2010年12月15日水曜日

13年春 ジャイアンツvs阪急 1回戦

5月1日 (日) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 2 0 0 0 0 2 ジャイアンツ 1勝1敗 0.500 成田友三郎 スタルヒン
0 0 0 0 4 0 4 0 X 8 阪急       1勝1敗 0.500 小田野柏 石田光彦


勝利投手 石田光彦   1勝0敗
敗戦投手 成田友三郎 0勝1敗


二塁打 (ジ)伊藤
三塁打 (阪)山下好


川上、千葉がデビュー


 ジャイアンツは初回、阪急の新人小田野柏に対して三原脩中飛、白石敏男二ゴロ、水原茂一邪飛、2回、中島治康三振、伊藤健太郎三ゴロ、六番ファーストでデビューした川上哲治右飛、3回は、三田政夫捕飛、吉原正喜左飛、成田友三郎遊ゴロ。4月29日に代打でデビューを果たし本日がプロ入り初登板となる小田野は3回までパーフェクトピッチング、4回も白石に四球と盗塁を許したのみで以前無安打ピッチング。

 ジャイアンツ先発の成田友三郎も2回の山下好一の右翼線三塁打、4回の黒田健吾の左前打のみに抑えて無失点。岩手出身の小田野と青森出身の成田による東北対決は5回に動く。

 ジャイアンツは5回、この回先頭の伊藤が三塁内野安打で出塁、川上は送らず(カウントの記録が無いので、バント失敗でツーストライクになって強攻策に切り替えた可能性は残りますが)左飛、三田四球、吉原がプロ入り初打点となる右前タイムリーを放ち1点を先制、成田が左翼線にタイムリーで続いて2-0とする。ジャイアンツは5回の守備から川上を下げてベテラン永澤富士雄が入る。

 阪急は5回裏、先頭の宇野錦次四球、一死後小田野死球、トップに返り西村正夫四球で一死満塁、ジャイアンツベンチはここで成田をあきらめスタルヒンを投入、上田藤夫の三ゴロでサード水原はバックホーム、タイミングはアウトであったが吉原のエラーで宇野が生還して1-2、山下実が右前に逆転の2点タイムリーを放って3-2としてなお一三塁、四番ジミー堀尾文人の二ゴロの間に上田藤夫が還って4-2とする。逆転したところで阪急は6回から石田光彦が登板、小田野は死球の影響があったのかもしれない。石田は9回までジャイアンツ打線を無得点に抑えて先輩の意地を見せる。

 阪急は7回、この回先頭の石田が四球で出塁、西村の投前送りバントをスタルヒンが一塁に悪送球、白球がファウルグラウンドを転々とする間に一走石田は二塁、三塁を蹴ってホームイン。記録は犠打とエラーで西村は二塁に進む。このプレーで一塁ランナーがホームインするということは、セカンド三原とライト中島のカバーリングの怠慢を指摘しなければならない。戦場での負傷から復帰してきた三原であるが、往年のスピードは見られなくなったのか。スタルヒンの投じた角度によっては中島の怠慢に起因している可能性もある。それ以上に石田の俊足ぶりをうかがわせるプレーである。奇行で知られる石田光彦であるが、いかにもすばしっこそうなタイプである。もちろん甲子園のだだっ広いファウルグラウンドがもたらしたプレーではあるが。上田藤夫が中前にタイムリーを放ち6-2、一死後堀尾内野安打、黒田死球で満塁、山下好の二ゴロは4-6-3と渡るが白石の一塁送球が悪送球となり三走上田に続いて二走堀尾も生還して8-2として阪急が快勝。

 ジャイアンツは8回、二死二塁で永澤に代えてルーキー内海五十雄を起用、三ゴロに倒れるがサード黒田の悪送球に生きる。更に9回には7回の途中から吉原に代わりキャッチャーに入っている田代須恵雄に代えて松山商業出身の新人千葉茂を起用、千葉は四球を選んで出塁する。内海は平安中ー法政大出身で花の13年組では最年長のこの時24歳、現巨人・内海投手の祖父として知られているが、在籍は2年で通算1安打に終わる。ジャイアンツは開幕2戦で花の13年組7名のうち岩本章を除く6名を起用、澤村、内堀、筒井が兵役で抜けた穴を埋めるべく経験を積ませている。

 それ以上に鮮烈デビューを飾ったのが小田野柏である。上述のとおり、小田野は5回を投球完了しており、その裏に味方が逆転して6回以降同点に追い付かれること無く石田光彦の好投で阪急が逃げ切っているので現行ルールでは勝利投手となるが、公式記録では石田に勝利投手が記録されている。小田野は岩手県福岡中学(現・県立福岡高校)出身、福岡高校は夏の甲子園出場10回で県内最多出場を誇る。本日投げ合った成田友三郎とは仙台鉄道局で同僚だった可能性がある(詳しいプロフィールが不明のため入れ違いの可能性もあります)。

 川上哲治は投手としてデビューして打者に転向したと伝えられることが多く、実質的にはそのとおりで構いませんが、プロ入り初出場は本日、六番ファーストでの先発出場となります。昭和13年3月10日付け読売新聞は「熊工投捕手始め巨人軍へ七新鋭 澤村なき陣容を整備」の見出しで7名を紹介しています。写真入りは川上、吉原の二人だけ、最もスペースを使っているのは千葉茂ですので、矢張り最も期待されていたのは千葉だったのでしょう。千葉は「投手としてより内野手としての千葉は広汎な守備範囲と強肩で巨人軍水原、タイガース伊賀上と優に匹敵する上に打力においても強打者の折紙がつけられている」、川上と吉原は主に甲子園準優勝と明治神宮大会優勝バッテリーとしてのプロフィールが書かれており、「川上は左利剛球の持主、吉原は強肩強打をもって名があり早速第一線に立つ逸材である」と紹介されています。「川上の剛球」はちょっとイメージとは違います。なお、川上のプロ入り初打席は「センターフライ」とされているケースがありますが(例えばWikipediaの小田野柏の項ではセンターフライとなっています(2010年12月15日現在))公式記録では「ライトフライ」です。ただしスコアブックに記載されている「8」と「9」は判別が難しく、川上の第一打席の記載は「F-9」と見えること及びセンター堀尾とライト西村の刺殺数と照合した結果、川上の第一打席は「ライトフライ」であると考えますと言うに止めておきます。


*川上と千葉のデビューを伝えるスコアブック





*川上の初打席はライトフライのようです。




*小田野柏と成田友三郎の東北対決

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