2010年8月1日日曜日

12年春 金鯱vsタイガース 7回戦

7月10日 (土) 西宮


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 2 0 0 0 1 0 4 金鯱     23勝28敗1分 0.451 中山正嘉
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 タイガース 40勝13敗1分 0.755 御園生崇男-西村幸生-若林忠志


勝利投手 中山正嘉 4勝7敗
敗戦投手 若林忠志 8勝2敗


二塁打 (金)瀬井、黒澤2
三塁打 (金)島、濃人


岡田源三郎先発マスク、中山正嘉は2安打完封


 7月10日と11日は時系列が極めて重要となりますので本日は西宮の第一試合を先にアップさせていただきます。

 金鯱は先発マスクに何と岡田源三郎監督が登場。セネタースvs金鯱5回戦のブログには42歳と書きましたが岡田監督は1896年3月25日生まれでこのとき41歳です。金鯱は初回、一死後島秀之助は右中間に三塁打、続く瀬井清が左中間に二塁打を放って1点を先制。タイガースは1回裏二死後山口政信が四球で歩くと容赦なく二盗を敢行、岡田捕手の送球は悪送球となり山口は三塁へ、景浦将も四球で出塁すると二盗に成功、しかし続く奈良友夫が遊ゴロに倒れて得点ならず。

 金鯱は2回、一死後七番キャッチャー岡田源三郎は左前に快打を飛ばして貫録を見せる。流石に御園生崇男も手加減したのか。続く中山正嘉は投ゴロゲッツーに倒れてチェンジ。岡田捕手は3回一死後松元三彦と交代する。金鯱は4回、一死後黒澤俊夫が右中間を破る二塁打、小林茂太の右前打で一三塁とし、安永正四郎の中前タイムリーで2-0、松元四球で一死満塁、二死後五味芳夫が押出し四球を選んで3-0とする。
 金鯱は8回、先頭の黒澤が又も左翼線に二塁打を放って出塁、小林茂が送って安永四球後、松元が左前打にタイムリーを放ち4-0と突き放す。

 中山正嘉は強打タイガース打線に8四球を許すが2安打5三振に抑えて完封。タイガースの敗戦によりジャイアンツのマジックは2となる。


 岡田源三郎登場の場面を大和球士著「真説日本野球史」には「・・・監督岡田源三郎がマスクをかぶって、のこのこあらわれたので張り詰めていたタ軍全軍の闘志が俄かにしなびてしまった。・・・岡田にしても、今更マスクはかぶりたくなかったが、正捕手相原が負傷し、控え捕手の村田まで怪我をしたので致し方がなかった。・・・中山は感激して奮い立った。・・・キャンプでは監督岡田自らミットを持って指導したため・・・中山にとっては恩師であった。・・・・・困ったのはタイガース一同、殊に弱ったのは主将一番松木謙治郎であった。明大時代、大先輩岡田には手をとってコーチしてもらったこともある。・・・一番打者として打席に立つや、マスクの中から悪魔のような岡田のささやきが聞こえてきた。「おい松木よ、おれがこの年でマスクをかぶったのにそれでも打つ気かね・・・」」とある。現在首位打者松木謙治郎はこの日3打数無安打に終わっている。
 また、翌日の読売新聞は「岡田監督自らマスクをかぶって本塁を死守する有様であったが、この悲壮な決意は全軍の闘志を極度に湧き立たせ・・・」と伝えている。

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