2011年1月3日月曜日

13年春 名古屋vsセネタース 3回戦

5月30日 (月) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 名古屋    5勝9敗 0.357 松尾幸造 森井茂
0 1 0 0 0 0 0 3 X 4 セネタース 5勝8敗 0.385 金子裕


勝利投手 金子裕      3勝1敗
敗戦投手 松尾幸造  2勝7敗


二塁打 (名)桝、倉本 (セ)金子、伊藤


セネタース、好守の勝利


 28日(土)に雨で順延された二試合が本日行われる。第一試合は13時ちょうど杉村正一郎主審の右手が上がりプレイボール。

 名古屋は初回、二死後桝嘉一が左中間に二塁打、白木一二が右前にタイムリーを放ち1点を先制する。

 セネタースは2回、先頭の綿貫惣司が中前打で出塁、家村相太郎が送って、二死後金子裕が右中間に二塁打を放ち1-1の同点に追い付く。

 名古屋は2回以降金子に9本のヒットを浴びせるがセネタース守備陣の好守に得点を阻まれる。先日一試合4エラーを演じたセネタースのショート磯野政次も本日は6-4-3のダブルプレーを2回決めて勝利に貢献する。

 6回は併殺、7回は名古屋の中継プレーでチャンスの芽を摘まれたセネタースは8回、この回先頭の横沢七郎が四球で出塁、磯野も連続四球を選んで無死一二塁、ここで先発松尾幸造が降板して二番手に森井茂が登場する。トップに返り苅田久徳の遊ゴロで磯野が二封、北浦三男四球で一死満塁、ここで尾茂田叶が左前打に2点タイムリーを放ち3-1と勝ち越し、綿貫の左翼線ヒットで再度一死満塁とし、家村の遊ゴロは6-4-3と渡るが一塁セーフでゲッツー崩れとなる間に三走北浦が生還して得点は4対1となり、二走尾茂田も三塁ベースを蹴って本塁に突入するがファースト大沢清からキャッチャー三浦敏一に送球されてタッチアウト、6-4-3-2と転送される変則ダブルプレーが完成する。

 金子裕はヒットを許しながらも味方の好プレーに助けられて粘りのピッチングを見せ、9安打4四球2三振の完投で3勝目をあげる。桝嘉一はこの試合4打数3安打、今季41打数18安打、打率4割3分9厘で首位を独走する。

 好プレーが目立った本日の試合で白眉のプレーは4回、名古屋の攻撃中に見せたセネタースの中継プレーであった。すなわち、二塁打の倉本信護を二塁ベースに置いて村瀬一三がセンター後方へ大飛球を打ち上げると、センター尾茂田は背走に背走を重ねて逆シングルでキャッチ、これを見て二走倉本はタッチアップからスタートを切り三塁を蹴ってホームに向かう。尾茂田からの送球をレフト家村がカット、家村はサード横沢に転送し、横沢からキャッチャー北浦に送られて倉本をホーム寸前で刺したものである。



 歴史に残る中継プレーとは、昭和50年夏の高校野球千葉県大会準決勝、銚子商業(前年全国優勝)vs習志野高校(同年全国優勝)戦8回表の習志野の攻撃で見せた銚子商業の中継プレーをおいて他にはありません。一死一塁から四番岩崎(下山田(甲子園決勝でサヨナラタイムリー)と共に2年生)が左越えに二塁打を放ち一走がホームに向かうが、レフトからの送球をショート宇野(2年)、サード篠塚と転送してキャッチャー前嶋(銚子商業きっての秀才、一浪後一般入試で慶應義塾大学に進み神宮で活躍)に送球され一走を刺したものである。篠塚はもちろん巨人に進んだ篠塚利夫(和典)であり、宇野はもちろん中日に進んだ宇野勝のことです。また、習志野の優勝投手は現・東京ヤクルトスワローズ小川淳司監督です(この項は当時の読売新聞千葉版で読んだ記憶と「房総高校野球物語」というサイトを参考にさせていただきました。)。

 因みに宇野勝はショートフライをおでこに当てたため守備が下手だと誤解されていますが、甲子園での守備が認められてドラフトされたことはWikipediaにも紹介されています。このプレーは私もNHKの中継で見ていましたので事実です。記憶では同点で二死、ランナーが三塁におり1点入ったらサヨナラという場面でした。打球は三遊間を襲い、宇野が逆シングルで捕ってノーステップ(小さくワンステップしたかもしれません)で一塁に送球してアウトにしたプレーです。



*セネタースが見せた中継プレー





*昭和49年夏の甲子園を制覇した銚子商業






*2年生の篠塚と前嶋は中央を先輩に譲って横の方に書いています。篠塚の隣が宮内主将。


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