2011年6月22日水曜日

13年秋 金鯱vs阪急 5回戦

11月13日 (日) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 金鯱 10勝29敗       0.256 古谷倉之助
0 0 0 0 0 0 0 2 X 2 阪急 20勝14敗2分 0.588 重松通雄


勝利投手 重松通雄     4勝1敗
敗戦投手 古谷倉之助 1勝7敗


二塁打 (金)瀬井 (阪)浅野
三塁打 (金)武笠

浅野勝三郎、代打逆転決勝タイムリー二塁打


 金鯱は初回、先頭の佐々木常助が死球で出塁、岡野八郎は右飛に倒れるが瀬井清が右中間に二塁打を放って一死二三塁、小林茂太の右犠飛で1点を先制する。

 金鯱先発の古谷倉之助は二試合連続スタメンマスクの岡田源三郎監督のリードに応えて今季最高のピッチング。1回、2回は三者凡退。3回、先頭の重松通雄を四球で歩かせるが、岡田源三郎捕手からの牽制球にタッチアウト。4回、5回も三者凡退。

 阪急は6回、一死後林信一郎がストライクを2つ見逃し後ファウルで3球粘り6球目を遊ゴロ、これをショート瀬井清が弾いて一死一塁、二死後西村正夫のショートへのゴロが不規則バウンドとなって内野安打、しかしフランク山田伝は三振に倒れる。山田はこれで三打席連続三振。

 阪急先発の重松通雄も下手からの軟投で金鯱打線を2回~8回まで4安打無失点に抑える。

 阪急は8回、二死後大原敏夫がストレートの四球、トップに返り西村が三遊間を破り二死一三塁、阪急ベンチは三打席連続三振の山田に代えて代打に浅野勝三郎を起用、西村正夫が盗塁を決めて二死二三塁、浅野は三球目をセンター右奥に二塁打、二者還って土壇場で2-1と逆転に成功する。

 金鯱は最終回、二死後浅井太郎に代わる代打武笠茂男が右中間に三塁打、ここで迎えるは九番岡田源三郎監督、しかし岡田は見逃し、ボール、見逃し、ボールから見逃し三振に倒れてゲームセットを告げるサイレンがけたたましく鳴り響く。

 古谷倉之助はスミ一を守ってきたが8回に力尽きた。8回を投げて3安打4四球5三振、107球の力投であった。

 重松通雄は6安打2四球1死球4三振、104球の完投で10月22日以来となる4勝目をあげる。


 殊勲の代打逆転決勝タイムリー二塁打を放った浅野勝三郎は11月6日の南海5回戦でも1対1の8回に代打決勝2点タイムリーを放っている。マウンドにも上るがこのところは代打の切り札として活躍。浅野は旧姓山田勝三郎、明石中学時代には昭和8年8月19日の甲子園準決勝、中京商業との延長25回の死闘に一番センターでフル出場している。この試合では10打席9打数2安打1四球を記録している。明石中学の三番は澤村以上とも言われた剛球投手楠本保でこの試合ではライトを守っている。四番は二番手投手ながらこの試合で25回までマウンドを守りきった左腕の中田武雄であった。楠本と中田は共に慶應義塾大学に進み神宮でも活躍することとなるが共に戦死している。中田が戦死した翌日に楠本も戦死したと伝えられている。山田勝三郎は全明石を経て阪急入り、一時は主力投手として活躍し、最近は代打の切り札となっている。この辺りの比較からも、当時は実力的には東京六大学がプロを上回っていたと言えるでしょう。




        *代打浅野勝三郎が逆転決勝タイムリー二塁打を放つ









             *重松通雄は完投で4勝目



 

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