、当然歩かされました。バッキー・ハリスの穴を埋めるには亀田を常時四番に起用する以外に手はないでしょう。