2011年3月27日日曜日

13年秋 金鯱vsタイガース 3回戦

9月16日 (金) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
2 0 0 0 0 0 0 0 0 2 金鯱      2勝7敗 0.222 常川助三郎 中山正嘉
0 1 0 0 0 0 0 0 0 1 タイガース 6勝3敗 0.667 藤村富美男 御園生崇男


勝利投手 中山正嘉     1勝3敗
敗戦投手 藤村富美男 0勝1敗


三塁打 (金)佐々木、瀬井 (タ)山口


常川助三郎、一世一代のピッチング


 最下位金鯱がタイガースを破った。タイガースはこれで2連敗。

 金鯱は初回、先頭の五味芳夫は三振に倒れるが、佐々木常助が左中間に三塁打、続く瀬井清も右中間に三塁打を放って1点を先制、更にセカンド本堂保次のバックサードが高く逸れて瀬井も還って2-0とする。タイガースは2回から先発の藤村富美男がセカンドに回り本堂に代わり二番手ピッチャーに御園生崇男を投入する。

 タイガースは2回、景浦将が中前打で出塁、伊賀上良平の三ゴロで景浦が二進、御園生の右前タイムリーで1-2とする。

 金鯱打線は御園生崇男から9安打を放つが追加点は奪えず11残塁を喫す。

 タイガースは3回三者凡退、4回は先頭の山口政信が中越えに三塁打を放ち景浦敬遠で無死一三塁、松木謙治郎が二飛に倒れると景浦がディレードスチールを敢行するが2-4-3と渡りタッチアウトとなり三走山口は動けず、伊賀上遊ゴロでチェンジ。5回は先頭の御園生が死球で出るが門前真佐人は三ゴロ併殺、6回も先頭の藤井勇が右前打で出塁するが藤村の遊ゴロは6-4-3と渡り2イニング連続のゲッツー。7回は三者凡退、8回は二死後藤井が左前打を放つが藤村は遊ゴロ。

 タイガースは9回、この回先頭の山口の三ゴロをサード岡野八郎が一塁に悪送球、しかし続く景浦の三ゴロは5-4-3と渡りこの日三つ目のゲッツー、しかし松木が右前打、伊賀上中前打で二死一二塁、金鯱ベンチはここで好投を続けてきた先発の常川助三郎を下げて中山正嘉をリリーフに送る。御園生崇男が四球を選び二死満塁とするが門前に代わる代打カイザー田中義雄が遊ゴロに倒れてゲームセットを告げるサイレンがけたたましく鳴り響く。

 試合経過からも分かるように金鯱の勝利投手は常川助三郎であるべきであるが、公式記録では何と9回二人に投げただけの中山正嘉に記録されている。これではあまりにも理不尽なので常川助三郎の大特集を組もうと思ったが残念ながら資料がほとんど無い。こういう時に頼りになる竹中半平氏著「背番号への愛着」にも「いい投手だったが、セネタースと合併した時に辞めた。」とあるだけで味も素っ気も無い。


 ということで常川助三郎の母校享栄商業(現・享栄高校)を特集します。常川も名を連ねる1936年第13回センバツに出場した享栄商業からは常川、昭和25年に阪急に入ることとなる伊藤治夫、今年南海に入ったがまだ出番のない伊藤経盛、昭和11年に大東京に入った伴吉夫、ジャイアンツ花の13年組の一人となった野村高義、当ブログで活躍中の名古屋・村瀬一三の六人がプロ入りしています。これを上回るのは1935年第12回センバツに出場した広陵中学の七人(白石敏男・ジャイアンツ、門前真佐人・タイガース、海蔵寺弘司・南海、戒能朶一・名古屋、岡田宗芳・タイガース、昭和15年に金鯱に入る室脇正信、昭和25年に広島に入ることとなる秋山正信)だけです。

 常川は左腕ですが、享栄の左腕と言えば金田正一(中退)、近藤真一(現・真市)となります。金田は400勝、近藤はプロ入り初登板でノーヒット・ノーラン(この時のビデオはまだ持っています。)をやって球史にその名を残すこととなりました。常川こそが享栄左腕伝説の元祖ということになります。




*常川助三郎の一世一代のピッチングを伝えるスコアブック。何故か中山正嘉に勝利投手が記録されている。


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