2010年5月16日日曜日

12年春 大東京vsセネタース 3回戦

5月5日(水)上井草


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 3 0 0 0 0 0 0 3 大東京    6勝9敗1分 0.400 桜井七之助-近藤久
2 0 1 0 0 0 1 0 X 4 セネタース  10勝6敗   0.625 野口明-浅岡三郎


勝利投手 浅岡三郎 3勝4敗
敗戦投手 近藤久   3勝5敗


二塁打 (大)中村、藤浪 (セ)中村民


無安打の苅田が2得点

 セネタースは初回、トップの苅田久徳が四球で出塁、本日ショート先発に今岡謙次郎が起用された関係で二番に入る横沢七郎が左翼線に痛打、苅田は二塁を蹴って三塁へ進む、更にレフト鬼頭数雄の三塁返球の間に横沢七は二塁を陥れる、記録はシングルヒット。無死二三塁のチャンスに尾茂田叶が右犠飛を放ち1点を先制、四番中村民雄も三遊間を破り2-0とする。綿貫惣司、伊藤次郎もヒットで続き一死満塁、しかし野口明の二ゴロは4-6-3と渡りゲッツー。セネタースは2回、宝塚協会からの歴戦の兵、大貫賢が中前打、続くバッターはこの日中村信一に代わり先発ショートに入った今岡謙次郎、今岡は4月12日の金鯱戦でも八番サードで先発起用されたがこの時は一度も打席に立つことなく3回の守備から横沢七郎に代えられており今日が今季二度目のスタメン起用、その期待に応えて三塁内野安打、勿論今季初安打、しかし苅田は二ゴロ併殺に倒れ尾茂田三振で無得点に終わる。

 大東京は3回、二死から水谷則一が二失に生き捕逸で二進、中村三郎の左翼線タイムリー二塁打で1点差とすると、浅原直人の三ゴロがサード横沢七のエラーを誘い中村三が還り同点、浅原は二塁へ、ピッチャー牽制悪送球で浅原三進、藤浪光雄が中前にタイムリーを放ち3-2と逆転に成功。大東京はここで早くも先発桜井七之助から二番手近藤久にスイッチ。しかし粘るセネタースはその裏、先頭の中村民雄が中越え二塁打で出塁、この日先発の野口明が中堅右にタイムリーを放ち3-3と同点に追い付く。セネタースも5回から野口明に代えて浅岡三郎を投入、その後両リリーフ投手の投げ合いが続く。

 セネタースは7回打順よくトップの苅田からの攻撃。苅田四球に歩き横沢七は三塁前に送りバント、サード柳澤騰市からの送球ををファースト浅原がはじき無死一二塁、尾茂田三遊間を破り無死満塁と絶好のチャンス、中村民の中飛は浅く苅田還れず、続く綿貫惣司のレフトフライに苅田タッチアップからスタート、レフト鬼頭からのバックホームをかいくぐり生還して4-3と1点を勝ち越す。大東京は9回、先頭の藤浪が左翼線に二塁打を放ち最後の反撃を試みるも後続がなくゲームセットのサイレンが鳴り響く。

 セネタース打線は苅田久徳以外は全員安打。しかし無安打の苅田が選んだ二つの四球を得点に結び付けて快勝。年間200安打を打っても四球を選ばないイチローの得点が少ない理由がよく分かる。ヒットを打つことだけが野球の要素ではないことを如実に示したゲームであった。
 
 松山北中からセネタース入りした今岡謙次郎は中村信一の後輩、中村は法政大学に進み苅田久徳の後輩、法政時代名ショートとして鳴らした苅田がジャイアンツを飛び出してセネタース入りした時の条件は「セカンドをやらせろ」のみ。苅田は後輩の中村信一をセネタースに誘いショートに据え、サード高橋輝夫(今季から兵役)と共に徹底的に鍛え上げて百万ドル内野を作り上げた(詳細は苅田著「天才内野手の誕生」をお読みください。)。苅田から見れば孫弟子に当る今岡謙次郎も苅田にこっぴどく鍛えられているのであろう。


 この日から73年後の2010年5月5日、元大阪タイガース、大毎オリオンズの田宮謙次郎氏がお亡くなりになりました。本日話題の今岡と偶然にも同名。これも何かの縁か。当ブログは昭和24年まで続く予定ですので、田宮氏が昭和24年に大阪タイガース入りして投手として活躍された当時の様子をお伝えすることができると思います。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

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