2010年8月10日火曜日

12年春 最高殊勲選手

 日本職業野球聯盟は7月14日、菊正ビル聯盟本部で会議を行い、澤村栄治投手を昭和12年春季リーグ戦の最高殊勲選手に選出した。当会議は、市岡忠男聯盟総務、池田豊審判部長、広瀬謙三公式記録員(当ブログが解読作業の教科書としている「野球スコアの付け方」の筆者)、東西運動記者倶楽部等12人が出席して協議を行った。

 まず各自推薦の三名連記で投票を行い、投票数により澤村栄治、松木謙治郎、苅田久徳を選出して三選手を比較討議した結果、澤村が選出された。


*本日の鑑定団に中山武捕手のご子息が出場され、澤村の英字サイン入り写真を出品されました。写真のバックに汽車が写っていましたので、汽車での移動が多かったアメリカ遠征時のものではないかと思います。

写真は昭和10年第一次アメリカ遠征時ナショナル・リーグ公式球に書かれた澤村の英字サイン。






 7月18日付け読売新聞は、「・・・殊に24勝4敗・8割5分7厘の勝率は米国においても極めて稀とする大成績である。即ち米国に於ける1876年来の投手記録中では昭和6年本社が招聘した世界選抜最強軍の投手グローブ(当時アスレティックス)がその年の大リーグ戦に作った31勝4敗・8割8分6厘の超人記録が筆頭で、これに続いて1912年のウッド(レッドソックス)の34勝5敗・8割7分2厘、1907年のドノヴァン(タイガース)の25勝4敗・8割6分2厘が我が澤村の記録に優っているのみで澤村は実に第四位を占める訳である・・・」と伝えている。

  文中のドノヴァンとは、「タイ・カップ自伝」をお読みの方にはおなじみの「あらくれ」ビル・ドノヴァンのことであり、ウッドとは、スモーキー・ジョー・ウッドのことである。グローブとはスモークボールのレフティ・グローブのことであり、1931年に来日した際、早大打線を21球で六者連続三振に討ち取って「グローブ投げました。あ、見えません。」と実況された。


*写真は昭和6年日米野球のポスター。消えかかっていますがレフティ・グローブが日本に残したサインが入っています。







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