2010年9月2日木曜日

12年秋 ジャイアンツvsイーグルス 1回戦

9月18日 (土) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0  ジャイアンツ  6勝5敗   0.545  澤村栄治
0 0 0 1 0 0 0 0 X 1  イーグルス    7勝4敗   0.636  畑福俊英


勝利投手  畑福俊英  5勝2敗
敗戦投手  澤村栄治  1勝2敗


二塁打 (ジ)伊藤
三塁打 (ジ)山本


畑福俊英、澤村栄治に投げ勝つ

 イーグルスは3回まで二人の走者を出すが2回は四球で出塁し杉田屋守のバントで送られたサム高橋吉雄が左飛に飛び出しゲッツー、3回も先頭の中河美芳が四球に歩くが二盗に失敗して無得点。イーグルスは4回、先頭の寺内一隆が四球で出塁し、一死後バッキー・ハリスの一ゴロで二進、高橋が三遊間を破って寺内が還り1点を先制する。

 ジャイアンツは毎回走者を出しながら12残塁の拙攻。澤村栄治は8回を投げきり4安打5四球7三振。山本栄一郎が4打数4安打と一人気を吐く。

 畑福俊英は7安打5四球4三振で今季二度目の完封勝利。ハーラートップの5勝目をあげる。イーグルスはこれで今季7勝4敗、春季リーグ戦に7勝目をあげた時には32敗していた。澤村の秋季リーグ戦の不振は7月の徴兵検査に甲種合格したことによる精神的ショックに起因すると伝わっているが、3ヶ月半で244回を力を抜くことなく投げ抜いた反動と考えるのが普通ではないか。畑福も春季リーグ戦では240回を投げているが早くに肩を痛めたこともあって剛球投手から軟投派に切り替え、現在、恐らく投手人生最高の状況にある(最高の状態は他の時期にあったかもしれないが)。澤村と畑福は昭和9年全日本、昭和10年第1回アメリカ遠征、昭和11年第2回アメリカ遠征、昭和11年公式戦で同じ釜の飯を食い、常に四歳年下の澤村がエース、畑福が控え投手という関係にあった。そして畑福は昭和12年、新規に立ち上げられたイーグルスに放出され、春季リーグ戦では澤村が24勝4敗、畑福は7勝21敗であった。畑福はこの時、赤提灯で心の中で快哉を叫びながらも、苦楽を共にしてきた後輩澤村の苦境に思いを馳せていたのではないだろうか。

 イーグルスは本拠地後楽園球場での初勝利。畑福俊英は巨人軍公式戦初勝利投手、イーグルス公式戦初勝利投手に続いてイーグルス本拠地初勝利投手及び春季八戦全敗だったイーグルスのジャイアンツ戦初勝利投手をも記録することとなった。

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