2011年3月13日日曜日

13年秋 名古屋vsイーグルス 1回戦

9月5日 (月) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 名古屋    2勝0敗1分 1.000 森井茂
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 イーグルス 1勝1敗      0.500 古川正男 亀田忠


勝利投手 森井茂     1勝0敗
敗戦投手 古川正男 0勝1敗


森井茂、3安打完封


 更新を再開します。

 名古屋は森井茂、イーグルスは古川正男と両技巧派による対決となった。

 名古屋は3回まで鈴木秀雄の1安打のみ、イーグルスは3回まで無安打。名古屋は4回、一死後白木一二が中前打で出塁、倉本信護もセンター右にヒットを放ち三浦敏一四球で一死満塁、森井茂の二ゴロの間に白木が還って1点を先制する。

 本日の森井には自ら打点をあげた1点で十分であった。森井は6回までイーグルス打線を無安打無四球無得点、出したランナーは2回、杉田屋守の一ゴロをファースト大沢清のエラーにより出したのみである。7回、野村実に四球を与えるがバッキー・ハリスを投ゴロ併殺に打ち取る。8回先頭の太田健一に中前に初ヒットを許し、杉田屋が送って亀田忠に左前打を打たれて一死一三塁とこの日初のピンチを迎える。ここで山田潔に代わって登場したのは森茂雄監督である。しかし敢え無く投ゴロに倒れ、続く漆原進は二飛でチェンジ。9回にも先頭の寺内一隆に中前打を許し野村が送って中河美芳の一ゴロで二死三塁のピンチを迎えるがバッキー・ハリスを敬遠して太田を遊ゴロに打ち取る。

 翌日の読売新聞は「名古屋森井はカーブのコントロール絶好で、巧みにペースとコースを変えての軟投にイ軍打者は散々に翻弄され・・・」と伝えている。古川正男についても「これに対してイ軍古川はこれまた下手投げの軟かいピッチングで安打と四球は相当に出してはいたが味方の好守もあって崩れんとして崩れず・・・」と伝えている。

 森井茂は結局3安打2四球2三振で112球の完封勝利を飾り、打っても唯一の打点をあげた。古川正男は8回を9安打6四球2三振1失点で146球を投げた。リリーフの亀田忠は1回で21球を要した。名古屋は16残塁ながら森井の好投で1引分けを挟んで開幕二連勝を飾った。

 森茂雄はプレーヤーとしては東京倶楽部時代に都市対抗で優勝、高校野球では松山商業の監督(コーチかもしれない)として中山正嘉(金鯱)をエースに擁して昭和10年の夏に優勝、戦後になって早稲田大学監督時代に東京六大学で9回優勝、プロでは大洋で球団社長として昭和35年に三原脩監督を招へいして優勝と、日本野球界で完全制覇を成し遂げることとなる。生涯に代打で4回出場した記録が残されており、本日がその一つである。




*通算4打席を記録した森茂雄が山田潔の三打席目に代打で出場した場面





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