2011年3月19日土曜日

13年秋 金鯱vsタイガース 2回戦

9月9日 (金) 西宮


1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 3 0 2 0 0 0 1 0   6 金鯱          1勝4敗 0.200 古谷倉之助 中山正嘉
3 1 0 1 0 0 3 2 X 10 タイガース 5勝1敗 0.833 西村幸生 御園生崇男


勝利投手 御園生崇男 2勝0敗
敗戦投手 中山正嘉     0勝2敗


二塁打 (金)武笠、松元 (タ)藤井2、伊賀上2、藤村
三塁打 (タ)山口、御園生
本塁打 (金)松元 1号、2号


松元三彦、二打席連続ホームラン


 金鯱先発は古谷倉之助、タイガース先発は西村幸生。西村は1910年生まれ、古谷は1911年生まれ。共にアマチュア時代からの経験は豊富であるが経歴はかなり違う。西村は関西大学時代、断然格上と言われていた東京六大学強豪校を次々と撃破した関大黄金時代の立役者。一方古谷は明治中学卒業後八王子野球団で経験を積みプロ入り。本来であれば投手戦が期待されるところ。

 タイガースは初回、先頭の藤井勇が左中間に二塁打、藤村富美男四球で無死一二塁、山口政信の遊ゴロで藤村は二封、山口が二盗を決めて一死二三塁、となれば景浦将敬遠で一死満塁、ここで伊賀上良平が中越えに二塁打を放って2点を先制、更に松木謙治郎の二ゴロの間に景浦も還り3-0とする。

 金鯱は2回、この回先頭の古谷が中前打で出塁、松元三彦が高めのストレートをレフトスタンドに運び2-3、更に武笠茂男四球、長島進三振後岡野八郎が送って二死二塁、トップに返り五味芳夫が左前にタイムリーを放って3-3の同点に追い付く。

 タイガースは2回裏、この回先頭の西村が四球で出塁、皆川定之は三飛に倒れるがトップに返り藤井勇の左前打で一死一二塁、藤村の投ゴロは1-6と渡るがこれをショート瀬井清が失して一死満塁、山口の二ゴロゲッツー崩れの間に西村が還って4-3とリードする。なお二死一三塁でダブルスチールを試みるがキャッチャー松元の送球をカットしたピッチャー古谷が三塁に送球、藤井を刺してチェンジ。古谷は昨日の名古屋戦に続いて三塁送球で補殺を記録する。金鯱は3回から古谷をファーストに回して中山正嘉をマウンドに上げる。

 金鯱は4回、この回先頭の古谷が左前打で出塁、松元が今度は高めのカーブを左翼スタンドに叩き込むバック・ツー・バックのツーランを放って5-4と逆転。二打席連続ホームランは春季リーグ戦7月16日のバッキー・ハリスに次ぐ記録である。ハリスの最終二試合での4ホームランは有名であるが、松元三彦の二打席連続ホームランを知る人はほとんどいないであろう。

 タイガースは4回裏、この回先頭の門前真佐人が四球で出塁、一死後皆川に代わる代打岡田宗芳が中前打を放ち一二塁、皆川にレギュラーの座を奪われかけている岡田も必死、トップに返り藤井が右中間に同点二塁打を放ち5-5とする。藤井も本堂保次の成長により藤村がライトに入ることが多くなりレギュラーから滑り落ちかけているだけに必死。タイガースは西村をあきらめて御園生崇男をリリーフに送る。西村は4回を6安打2四球5失点5自責点。

 タイガースは7回、この回先頭の山口が中越えに三塁打、景浦遊飛後伊賀上が四球から二盗を決めて一死二三塁、6回から松木に代わりファーストに入っている本堂は三振、こちらも6回から門前に代わりキャッチャーに入っているカイザー田中義雄が右前に2点タイムリーを放って7-5とリード、更に御園生が中越えに三塁打を放って8-5とする。更に8回、藤井四球、藤村左中間二塁打から山口のタイムリーと伊賀上のタイムリー二塁打で2点を追加して10-5とする。

 金鯱は8回、一死後古谷が左翼線にヒット、松元が左中間にタイムリー二塁打を放って6-10とするがここまで。

 御園生崇男が好リリーフを見せて今季2勝目をあげる。一方西村幸生はご覧のような調子、依然若林忠志を欠き西村がこの調子だと本当にタイガースは危ない。

 この試合に負けたとは言え松元三彦は二打席連続本塁打を含む3打数3安打10塁打5打点の活躍。週間MVPの有力候補に躍り出た。


 松元三彦は鹿児島一中から全京城を経由して金鯱に入団、球史にはほとんどその名を残していない。春季リーグ戦では怪我のため欠場していた時期に岡田源三郎監督に出場してもらっていただけに、今季に賭けてバットを振り込んできたのであろう。

 鹿児島一中は現・鹿児島県立鶴丸高等学校、鹿児島県屈指の伝統校にしてラ・サールにも匹敵する進学校である。校風は「文武両道」。プロ野球選手は松元と南海でピッチャーから野手に転向して活躍した池之上格(ダイエースカウト時に小久保と井口を獲得)しか輩出していないが、旧制一高在籍時に「ベースボール」を「野球」と翻訳したことで知られる鹿児島出身の中馬庚が東大卒業後、1899年に赴任して教鞭をとっていた訳で、我が国野球史に欠かすことはできない。因みに同校の野球部は1899年に創設されたとのことである。「サイレント・イブ」で知られる辛島美登里も鶴丸出身。辛島美登里は鶴丸から奈良女子大に進学して在籍中に教職をとったことからタモリに「辛島先生」と呼ばれることとなる。私が高校受験の時、「難問集」という教材で勉強していたのですが、得意の数学で一つだけ理解できなかった問題が奈良女子大付属高校で出題された問題であったことから、奈良女子大に対しては超コンプレックスを持っています。



*松元三彦の二打席連続ホームランを伝えるスコアブック
 



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